東ティモールにおけるプライマリヘルスケアと独立への道

東ティモールの空港に着くと簡単に屋台で食事を済ませて、まず日本国際協力機構JICA事務所に挨拶に行き、状況確認を行った。私が調整員として置かれることになる状況について説明があった。まず国連の指導の元、インターナショナルの医療系のNGOと外国人専門家は一旦撤退との方針が、国連暫定統治機構UNTAETの保健医療クラスター会議で打ち出されたとのこと。理由としてはカンボジアの国連暫定統治機構UNTACで、国立の医療関係機関がなかなか立ち上がらなかったのは、インターナショナルNGOとインターナショナルの外国人の医療系スタッフがスポイルしていたからだという。つまりインターナショナルの外から来た医師や医療専門家が活躍し過ぎて、カンボジア国内の公的な医療機関が育たなかったからとのこと。また、国際NGOが国内の地元の優秀な人材を集めてしまうので、国の機関がなかなか充実してこなかった。そこでその教訓を生かし、東ティモールでは、なるべく早く国際 NGOとその外国人の医療系スタッフには出てもらい、東ティモール人による東ティモール国内の公立の医療機関を育てて確固たるものとするという方針が出たとのことであった。JICAとしては、これから私が調整員として入るその事業に資金援助したいところではあるが、それにはまず地域で認められ、地域の国連の行政区に認められ、そこから上に上げて国連の指導の基に設立した東ティモール保健省MOHと国連の保健医療アドバイザーに認められなければならないとのこと。
そもそも住民投票の約10年前、カトリックのローマ教皇が訪問した辺りから、カトリック教会は東ティモールでの独立支援活動を活発化させていた。その活動の一つが元々のきっかけで、フィリピンで実践してきた医療クリニックとリフェラル(移送)センターとプライマリヘルスケアの一体型の事業を東ティモールで立ち上げることになった。なので活動そのものは住民投票投票後に入ってきたわけではない。また、実際にやろうとしているそのプライマリヘルスケアは、アルマアタ宣言に則り、医師や医療専門家がいなくても、住民自らが立ち上がり健康を手に入れようというものだ。そしてリフェラルセンターはそのプライマリヘルスケアと地域の統括的な医療システムを繋ぐために、自分たちで扱い切れないケースが生じた時に患者を適切に処置するために、然るべき医療機関に移送する仕組みだ。そしてあくまで現地主体で実施される住民自らが立ち上がって参加する、住民参加形のレジリエンスモデルのプログラムだ。なので、国連暫定統治機構の方針と矛盾することは何一つなかった。これらの点を強調しながら、プログラムの建て付けを図ることとした。

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