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天使 個人はいない、らしい…

昨日、庭に水をまいてたら上から天使みたいなかわいい声が「ありがと〜!」と聞こえた。

「え、天使?」と本気で思って見上げたら、2階からみっちゃんの頭がちょっこり見えてびっくりした。


神の子なのか

……

自分の過去noteを読み返して、はげまされることが割と多い。

これは2023年の12月の闇記録↓

1年くらい前かと思ったけど今2024年5月だからまだ半年くらい。もっと経ってる感覚だった。

最近、何かわいてから祈って聖霊に持ってってもらうまでのスピードがすごく速くなってる気がしてて(ももこ比)
何かにあきらめがついたのかもしれん

朝、散歩していたら、登校中の中学生が友達と話していて「敗北者!」「敗北者!」というWordを耳が拾った。

敗北しよう
心の平安のために
正しさを主張するときは苦しいばかりよ
キリストよ、わしを幸せな敗北者にしてください🙏

……

以前家族に感じていたウギギギみたいなやつについては「なんでそんなことを気にしていたんだ?」という感覚になってきている。


例えば「お母さんとしてみっちゃんの教育によいことをやらなければ」
というのが私の意識の中で力を持たなくなってきているようで
結論付けられないけれど、半年前よりそこに感情の揺れが見当たらないのは確かである

昨晩、洗濯物をたたむ私の背後で
夕飯を食べながらタブレットでアニメを観ているみっちゃんを認識しつつ

〈みっちゃん〉も、バーチャルだしな…
という思いがふっとわいて、
ああしろこうしろと言う気にならなかった。

たぶん以前なら
家族は一緒に食卓につかなきゃ とか
食べながらタブレット見せたらダメ とか
感情の動きがもっと色々あったような気がする

でも子育ても、祈って「ガイダンスかな」ということをやるらしい
それならできそう
そこからなら動いてもいい感じがする

一歩ずつ一歩ずつ


はるかがシェアしてくれた、Davidの動画がすごくありがたい

人は「人」ではなく
「思考」です。

そして人が「個人的なマインドや個人的な思考を持った個別の存在である」という考え

つまり1つのマインドから切り離されているとあなたが信じている限り、
それは攻撃的思考です。

個人が存在する、という考えは
攻撃的思考
なのです。

行動に対する信念は、攻撃的思考なのです。

【いかなる瞬間においても、肉体は存在しません。】

肉体は、記憶されるか予期されるだけです。

肉体はフィクションーー赦すべき「人としてのアイデンティティ」というフィクションに過ぎません。

……

最近、家族でドライブに行ったとき
Sくんが同じ2曲を延々とBGMにしていて

それがGReeeeNの「愛唄」と、さとうもかの「melt bitter」で、
内容がまったくド反対の曲だったので

こいつの情緒はどうなっとるんや
とわしは助手席で目を点にしていた。


(彼は曲を聞くときバイブレーションだけを楽しんでて全く歌詞に頓着しないので、何百回も聞くのに歌詞を全然覚えない。おかげで私のほうが歌える)

……

ちょっとだけ比べてみても全然正反対のことを歌っている↓

愛唄:
僕の声が続く限り 隣でずっと 愛を唄うよ
歳をとって声が枯れてきたら ずっと手を握るよ
ただアリガトウじゃ伝えきれない
泣き笑いと悲しみ喜びを共に分かち合い生きていこう

melt bitter:
私たちは運命だと本気で思い込んでいたけど 本当は長くいたから似てきただけ
運命なんて信じてた日々よ さようなら

……


繰り返しこの2曲をしつこく聞き続けるのが不思議で、全く一貫性がない選曲だと言おうとして

運転する彼を見たとき

一瞬彼の姿がブレたように見えた。
画面に映る像がビビッとズレたみたいに


これ、バーチャルなのか

脈絡なんかどうでもいい
知覚はころころ変わる
それに何の意味をあてがうか選択するのは私

わしがどちらのラブソングに共感して「世界」の感覚にのめり込んでも
それはこのバーチャルな世界をリアルにするための、外側に力を与えるための自我の仕掛けで

本当の彼(聖霊)は
個別の肉体の恋愛のレベルでは、ももことコミュニケーションをとろうと全くしていない。

バーチャルの像の影法師レベルで愛を唄おうと別れを歌おうとそんなのは本質には全く関係ない

聖霊はずっと

あいしてるよ

しか言ってない



本当につながるのは
Sくんとももこ / みっちゃんとももこ
ではなく

神と(キリスト)(聖霊)ーー神の子


日常生活の中でちらついている

Sくんもみっちゃんも存在してないのかもしれん

私も
存在してないのかもしれん


どうしましょう…

(どうもできんのやけど)

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