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なるべくなら、ちゃんと泣きたい。

「泣く」
という行為が、排泄行為である事は、泣いた後に訪れる「スッキリ感」によって確かめられている所です。宿便を溜め込んでおくのは、体に悪いですから、便も涙もひねり出してスッキリと暮らしていきたい所です。

僕は、「泣く」という行為が苦手です。
苦手であっても、「泣かない」訳では無く、むしろ頻繁に泣いているのですが、そのほとんどが「作り物」を観て、読んで、聞いて、泣いているのです。

近親者の不幸を弔う場に列席して、周囲の人々が肩を震わせて、はらはらと、さめざめと、歯を食いしばって、喉を引き絞って、泣いているのに、僕は全く感情が動かない。という経験を何度もしてきました。
実際、父方の祖父の葬式では
「お前、ちっとも悲しそうじゃないね」
と、叱責めいた言葉を受けました。

これは僕に、確立された宗教観や、それに基づく死生観があって、「死」を前向きに捉えているからぁ!
といった事ではありません。
単純明快に、それまで、目の前にして、その声やニオイや相貌や思考を浴びてきた人物が目の前から消える事、への寂しさは確かにあるのですが、人の死というのは、少なくとも僕が経験してきたリアルな死というのは、とてもあっけなく、時につまらないモノでした。

おそらく、ドラマティックに展開される「作り物」の死に慣れきってしまって、現実の死が、物足りないのです。
僕はきっと、死に対して不感症なのです。

それもこれも結局、自分が一番大事で、他人(身内だろうが)に興味がないのだと思います。「作り物」の世界でがっつりキャラ立ちした人物の有為転変に感情移入するくらいの感受性しかないのだと思います。

そこで、そんな冷徹メディア毒され野郎が、昨日、3回見て1回泣いた動画がコチラです。
Nike の JUST DO IT の 女性アスリート版です。

そして、コレに
日本語字幕を付けてくれている方がいらっしゃったので、そちらも
コチラは一気に意味が通ったので、6回続けて見て、8回は泣きました。
スッキリしました。
とりあえず、現実に身近にいる女性たちに少しは真摯に接しようと思います。たまには、現実に泣けるくらい真摯に。

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