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桜町物語-2-

 「い、...前...!」
 ...声?
 「おい、お前さん!」
 思わず飛び起きた。どれぐらい寝ていたのだろう、そしてやっぱり見知らぬ場所にいることに変わりない。
 「おじさん...誰?」
 「おいらか、おいらには名前がないんだ。でもこの辺の連中にはマルさんと呼ばれとるよ。なんだろうな、この辺りのまとめ役って感じか。」
 マルさん...確かにその名がしっくりくるような小太りの見た目で、優しそうな顔立ちだ。面倒見のいい気さくなおじさんといったところだ。
 「お前さん、名前はあるのか?」
 「いつも家族にはムギって呼ばれてた。」
 ようやく誰かに出会えたことでホッとしたのか、思ったより落ち着いて話が出来る。ムギか、面白い呼び名だ、とマルさんが呟く。
 「マルさん、ここはどこなの?さっぱり見覚えのない場所で。」
 「ここか?ここは桜町ってとこさ。ムギ、お前さん自分がどこから来たか分かるか?」
 「覚えてない...でも桜町なんて初めて聞く名前。帰り道も分からなくてどうしたらいいのか...」
 それから続けてマルさんに、いままでの経緯を話した。いつものベッドで寝ていたのに、目が覚めたら知らない場所にいたこと。マルさんの顔が徐々に神妙になっていく。
 「ねえマルさん、マルさんなら、帰り道わかる?」
 マルさんは深くため息をつき、口を開いた。
 「ムギ、悪いことは言わん。帰ろうなどと思うな。おいらの家族になれ。」
 あまりにも唐突な言葉に、どんな反応をすればいいか分からない。家族になれ??何を言ってるんだ?
 「おいらのところにいれば、食べるものにも寝る場所にも困らない。友達だってきっとすぐに出来る。なんたってうちは大所帯だからな。」
 がははと笑うマルさんが、急に不審に思えてきた。助けてくれるかも知れないと思ったのに。所詮、見知らぬ土地の者は信用できないってことか。
 「からかうのはやめて。帰りたいんだ。家に帰れたら僕だって食べるものには困らないさ。大所帯ではないけど、大好きな家族だっているもの。」
 そう言うと、さっきまで笑っていたマルさんの顔つきと声色から優しさが消えた。
 「お前さん、自分の身に何が起こったか、知る勇気はあるかい?」
 僕はドキッとした。知る勇気?
 構わずマルさんは続ける。
 「帰りたいと思うこと自体を否定するわけじゃない。そんなやつ、この場所でたくさん出会ってきた。むしろすんなりこの状況を受け入れられるやつの方が少ない。」
 今まで隣に座っていたマルさんは腰を上げ、僕の目の前に座り直した。さっきまでの優しい面持ちとは違う真面目な表情。
 僕は察した。このままマルさんの前にいれば、真実を知ることが出来る。
 でも、その真実を知ったら?
 なんとも言えない不気味な感情が僕の中に湧く。怖いとかそういう簡単なものではなく、もっと複雑な何か。聞くべきか、聞かないべきか。
 気付いたら僕は走り出していた。
 行くあて?そんなのないけど。
 マルさんが何かを叫んだ気がする。聞こえない。
 帰れるとか、帰れないとかは一旦どうでもよくて、ただあの不気味な感情から逃げたかった。




 ......どれほど走ったのだろう。
 景色なんかほとんど覚えていない。
 気づけば薄暗い森の中にいた。
 聞こえるのは息切れした自分の呼吸の音と、微かな虫の声。夢中で走っていたせいで気づかなかったが、どうやら相当深い森に迷い込んだようだ。
 ....待った。
 何かが近くにいる。
 確かに感じる、僕以外の動く気配。
 少しずつ、近くなる。
 そして姿が見えた。
 ...
 ......
 ........2匹の巨大な狼が、僕の前に立ち塞がった。