日記
noteを書くのをAIに任せたら何のためにnoteを書くんだ、と思いながら「閉じる」のボタンを押した。
精神が悪くなると言葉が溢れてくるので、情緒と脳の言語を司る分野が密接に繋がっているのが私の特徴らしい。
幸せだったり、精神が安定していると、詩や短歌が書けなくなる。詩を毎日書いていたり、映画のレビューを分量の圧でぶん殴るくらい書いていた時期は精神が悪かったのだと思うが、詩を書きたいと望むときに精神が安定していると割と絶望する。精神が安定していることに罪悪感までいかなくとも、欠けてしまったという感覚を覚えてしまう。何かしらを作る人はみんなそうなのだろうか?精神が安定しきって芸術に携われている人の話があれば純粋に聞いてみたいと思う。興味がある。どこから、「かけている」感覚が溢れるのか、そもそも本物にはそんな感覚は不要なのか。
芥川龍之介が好きな高校時代を過ごしてきたから、ただぼんやりとした不安で死んだ芥川龍之介に焦がれ続けていて、欠けていなければいけないという強迫観念はそういう憧れとも結びついているのかなと思った。思っただけで、私が書くものが芥川龍之介並みのものかと言われれば、比べるのも烏滸がましくて、ただアニメとかYouTubeでも観ていれば良いのに、と思う。
眠剤を飲んでからnoteを書いているのでめちゃくちゃ眠い。最近は寝れていない。中途覚醒が酷くて、よく寝たという感覚とは無関係な日々を過ごしている。薬剤師の友達に飲んでる眠剤の種類と量を伝えたらドン引きされた。そんなに飲んで良いものだとは思えないらしいけど、それでも眠れないので人間は不思議。
将来がそれこそ漠然とした不安でくるくるくるくると包まれてる私は、今日も1日を無為に過ごして、漠然とした不安と孤独感だけを強めている。馬鹿みたいだ、と思う。何か行動すれば良いのに。
まぁ、寝る前にアイドゥルのAllegyとQueencardを聴いて自己肯定感をあげてあげようと思う。