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今更ですが「花に追われた恐竜」

「花に追われた恐竜」のソフトを図書館で借り出すことができるのを知ったので、借りて見てみた。某図書館でメディア化されていることは確認してたんだが、それは視聴覚コーナーでないと閲覧できないみたいで。めんどくさいなあ、と思ってたらコロナでそれどころではなくなってしまったりして。

今回、DVDを借りられる別の図書館にあったのを見つけたのであるが。

んで、見ての感想。もやウィンもびっくりで酷いだろこれ。

……話が飛躍してなにがなんだか、ですね、はい。話を巻き戻すことにする。

花に追われた恐竜という「悪評番組」

 えーとまず、「花に追われた恐竜」って何か、ということから話す必要があるんじゃないかと思う。これは、90年代に放送されたNHKスペシャル「生命」という一連のシリーズの第3回目のタイトルである。

つまり25年くらい前のものなわけで、ようこんなもの手に入ったな、というかようDVD化してたな、とは思う。グッジョブNHK。

まあそれはそれとして、なんでそんな大昔の番組について今更もってきたか。

というのも、この番組、非常に評判が悪かったらしいのである。主に恐竜ファンから。どれくらい評判が悪かったかというと、サイエンスライターの故・金子隆一氏が「科学朝日」の誌面上で大批判をくりひろげ、その後も恐竜に関する著書や編著の中で問題点をこまかく指摘したり、さらにはNHK批判をした、というくらいのしろものである。時期的にまだインターネットはほとんど普及していなかった時代なので、実際の「恐竜ファン」の声は残念ながら拾うことができないのだが。

一例として、金子氏が編集している「最新恐竜事典」(朝日新聞社・1996)では、その名もずばり「花に追われなかった恐竜」という1項を割いて批判にあてているし(ただし執筆者は金子氏ではない)、さらに「後書きに代えて 恐竜研究の過去・現在・未来」というタイトルのメディア批判の項(ちょうどこの少し前にメディアを挙げての恐竜ブームがあったのである)では、こちらは金子氏本人の筆で名指しにして批判している。

これは放送からそこまで時間がたっていない時期だからまだわかるとして、放送から8年後に出版されている「最新恐竜学レポート」(洋泉社・2002)でもこの「花に追われた恐竜」批判にかなりの紙幅を割いている。よほど腹に据えかねていたことがわかる。

では、なんでそこまで評判が悪かったか。

それは、この番組が恐竜の絶滅した事情をめぐって、かなりガセネタ交じりの見解を取り入れたストーリーを紹介していたためである。民放のインチキ臭い話が満載のバラエティで取り上げられたならまだしも、(たぶん)評判が良い信頼のあるNスペで主題かのようにとりあげたというので、それはまあ燃えるというものである。

「花に追われた恐竜」はどんな番組だったか

 では、その「花に追われた恐竜」、具体的にはどのような話なのだろうか。

 タイトルからもうかがえるように、ものすごくつづめて言うなら、恐竜は花に追われたというストーリーである。<s>NHKに忖度して</s>詳しい事実関係などはっきりさせずに要約すればこうなる。

 ジュラ紀の地球は針葉樹の森が栄えており、それを食料とする竜脚類も栄えていた。ところが、白亜紀になると被子植物という新しい花をつける植物が登場して、昆虫や哺乳類といった動物はこの被子植物と共生関係を結ぶようになった。その結果竜脚類は衰退し、のちに被子植物をエサとするようになったトリケラトプスなども哺乳類などのような共生関係を結ぶことはできず、最終的に弱ったところを隕石衝突により滅亡した……

 うん、なんとなくそれっぽいような気がするではないか。

花と恐竜との関係は別に新しくない

 というか、似たような絶滅説について、かつて図鑑などで見かけた覚えのある、という人も多いのではないか。

 個人的な話になるが、この「花に追われた恐竜」が放映されたか、それより少し前くらいのころ、恐竜が好きな子供だった。だから、当時子供向けに提供された「恐竜情報」が何だったか、もある程度覚えている。

 90年代ごろになると、もうすでに絶滅の理由として有力な仮説ということで小惑星の衝突が紹介されていることが多かったのだが、それでも他の説もまだまだ図鑑などで紹介されていた。隕石衝突が最有力で後はおまけという感じでもあまりなく、全部並列されている感じだったのである。そして、その中でしばしば見かけたのが植物によって滅んだという説だ。

「植物が原因で恐竜を滅んだ」というと、まさに上の話ときれいにつながってくる。

 ただし、こちらの場合は、もう少し直截的だ。

 例として、手元にある小学館「恐竜の図鑑」(浜田隆士,1990)を引いてみたい。これは小学校時代クラスメートが学校に持ってきて、恐竜に興味を持つきっかk……まあいいや。この図鑑には、「おもな恐竜絶滅説」として2つの植物による絶滅説が紹介されている。

 一つは「食中毒説」。被子植物に含まれるアルカロイドで植物食恐竜が絶滅し、それにともなって肉食恐竜も絶滅したというもの。

 もうひとつが「便秘説」。ソテツなどに含まれていた成分が排泄に必要だったのだが、自然環境の変化でソテツが少なくなり、植物食恐竜は便秘になり滅んだというもの。

 正直なところ、いずれもかなり穴だらけの説に見える。肉食恐竜といってもすべてが植物食恐竜を襲って食べていたわけではなく、小型爬虫類や昆虫を食べていたものもいたのだから全滅するというのは少し考えにくい。後者に至っては「便秘でほろんだ」という字面だけでそれはなにかおかしいのでは……となる。しかし、これらはいずれもれっきとした研究者によって70年代に提唱されたものだそうなので(媒体は不明)、門外漢の思い付きというわけでもないようだ。

 別の資料として、ホールテッド「デイノサウルス」(築地書館)という本を紹介したい。これは大人向けの図鑑なのだが、原著が1975年で日本語訳が1981年と隕石衝突説が登場する少し前に書かれた本であるため、それより前の時代の恐竜絶滅説をめぐる雰囲気について伺うことができる歴史的な史料として興味深いのである。

 そして、この本の絶滅に関する項でも、「多くの人々は、恐竜の絶滅は新しい顕花植物の拡大と関係があると信じている」という記述がある。

多くの人々は、恐竜の絶滅は新しい顕花植物の拡大と関係があると信じている。それらがあらわれる前には、植物食の恐竜は主として裸子植物の針葉樹や、ソテツ類・シダ類を食べていた。それらのすべてに下剤の効果のある油の成分が含まれていて。恐竜の食物がそうした油の成分を持たない顕花植物の食料に変えられたときに、恐竜たちはおそろしい便秘に悩まされることとなった。その結果、いったん植物食の恐竜がいなくなると、今度は肉食恐竜の食料がなくなることになり、彼らも同じように絶滅していったというのである。しかし、実際には、恐竜の仲間のあるものは、そうした現代的な植物を食物とすることに十分に適応していたので、このことから、この恐竜便秘説は正しいようには思われない。(p110)

 まあ、あくまで多くの人が信じているというだけであって、結果的には疑問符をつけられてしまっているわけで、まあ、そうですよねと。

 この「デイノサウルス」の記述では特に言及されていないが、別の観点からの批判として、タイムラグという問題もある。被子植物は白亜紀前期にはすでに出現していたことが当時もう知られていた。そのため、そこから白亜紀後期までは時間が隔たりすぎるのである。

 それに白亜紀末に滅んだのは別に恐竜だけではない。アンモナイトやモササウルスなど、海の生物だって多くが滅んでいる。つまり植物を食物連鎖のシステムに持っていない動物も巻き込まれている。これはおかしい。ヒサクニヒコ「恐竜はなぜほろんだか?」(あかね書房、1989)はかなり低年齢向けの恐竜本でどちらかというと絵本に近いのだけれど、この本の絶滅説一覧では仮説それぞれについて問題点も紹介してあり、植物による絶滅説についてはこの2つの点をきちんと問題点として指摘してある。すばらしいですね。

 あの、白亜紀ってものすごく長いんですよ。時代区分の区切りには見解のばらつきがあるので一概に言えないが、8000万年くらいはある。つまり、人間からみたティラノサウルス(白亜紀末に生息)とティラノサウルスから見たアロサウルス(ジュラ紀末に生息)と、どっちが時間的に遠い昔かというと、後者だったりするわけで。なので、8000万年とまでいかないにしても数千万年かけて絶滅に追いやった(しかも最後は一斉に全滅)んだとしたら、それは百年殺し的なナニカを被子植物が取得していたのでもない限り、何かほかの理由が複合的に絡んでこないと成立しなさそう、という話になる。

 さて話がそれましたが、というわけで「花に追われた恐竜」。

金子氏の「花に追われた恐竜」批判

 「花に追われた恐竜」はこの説の修正版といえる。つまり「いくらなんでも、食中毒や便秘で絶滅というのはないだろう」「そもそも時間かかりすぎでは」という疑問を解決するために、そして当時はすでにかなりポピュラーになりつつあった隕石説はどうなってるの?イリジウムとか証拠が見つかってるんでしょ?被子植物が作ったアルカロイドはイリジウム配合なの?というようなところにも矛盾しないように、被子植物が「追いやった」というテーマを取り入れた物語として組み立てられている、そういう仕立てだ。

じゃあそれでいいのかというと……やっぱりよくない。

金子氏が「最新恐竜事典」のなかで「花に追われた恐竜」について要約した箇所を引用してみる。

ジュラ紀を通じて地上は巨大な針葉樹の森に覆われ、巨大なカミナリ竜たちはそれを主食としていた。だが、今から一億一〇〇〇万年前、白亜紀の中頃に、突然花をつけるタイプの新しい植物、「被子植物」が出現する。この植物は昆虫と密接な関係を結ぶことによって旺盛な繁殖力を持ち、たちまち針葉樹を駆逐してしまったため、食料のなくなったカミナリ竜は、今から一億三〇〇〇万年前、ジュラ紀の終わりとともに滅亡してしまった。
 そのカミナリ竜と入れ代わるように登場したエドモントサウルスのようなカモハシ恐竜たちは、すでに北極にしか残っていない針葉樹を食べるため、北極に大挙して移動した。一方、角竜だけは被子植物を食べることができたが、彼らも被子植物と密接な関係を結ぶことができず、しだいに生態系の中からスポイルされ、隕石の衝突によって絶滅した(p208)

 時系列が逆転しているのだという。これではなんというか、まともに相手にするのもあほくさい、という気分になってしまうのは自分だけではないだろう。

 また、この番組にはもう一ついわくがある。いやまあここまででもいわくしかないのだが、協力を仰がれた恐竜学者の冨田幸光氏がこのプロットを見せられて「そんなことはありえない」と否定したにもかかわらず、それは無視して番組が制作されてしまったというエピソードである。ちなみに冨田氏は「生命」シリーズの監修者の一人。監修って何だ。さからわないことか。

 ……というわけなのだが、いかんせん元の番組を見ていないので、これ以上のことが分からない。口の悪いことを言うと金子氏の要約がどれくらい妥当なのかもこれだけではわからない。書籍版は持っている(ブックオフで100円で手に入れた。わざわざ買わなくても、所蔵している図書館は多い)のだが、番組の方はわからない。恐竜少年だった時期があるので、もしかしたらそもそもオリジナルの番組を見てたかもしれないのだが、記憶にはない。

 でまあ、昔の番組だしなあと諦めていたのだが、今回DVD版で見ることができたわけだ。ただし、いちおうソフト化にあたって、改変されている可能性はなきにしもあらずなのでそこは注意だが、あんまり心配はなさそうだ。だってそれくらいひでえんだもん

というわけで視聴

カッコイイ音楽とともに始まるこの番組。番組のナレーターは宇宙飛行士の毛利衛氏。古生物学者ではないですね。……まあそれは別にいいのだが、冒頭、こんなことを言っている。

(恐竜の絶滅の原因について)巨大な隕石が衝突したという説が有力ですが、60以上もあるといわれる絶滅説は、いずれも決定的な証拠がないんです。
そんな中で、全く新しい視点から絶滅の謎に迫ろう、という研究が始まっています。それは、恐竜が食べていた、植物との関係です。

ちなみに94年の時点で、巨大隕石説のいわば決定的証拠といえるチクシューブ・クレーターはすでに発見されていたのだが、まあそこは解釈の違いというものはある。だからそれはさておくとしても、しかしこれをもし当時小学生の自分が見たら「?」となったんじゃないかと思う。隕石のことが、ではない。だって植物との関係による絶滅説というのは当時持っていた図鑑にだって書いてあった説なわけだから。

もちろんそういう従来の説「そのもの」ではないのは見ていけばわかるんだけど、植物との関係に理由を見出すのは別に「全く新しく」もなんともない、むしろ古い視点というのは先にも触れたとおり。

ラマルキズム?

「花に追われた恐竜」の論拠としてこの番組で上げられている証拠のどこがおかしいか、というのは金子氏の本で具体的に指摘されているのだが、これについては別項で改めて紹介するとして、ここでは別の切り口を見てみたい。

それは、この番組の進化の概念はなんだかおかしいということだ。

DVDで番組を視聴していると、植物や恐竜の進化についての話になる。植物を食べていたと思われる、三畳紀の恐竜が紹介され、こんなナレーションが入る。

小さかった恐竜は、巨木に追いつこうとするかのように巨大化を始めました。

ラマルクか

 ここで紹介されている「三畳紀に生まれた恐竜」だが、どうも鳥盤類っぽく見える。骨格から恐竜の種類を見分ける能力は残念ながらないのだが、骨格から復元した絵もそれっぽいし、画面に映っている骨格を見ると腰の骨がまっすぐになっているような…… となると、三畳紀の地層から見つかっている数少ない鳥盤類、ピサノサウルスあたりだろうか。

 書籍版で探してみたら、あっさりその画像の出所が書いてあった。カナダの王立ティレル博物館所蔵のヘテロドントサウルスの骨格らしい。……あれ、ナレーションでは「2億2500万年前、三畳紀に生まれた恐竜の仲間です」と言っていたはず…… ヘテロドントサウルスはジュラ紀前期の恐竜である。

 まあそれはいいや。ヘテロドントサウルスの直系の子孫というわけではないにせよ、原始的な鳥盤類からはステゴサウルスやハドロサウルス、トリケラトプスなどみんな大好きな大型の恐竜たちが進化している。そういう話なんですよね?

 ところがそこで話が転換して「そのあと5000万年かけて進化した地上最大の陸上動物」として紹介されるのは首が長い四足歩行の恐竜。どうみても竜脚類である。

 ディプロドクスやブラキオサウルス、アラモサウルスといった、首が長くてものすごく大きい恐竜は竜脚類と言われるグループに属している。この竜脚類は、鳥盤類ではなく、竜盤類と呼ばれるグループである。

 ……まあ、恐竜が好きな子供ならたいてい知っている話だが、恐竜には大きく分けて二種類があり鳥盤類と竜盤類と呼ばれる。この二つの種類は(例外はあるが)腰の骨の構造が異なる。いつごろこの二つが分岐したかはよくわかっていないのだが、おそらくは恐竜の登場のごく初期に分岐していると思われている。なので、竜脚類はヘテロドントサウルスの子孫ではない。

 ところが、あたかも進化が進んだ様子であるかのように画面に登場するのは、どれも竜脚類なのである。そのあと出てくる名前も、ディプロドクスに近縁なバロサウルスだし。

 バロサウルスとヘテロドントサウルスは、「目」のレベルで異なる。「種」とちがって「目」くらいの分類は「どのくらい似通った集まりか」という一定の規則があるわけではないので一概に比較できないとはいえ、これでは同じ植物食だからという理由で、ウサギからゾウが進化したかのように語るようなものだ。あるいは、「知能を発達させた哺乳類」としてイヌとイルカとヒトを並べるようなものである。

 ヘテロドントサウルスが生きていたころ、より竜脚類の先祖に近いところから分岐した原竜脚類(今は使われないが当時はまだ使われてた概念である)がすでに登場している。プラテオサウルス、アンキサウルスなどという名前を耳にしたことがある人も多いであろう、あのグループである。今では原竜脚類は竜脚類の直接の先祖ではないという説が有力らしいのだが、当時はまだ直接の先祖のように書かれることも多かった。いずれにせよ、ピサノサウルスよりはずっと「先祖」であるし、おもに植物を食べていたと考えられる。このあたりは書籍版だと触れられているのだが、番組では特に言及はない。

 まあ、書籍版は書籍版で問題があって、「彼らも竜脚類の子供ほどのサイズしかない」として紹介されるのが体長2mのアンキサウルスとアンモサウルス。体長7mのプラテオサウルスや体長10mのメラノロサウルスはどこへ行ったんでしょうか。少し後のページの「中生代の恐竜と植物」というページではプラテオサウルスが出てくるが、この箇所は見解がかなり本編とは違う記述が目立ち、書籍版を出すにあたって、批判にこたえて付け加えられたページと思われる…… というか、ここの監修は「最新恐竜事典」で「花に追われた恐竜」批判をやっている本多秋正氏である。なんか、こうなあ。

 いやいや、話がそれた。進化の問題である。

 先ほどの「小さかった恐竜は、巨木に追いつこうとするかのように巨大化を始めました」というナレーション。この口ぶりだと、最初のころに小さかった恐竜は、当時すでに巨木がたくさんあったからそれを食べられるようになろうと巨大化したかのようではないですか。

 ラマルクか。今西錦司か。春撒き小麦か。上坂すみれも真っ青か。

 そんなわけでは、もちろんない。実態としては「巨木にも手を付けられた大型の個体がより生存率が高かったから、大型化したものが生き残っていって、結果的に巨大化した」グループの末裔が竜脚類、というはずである。

書籍版だと、カリフォルニア大学サンタバーバラ校のカレン・チン氏の談話としてこんな言が引かれている。

今のキリンと高木の関係があったことは充分考えられます。つまり背をちょっと高くすれば、たくさん餌が手に入る。たくさんの餌が手に入れば、さらに体が大きくなる。そうするとさらに多くの餌が手に入るようになる。
巨大恐竜はこうして、それまでの動物が手にすることができなかった高所の植物を、独占できるようになったのではないでしょうか。

 キリンと高木の関係と言えばダーウィンとラマルクの見方の違いでおなじみの話なので、古生物学者が文字通りの談話としてこれを語ったというのはちょっと信じがたい。それを番組のように表現してしまったのは、元々の発言のレトリックを理解できなかったのでは?という気がするのだが、どうだろう。学者を信じすぎなんですかね。

 だいたい、恐竜の中にはこれ以外の戦略で生き残ったものはいくらでもいる。実際のところ、バロサウルスが栄えていたのと同じころに生息していた、ヘテロドントサウルスの子孫としてよりふさわしい位置にいるヒプシロフォドンはたった全長1.2mである。さほど巨大化していない、どころかヘテロドントサウルスともさして変わらない大きさだ。でもこのヒプシロフォドン科だって白亜紀末まで生き延びた息の長いグループである。立派な勝ち組だ。

 あるいはヒプシロフォドンなどのグループから分岐したグループに含まれるステゴサウルスはどうだろう。確かに、ヒプシロフォドンに比べたら巨大化した恐竜といえる。バロサウルスとは比べ物にならないが、全長9mはでかいだろう。しかしステゴサウルスには巨木は食べることができなかった。首が長くないので、それほど高い木には届かなかったはずである。

 竜脚類の先祖は、たまたま「高いところの葉を食べるような進化戦略で成功した」にすぎないのである。これは、「変化できるものだけが生き残る」とばかりに雑なダーウィニズムを憲法改正のために持ち出したどこぞの政党のマンガ並みではないか。

 あ、冒頭で名前出してたっけ…… まあいいや。

 え、なんですって?「そんなことは大した問題じゃない」?

 そうかなあ。

 実のところこれはあまり些細な問題とは思えない。確かにこれひとつなら、ただのナレーションのレトリックとしてとやかくいうほどのものじゃないかもしれない。でも、この番組は放送を通じて、これ以外にも似たような言い回しが多発している。とりわけ、植物が自ら「共生を選んだ」かのようなナレーションが連発しているのだ。

 というわけでちょっと恐竜から離れて、花についての解説の方を見てみよう。

 巨大恐竜はジュラ紀後期に裸子植物の巨木をエサにして大繁栄した。そしてその一方で、花をつける植物が生まれてくる。そんなくだりで、番組はその経緯をこんな感じに語るのである。いわく、花粉をエサとしていたコガネムシの先祖の昆虫の足にくっつくことで、次のエサ場のめしべに運ばれる、ということがあった、という。まあそれは一つのたとえ話と受け取ればいい。「植物の新たな戦略がこの瞬間から始まったのです」という言い方はいかにも地球上のある一か所で起きたことのように響いてどうかと思うが、まあ仕方ないんじゃないかと思う。

しかしそれにつづいて、植物は

花粉をしめらせ、形を変えて、虫たちの体にたくさん花粉がつくように工夫しました

とくるのだから、だからそういう花粉をつける植物が結果的に繁栄できただけだろうそれは、と思うわけである。

あるいは、

たくさんの花粉を運んでもらえた植物は、さらに花粉をかこむ葉に目立つ色をつけて、昆虫を招きよせるサインを作り出しました。花をつける植物、被子植物はこうして生まれたのです。
さらに、果物という新しいごほうびを作って、種を運んでもらおうとしたのです。そしてそのサインに応えたのが哺乳類だったのです。
リスなどの小動物のために作った、小さな実。サルやチンパンジーのためのちょっと大きな果物。さまざまな大きさ、そして形。
このラグビーボールのように大きな実は、ゾウのために花がつくった特大のごほうびです。

一度気にしてしまうから余計なのかもしれないが、あまりにこういった「植物や動物を擬人化して、主体的に進化したような言い回し」が多い。ラマルクか、と突っ込みたくなるゆえんである。

巨木?

ともあれ、こうして、それまで動物に食べられるだけだった植物は、花をつけることによって動物とともに生き始めたのだ、という。そして、これにともなって裸子植物の衰退をもたらされ、巨木の森は失われていった、というのがこの番組の主張である。

しかし、花をつける植物が増え始めると、巨大な森林はしだいに減っていったのです。

 金子氏の批判のひとつとして、ここで時系列が逆転してしまっているという指摘がある。つまり、被子植物が登場したとされるのが1億1000万年前、巨大恐竜が衰退したのが1億3000万年前、というわけだ。最初に紹介した要約文ではこの数字が当然のように出てくるのだが、しかしこんなものさすがに見ていておかしいと気づく類のものだと思える。このあたり、番組としてはどう年代が言及されているのか。これは番組を見る前から気になっていたことだ。

 まず、1億1000万年前のほうから見ていこう。この年代が出てくるのは、被子植物の台頭についての話の中で、シカゴ自然史博物館のシーンで化石の中から花の痕跡をとりだすところだ。これだけだと、1億1000万年前に花の痕跡のある化石があったのだな、ということしかわからない。もっと前からあったかもしれない。

 ただその少し後のシーンでは、白亜紀前期に登場した被子植物は急速に広がって裸子植物を北に追いやった、というナレーションがあり、これについては時代がはっきり言及されていない。しかしまあだいたい同じくらいのころを指しているのだろうと解釈するならば、「被子植物が出現した」のがこのころなのだと言外に言いたいのだろうな、とは思える。

 そしてそのあと途端にシーンは変わり、裸子植物の森の巨大恐竜の話になる。裸子植物は花に駆逐されて北へと追いやられる。それにともなって裸子植物の巨木たちによる大森林がなくなっていき、巨大恐竜の快適な環境が失われ、それにあわせるかのように衰退していった…… というわけだ。バロサウルスが姿を消したのが「1億3000万年前」であると、ここでもう一つの数字が出てくる。バロサウルスはジュラ紀末のキンメリッジ期~チトン期に生息していたので、その消滅した時期はだいたいジュラ紀の終わりとみなしてよさそうだが、それは番組で紹介されていない情報になる。

 精査すると、いちおう「別につながっていない」ということは可能かもしれないのだが、そもそもNHKスペシャルは論文の査読のために読んでいるわけではないわけで、そこまで懐疑的に見ていないからと言って責められる筋合いもない。かなり紛らわしい展開だと思う。

 少し先のシーンで、こんなナレーションがある。

「花が一気に勢力を増していった白亜紀、北米大陸のジュラ紀に、少なくとも10種類以上いた巨大恐竜たちはわずか1種類を除いて絶滅してしまったのです」

これも、「ジュラ紀末」のことととらえるか、「白亜紀の花が一気に勢力を増していった時期」の前後と捉えるか、かなり微妙ではある。

くりかえすが、テレビというのは丁寧に文章をチェックしながら見るものではないので、ここから「ジュラ紀末とは1憶3000万年前のことだ」と解釈しても不思議はないし、バロサウルスがジュラ紀末の恐竜だと知っていれば(恐竜の図鑑を見れば「ジュラ紀後期の恐竜」と書いてある)なおさらである。

「巨大恐竜の楽園は、終わったのです」

もちろんアラモサウルスやアルゼンチノサウルスなどという白亜紀後期の巨大恐竜の名前はかけらほども出てこない。

書籍版では

書籍版ではこのあたりは少し修正がなされている。修正があること自体は本来いいことなのだが、どうもこれがまた感心しない記述なのである。

まず、コガネムシの先祖が植物との助け合いを始めた時のことを「一億二五〇〇万年前の白亜紀前期、よく晴れた森林での出来事だった」としている。番組から、1500万年ほどさかのぼらせたわけだ。話のソースとなった学者は一体どっちの数字で答えたのだろうか。あるいは、化石の産出期は1億1000万年前で、被子植物が共生関係を結んだのは1億2500万年前と答えたのだろうか。

でもまあこれはまだよい。恐竜の衰退についての記述の変化が謎である。
「謎に包まれた北米の恐竜衰退」と節のついたページで、こう紹介されている。

長く繁栄を続けるかに見えた彼らはしかし、白亜紀に入ると間もなく、アメリカ・ニューメキシコ州から見つかったアラモサウルス一種を除いて、北米大陸ではすべて姿を消してしまうのだ。

 さっき、かけらほども出てこないといったアラモサウルスの名前がここで出てきた。

 金子氏は「最新恐竜学レポート」の中で、この時期の北米の竜脚類のラインナップの入れ替わりについて考証している。これによると、90年代半ばの段階で北米でジュラ紀後期には11属の竜脚類が知られていた。その中にはバロサウルスも含まれている(文中では13属となっているが、2属は疑問名なので除いた)。なお一般的に恐竜の名前と言ってパッと浮かぶのは「属」に相当する名前なので、「種」の数ではなく「属」の数で表記している。ティラノサウルスが属。レックスが種。ともあれ、ジュラ紀後期の北米にはさまざまな竜脚類が生息していたことがうかがえる。

ところがこれが白亜紀前期になると、1属しか見つかっていない。なるほど確かに大激減したようだ。放送のナレーションの「10種類以上いた巨大恐竜は1種類を覗いて絶滅した」という言い回しとも一致するので、大きく違った資料を使っているわけではない……と思うのだが、金子氏の本では、アラモサウルスの名前はない。白亜紀前期に生息していた1属というのは、プレウロコエルスという小型のブラキオサウルス科の恐竜である。まあ、アラモサウルスは白亜紀「後期」の恐竜なので当たり前なのだが、そうすると数が合わない。少なくとも「2種類」いたのではないか?
どっちでもいいではないかと言ってはいけない。番組内で指している「1種類」がプレウロコエルスなら、いちおうナレーションとしてはつじつまが合う。アラモサウルスはさらに後の時代なので、ジュラ紀後期に生息していた10種類以上から、白亜紀前期の1種類へ、という流れが成立するから。そのかわり、ジュラ紀後期に竜脚類は衰退したことになるので、「花に追われた」とすると時系列が逆転してしまう。

アラモサウルスを「1種類」とすると、数が合わない。ところが、アラモサウルスは白亜紀の最後も最後、マーストリヒト期に生息した恐竜なので、空白が広い。これなら時系列を逆転させない余地がある。さてどっちだろう。

なお、金子氏も書籍版「花に追われた恐竜」も触れていない恐竜として、メリーランド州で発見されている「アストロドン」がいる。これはプレウロコエルスのシノニムという説もあるので、カウントしにくいので外されたのかもしれない。

それだけではない。書籍版では、大陸移動に伴って気候の変化が1億2500万年前あたりから始まったためこれが関係あるかもしれないとか、白亜紀前期と後期では明らかに恐竜の種類が違う、というコメントを引いたりとか、さりげなく花の登場より後の時代に「竜脚類の衰退」を印象付けつつ、花が裸子植物を「駆逐」したわけではなくあくまで気候変動への順応性の問題であるというように軌道修正している。修正は悪いことではないが…… 一方で、金子氏は金子氏で、書籍版の存在を知っているはずなのにもかかわらず2001年になっても「進化の本質を理解できないNHK」としてこのあたりを問題点について批判している。まあ、放送当時理解できてなかったのだろうなあ、というのはわかるんですけどね。

恐竜は共生しなくていいのでは?

 それにしても、先ほども述べたように、白亜紀は長い。花が登場したのが1億1000万年前だとしたら、そこから恐竜がいなくなるまでまだ5500万年ある。そのあたりはどうするつもりなのか。

 というところは放送の際のNHKもさすがに無視するわけにはいかなかったようで、番組はトリケラトプスを被子植物を食べていた恐竜として紹介している。ナレーションではこうある。
「ようやく花をつける植物を食べる恐竜が登場したのです」

じゃあ、恐竜は花に追われたのじゃないじゃないか。と思いきや、ナレーションはあまりトリケラトプスに関心を見せず、違うところに着目するのである。

しかし、トリケラトプスの繁栄の陰で、花をつける植物は昆虫だけではなく、さらに新しいパートナーを求め始めていました

 それは何か。哺乳類である。

 恐竜のかげでひっそりと暮らしていた哺乳類は、主に昆虫を食べていたのだが、被子植物が登場することで、その実を食べ始めた。この結果、種は食べたあと吐き出されたり、フンとして広まり、まきちらされる。

 そんな一方で、恐竜はそういう共生関係からはじき出された。ここで、恐竜は花粉と昆虫、果物と哺乳類というような関係からは外れて、生態系からだんだん外れていった可能性は十分考えられる、という談話が語られていく。

植物にとって、トリケラトプスはすべてを食べつくす破壊者だったと考えられています

 よくわからない。哺乳類が種をまき散らしたように、恐竜だって種をまき散らしていいはずである。トリケラトプスは確かに巨大だが、もっと小型の恐竜はいくらでもいた。

 いやいやもっとおかしいのは、別に恐竜が植物と共生関係を結ばなかったからと言って、何も困ることはない、ということだ。アリとアブラムシの関係とは違う。哺乳類と植物が手を結ぼうが、おかまいなしに食べてしまえばいいのである。果物をつけるようになったという植物の進化は、哺乳類に「食べてもらう」ことには貢献できたかもしれないが、「特別な閉じた関係」になることができたわけではない。哺乳類には無毒だが恐竜には有毒な成分が含まれていたとか、そういう話ならわかるが、そうでなかったら、どれだけ共生関係を結ぼうと、横からやってきて全部食い尽くしてしまえばいいだけの話である。

 しかし番組はそんなことも気にせず、その証はアルバータ州レッドディア川での恐竜の数の減少だ、と話を進めていく。7500万年まえには8種類いた角竜は、1000万年後にはわずか2種類になったという。そして代わりに哺乳類の数が10種類から20種類へと増加していた、という。

もはや植物を独占できなくなったトリケラトプスたちの運命を教えてくれます

 とりあえずなあ。トリケラトプスは7500万年前にはまだいないんだよな。トリケラトプスは6500万年前の恐竜である。7500万年まえにいたのはケントロサウルスやスティラコサウルスだ。これはジュラ紀から白亜紀の竜脚類の話もそうなんだが、基本的に何千万年にもわたって連続して生息している恐竜というのはいない。かりに数として減っていなくても、内訳は別々だったりするはずだ。

 いや、それはいい。で、その花と昆虫の共生が恐竜を絶滅においやるメカニズムはいずこ?

 書籍版では、昆虫が木一本を食い尽くして倒壊させてしまうこともできる、マイマイガやイモムシが木の葉を取り払ってしまった例もある、といった例を挙げて恐竜と昆虫の争いについて触れられているのだが、…… 共生関係の話はどうなったんですの? そんな話を除き、どうもこの答えは書籍版にもない。もちろん番組でも出てこない。

 トリケラトプスは北米、主にカナダに栄えていた恐竜である。カナダで白亜紀末に、恐竜の多様性が下がっていたのは本当らしい。ただ、これが全地球で成立していたかというとそれは別の話になるし、それが花のせいかというとそれもあやしい。花が登場してからトリケラトプスの時代まで相当の間があるということ自体は変わりないからだ。7500万年前から6500万年前への動きが、それより前からの流れの一部、というならまあわかるのだが、7500万年前ごろというのはむしろ恐竜の多様性が一番大きかった時期だと考えられている時期である。やっぱりつじつまが合わない

 つまり、やっぱり花の出現と恐竜全体の衰退は、まったくかかわりがないように見えるわけだ。

しかし、北米大陸の化石データは、花、昆虫、そして哺乳類が、ともに繁栄していく中で、恐竜だけが衰退していったたことを示しています。
花が、昆虫や哺乳類と手を結ぶことで作り上げていった新しい世界に恐竜は入ることができなかったのかもしれません。

 恐竜全体が衰退していったとしたら、それは白亜紀の本当に末期だけの話である。竜脚類、ならまだ多少の妥当性があったかもしれないけれど、恐竜全体となるとそんなことはないだろう、としか言いようがない。そして恐竜が共生関係に入り込めないからといって何の関係が……まあいいや。

 全地球的に、6500万年前より前から恐竜が衰退していたのか。これはまだよくわかっていないというのが本当のところのようだ。なので、恐竜の多様性が下がっていたというのは、少なくとも北米ではそのとおりかもしれないが、それ以外の地域ではよく分からない、そうでもない、という研究もある、としかいいようがない。

 この「花に追われた恐竜」のエビデンスとして登場するものが、どれも基本的に北米の話である、というのは気を付けておいた方が良い。実際のところ、書籍版では南米やアジアでは竜脚類が白亜紀にも栄えていたことも紹介されている。

 ともあれ、(少なくとも北米では)こうして6500万年まえの北米大陸には、恐竜の種類は大幅に減少していた。そこにとどめをさしたのが、巨大隕石の衝突である。これを最後に恐竜は姿を消してしまう。
という展開である。そして哺乳類の天下がやってきた……

 さて。

 このNスペが恐竜ファンに評判が悪かったのは容易に想像がつく。それは、ストーリーがでたらめだったから、だけでは多分ないと思う。これは完全に邪推だけれど。

 このNスペは、恐竜を「敗者」として扱っているからである。

 そして、Nスペの製作者側の意図としては、これまた邪推になってしまうのだが、このストーリーは「勝者」の物語として描いている。果物を食べることで共生関係を結び、繁栄した哺乳類は、その先に霊長類というクレードを生み出した。その果てにいるのが「人間」である。

 だから、隕石が衝突して地球上を覆った闇を生き延びた哺乳類について、「花に追われた恐竜」はこんな語り方をしてしまう。

不思議なことに花とともに生き始めた、私たち哺乳類のの祖先は、新しい時代の地球を見ることができたのです。

 どうも、不景気でライバル会社がどんどんつぶれたおかげで大企業だけが生き延びましたみたいな口調が気にかかる。

 この番組の主人公は「花」であり、その花と手を結んだ動物、である。その動物というのは昆虫であって、哺乳類である。

とある植物学者による「再反論」

 この推測は、別方面からも裏付けることができる。

 実は金子氏が批判を「科学朝日」で繰り広げた当時、誌面で「反論」をした人がいる。これは金子氏の本などでは何故かまったくふれられてこないのだが、この論争の核心に迫るためには押さえておく必要のある記事である、と思う。
この反論を投じたのは、当時国際武道大の助教授だった植物学者の西田治文氏である。「花に追われた恐竜」そのものにもかかわっていて、番組の最後に流れるクレジットにも登場する。

 この西田氏は、金子氏と冨田氏が「科学朝日」1994年11月号で「花に追われた恐竜」批判を繰り広げたのを受けて、1995年1月号に反論に反論を寄せた。そこで、こんなことを書いている。

この番組は恐竜番組ではない。わりに避けられがちな植物の進化について、これまでの古生物番組以上に配慮して扱ったつもりである。

植物の進化についての配慮の話などしていないのだから当たり前では?としか言いようがないし、だいたい「花に追われた恐竜」と言うタイトルで何度となく恐竜を登場させている番組を「恐竜番組ではない」と言われても、だからどうした?という話にしかならないのだが、どうも西田氏にとっては大真面目らしい。じゃあなんで「花に追われた恐竜」なの? 番組の中で何種類も登場した恐竜はただのダシかなにかかな?と疑問はどうやら大した問題じゃないようだ。西田氏にとって、この番組のメインテーマは植物相と植物の進化についてであり、恐竜の絶滅に関する部分にはさしたる関心はなかったようなのである。

動物相(種の構成)の移り変わりが、直接・間接に食料として依存する植物相の変化に大きく左右されることは、当然だ。「花(*1)に追われた恐竜」は、その観点をこれまで以上に深く掘り下げ、さらには、人類自体が植物に依存しなければ生きてゆけない、という環境問題に結びつけようとした。その意義は大きいと思っている。
一方、この主題のもとで扱われてた恐竜に関する部分は、番組の中ではわりと小さかった。
(*1というのは注釈だが、ここでは関係ないので注釈部分は省略)

 わりと小さかった、というが、1時間の番組はほとんど恐竜が出てきていたんだが。

さらには

私は、極論すれば科学番組は仮設にもとづいたファンタジーであってさえ良い、と思っている。

 というので、ウソデタラメを放映しても構わない、という考え方の人なのだろう。

 とにかく、この人にとって「貴重な植物学についてのせっかくの番組」だったはずの「花に追われた恐竜」を恐竜学者や恐竜ライターから批判されたのがいたく気に食わないようで、

恐竜学は法律ではない。学問である。自らの法のみを振りかざし、他の思考や感動を葬り去ることは、許されない。

どうも、自分がなぜ許されないか理解できなかったようだ。こういうの、最近の政治状況などを見ていると、本当ぞっとする態度である。

 西田氏は金子氏が指摘している、番組の科学的な間違いについても反論しているのだが、そもそも専門分野が違うということもあって、「でもこういう解釈があっていいじゃないか、五十歩百歩だ」程度のまぜっかえしですらない指摘などに終始しているのであまり意味があるとは思えない。

 しかも、「科学朝日」の同じ号には金子氏と冨田氏が再批判をしていて、西田氏の批判がいかに「あたらない」ものかを再度指摘している。まあこの誌面姿勢そのものはちょっと問題はあって、同じ号に載っているということは「科学朝日」編集部はおそらく西田氏の反論を前もって金子氏と冨田氏に見せて伺いをたてたわけである。論争があまりに長く続いても雑誌としてマイナスになるのでコンパクトにまとめたい、とかそういう理由は想像できなくはないのだが、かなりアンフェアなことをやったという言い方はできる。

 まあそれはそれとして。

 当時のことはもちろんリアルタイムではわからないのだが、西田氏の反論は多分、批判していた人のうちほぼ全員にそっぽをむかれたのではないかと想像する。西田氏の科学的な視点からの指摘は「そういえばいえなくもない」のようなものばかりなのであまり取り上げる価値はないし、西田氏のいう「これは恐竜番組ではない」はある程度、最初から見抜かれていたんじゃないかと推測する。そして「だからこそ」、恐竜ファンはブチ切れたのである、と思う。

Nスペの隠れた意図を読んでみると

 このNスペの主役は、花であり、昆虫であり、哺乳類である。おめえ雑多に列挙すればいいだろと言われそうだが、これらには共通項がある。

 「現代の人間にとって親しみがある」ものである。

 果物はおいしく、そして身近な食物である。花は観賞植物としてあまりにもポピュラーである。昆虫は好きな人も嫌いな人もいるが、花畑を飛び交うハチやチョウは、やっぱり親しみのある光景であることには違いない。<s>まあおれどっちも嫌いですけど</s>

 いや、それだけではない。恐竜がいなくなると同時に哺乳類は「急速に進化していきました」。そして果物を食べる霊長類、つまり我々の祖先が登場する。果物と哺乳類が手を結ぶことによって、ヒトの祖先が出現したというわけである。

 恐竜が生きていたら哺乳類の爆発的な拡散は多分なかった、というのはまあ、実際そうなんだろうなと思うし。

 そんな現代のありふれた自然を、はるか昔にほろんだ「恐竜」と対比させたというわけだ。現代を謳歌するわれわれは、「勝者」であるぞよ。なんて美しい物語!

 たぶん、NHKの製作者サイドとしては、この物語に不快感をおぼえる人が少なからずいる、ということは想像ができなかったのではないだろうか。そして、当時のお茶の間の多くの善良な視聴者にとっても、そうだったのではないかと思う。

だって、恐竜は「遅れたもの」だから。

 ごくごく古い恐竜の本を見ると、恐竜は低く遅れた生物であり、時代についていけなくなって滅んでしまったというシナリオ仕立てのものを見出すのはそれほど難しいことではない。別にそういう話を意図的に作ったという話ではなく、当時はそういう認識だったんだろうと思う。

 とはいえ、こんな見解は、90年代にはもうあんまり信じられていなかったはずである。そのころ恐竜少年をやっていた自分の記憶をたどっても、もうとっくにそのような恐竜像は過去のもの、とされ、「温血動物説」がハバをきかせてた時代である。

 ところが、これがそのまま残っているのが「花に追われた恐竜」なのである。こういった、「低く遅れていた恐竜」に「植物説」をくっつけると、花に追われた恐竜のできあがりだ。あとは、当時ある程度解明されていた隕石による衝突説とのつじつま合わせにすぎない。

すごく身もふたもないことをいえば、そのころにはすでに捨て去られていたいろんな学説をくっつけてつなぎなおすことで作り上げたのが「花に追われた恐竜」だったように読める。ぜんぜん、目新しくない。

 そして1994年の日本は恐竜ブームにわいていた。だから、そこにはそんなこと百も承知の「恐竜ファン」がいた。恐竜ファンにとっても、そりゃあ昆虫も植物も、身の回りにありふれていたはず。でもそれはそれである。「たかがそんなもの」のために、恐竜がdisられているとはどういうことか。

 いや、それが正当なものだったら仕方がないかもしれない。でも、それがデタラメな情報だったら。

 荒れないわけがない。

 西田氏の「反論」は、それをはからずも裏付けている。植物についての番組だというのなら、植物の進化の話をすればよいのに、恐竜についてデタラメな話をくっつけてしまい、しかもそれに無自覚という、これはひどいとしかいいようのないものだ。

 二重にブチきれるのは、このカシオミニを賭けてもいいレベルで、目に見える。

昆虫や哺乳類は、植物と手を結んだからこそ、今の「繁栄があるの”かもしれません”
私たちが花をとても美しい、と思うのは、もしかしたら恐竜が支配していた時代に花に支えられ、花とともに繁栄の第一歩を築いたことを無意識にうけついでいるからなのかもしれません
植物があるからこそ私たちは生きていけるのです。そして植物とともに生きることが何よりも大切なのです
地球生態系の頂点にたつ私たち人類も、植物とともに生きることなくして、繁栄を続けることはできない。花に追われた恐竜たちの運命は、そのことを雄弁に語っているのです


植物の進化を扱った番組としてなら、さほど問題のなかったこんなフレーズ群は、タイトルに恐竜を冠していいかげんな「絶滅説」とくっつけてしまったことで、実にご都合主義な響きになっている。

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