株式会社リートだった、ランサーズの「あの頃」 #私とランサーズ
2012年4月から2016年6月まで在籍していたランサーズが先日ついに上場しました。ランサーズのみなさん、本当におめでとうございます。
上場のニュースを見てはあんなことあったな、こんなこともあったな…と思い出すランサーズでの日々。そんな中、ランサーズで一緒にお仕事をしていた蓑口さんの起案ではじまった「ランサーズリレー企画」。ひょんなことからわたしにもバトンをパスしてもらえる機会を得ました。
▼『卒業生がつなぐ#私とランサーズ』 バックナンバーはこちら
・01やましゅー「ベンチャー、ランサーズ、僕」
・02みのぐち「嵐の中を突き進む力 #私とランサーズ 」
・03さかえだ「「戦友」という存在を得た場所 #私とランサーズ 」
・04ザック「RUNサーズ #私とランサーズ 」
・05ぬまぬー「人生を切り開く言霊 〜上司にもらった本気の言葉〜 #私とランサーズ 」
はじめに
私が入社した2012年の4月、鎌倉駅そばの鎌工会館ビル2階に入居していたのは「ランサーズ株式会社」ではなく、「株式会社リート」という小さな小さな会社でした。
採用面接を経て出社初日、「うちの会社、来月名前が変わって、再来月にはオフィス移転するんです」と告げられたときの衝撃。これはえらいところに来てしまった…と思いました。
なぜそう思ったのか、そして鎌倉の中でのオフィス移転の翌年に渋谷に移転した頃のことなど、この機会に書き留めておきたいなと思います。
まずはランサーズに入る前の話から。
産休はあるけど育休がない
新卒で入社した金属系メーカーの販売会社では5年ほど販売促進の仕事に携わっていました。自社ソフトの納品セットアップ、初期インスタレーション、ユーザー用のマニュアル作成に問い合わせ対応はもとより、展示会の企画やデモンストレーションのナレーション原稿書き、実際の会場設営の立ち会い…などなど、全国津々浦々ほんとうに何でも屋さんな日々を過ごしていました。
27歳で結婚して都内に2年住んだのち、旦那さんの実家のある鎌倉に戻ることになり、鎌倉から通勤できる某大学の有期嘱託職員に転職しました。
転職した翌年に妊娠。できたら任期満了までは仕事をしたいと思っていたものの、有期嘱託職員には産休はあるものの育休はない。産後8週で復職できる自信はなく、やむなく退職の道を選びました。
その後フルタイムではなくても、何か仕事をしたいなと思いながら数年。とはいえ都内よりも求人が少ない鎌倉。おまけに小さな子供もいるし…と半ば諦め気味だったところに、海外にいた義理の叔父一家が我が家のすぐ近くに引っ越してくることになりました。
当時孫のいなかった叔父は、我が子を孫のようにかわいがってくれていたのですが、あるとき「オレさ、もっとこの子と遊びたいんだよな。たとえばちょっと仕事探してみるのはどう?もし見つかったら、幼稚園のお迎えもするし、仕事が終わるまでウチで預かれるし。どうかな?」と渡りに船な提案が。叔父のこの一言がなければ、今のわたしはいなかったと言っても過言ではありません。叔父はもとより、今でも余りあるバックアップしてくれている叔父家族みんなにほんとうに感謝しています。
応募したのは家と幼稚園の間にオフィスがあったから
叔父から提案をもらった直後の2012年4月、たまたま求人サイトで見つけたのが、ランサーズというサービスを運営している株式会社リートのカスタマーサポートのアルバイトでした。
当時娘は4歳。幼稚園の年中に進級したばかりでした。
オフィスは我が家と娘の通う幼稚園のちょうど中間。勤務時間は10時から18時。週3日勤務応相談とあります。なんて好条件!サイトで見つけた数日後、物は試しと履歴書を送ったところからすべてはスタートしました。
条件はタイピング練習すること
履歴書を送った数日後、「まずはお会いしましょう」と採用担当の秋好さんなる方から返信をもらいました。会社勤めから離れて5年。採用面接を受けるのも相当久しぶりです。ちょっとドキドキしながら鎌工会館ビルの階段を上がり、オフィスの鉄扉をノックしました。
面接を受けたのはオフィスの一角をパーテーションで仕切った小さな応接スペース。大人が3人座るとぎゅうぎゅうな広さです。メールでやり取りをしていた採用担当と思われる男性の横に、メガネをかけたもうひとりの男性。履歴書に沿って面接は進みます。面接も終盤に差し掛かり、そろそろおしまいかな…と思っていたタイミングで、おもむろに1台のノートPCが差し出されました。
はて…?と思った直後に突然のタイピングテスト。実はタイピングが大の苦手な私。しかも面接という緊張の場で、使い慣れないPC。結果は言うまでもありません。
これダメだな…と諦めていた矢先、まさかの採用通知が。そのメール、今はもう残っていないのですが、「タイピング練習をすることを条件に」という旨が書かれていたことを今でも覚えています。(そして未だに私はタイピングが苦手です)
毎日特訓
社会人ブランク5年で、幼稚園と家の間にオフィスがあるからという理由で応募し、運よく採用された私。のんびり気分で出社した初日に言い渡された社名変更とオフィス移転で試運転気分は早くもどこへやら。
人事担当だと思っていた秋好さんは実は社長で、隣りにいたメガネの男性はエンジニアの聡さん。(聡さんが弟だということはもうちょっと後から知ることになります)お昼休みはご飯を食べた後、渡されたタイピングソフトで練習。定時15分前には社長に呼ばれて、パーテーションの奥へ。毎日「コンペとプロジェクトの違いは?」とか「選定期限ってなんですか?」とか、マンツーマンでサービスの理解度チェックを受けていたのでした。今考えたらなんという密度の高い時間だったことか。結局タイピング練習も社長直々の特訓も、社名変更やオフィス移転が迫るにつれて自然消滅。内心ホッとしたのはここだけの話です。
鎌工会館ビルでの思い出
鎌工会館ビルのオフィスでは社長と聡さんの他に、ポーランド人のエンジニアUくん、営業のYさん、サポートチームの女性4人と一緒に仕事をしていました。
※当時秋好さんのことはみんな「社長」と呼んでいたので、わたしは未だに「秋好さん」って声をかけることになんだかちょっとムズムズします。なのでここでは敢えて「社長」と書くことにします。
このnoteを書くために、実は久しぶりに鎌工会館ビルで一緒に仕事をしていた同じチームのメンバーに、どんなことを覚えてる?って連絡を取ってみたところ、出るわ出るわ懐かしい面白い思い出の数々。ここで一部を披露させてください。
・電話が全然鳴らないから、たまに鳴ると全員ビクッてなった。
・そもそも電話機が家庭用のFAX付き電話機だった。
・合宿で人生ゲームしたら、やっぱり社長が強かった。
・ジェンガが流行って、お昼休みによくやった。
・合宿で突然パワポで「リートやめます!」って言われて超ビビった(社名変更するというくだり)
・問い合わせ数・会員数を毎週出していったらグラフが書ききれなくなっていって、みんなでニヤニヤしてた。
・空調が効かないから窓を開けると書類が飛んでいって大騒ぎになった。
・会議に遅れたら1分10円の罰を科したら、案の定遅刻した社長が翌日うまい棒を死ぬほど買ってきた。
・みんな自転車通勤していて、ヘルメット置き場があった。
・Yさんと無茶なイベントをいっぱいやった。
・やったことない経験はほとんどランサーズでやらせてもらえた感じ。
などなど。そして出た結論。みんな若かった!
社名はランサーズ株式会社へ。オフィスは小町協同ビルへ。
2012年5月社名がランサーズ株式会社に変わりました。その翌月にはオフィスが鎌工会館ビルから小町通りに面した小町協同ビルへ。今までよりもずっと広いオフィス。営業のはずのYさんはなぜか引っ越し大臣に任命され、日々奔走。ほんとうに大変だったと思います。一方ほかのメンバーは新しいオフィスの窓枠にペンキを塗ったり、ブラインドをはめたり、屋上に出て意味もなくウロウロしたり…普段の仕事と並行して慌ただしい中、みんなでワクワクしながら引っ越しの準備を進め、迎えた引越し当日。
なぜ今日…というタイミングで我が子、まさかの水疱瘡発症。困ったな、どうしようと思いながら勤怠用のメーリングリストで連絡をすると、まずは社長から、その後もみんなからぞくぞくと
・子供が病気のときはまずは子供の看病を最優先しよう。
・メンバーを頼ろう。みんなお互いさま。
・無理なく気負いなくでいこう!
と。なんていい会社に入ったんだろうと心から思いました。入社して2ヶ月でみそっかすな私だけど、みんなとは違う形かもしれないけれど、なにかできることを都度見つけて、それをきちんとやろうと決めたのはこのときです。
仕事はもちろんのこと、たまたま自宅からオフィスが徒歩圏内だったので、社長や聡さんをはじめ、メンテナンスで徹夜作業をしているエンジニアチームに差し入れをしに行っては、普段いることのない夜のオフィスでみんなとちょっと雑談して夜道を帰ったこともよく覚えています。
そうこうしているうちに徐々にメンバーも増え、広いなと思っていた協同ビルのオフィスも少し狭く感じるようになってきました。鎌工会館から一緒だったメンバーから新しいメンバーに交代することもでてくる一方、人員増加は続きます。でもまだ引っ越して1年足らず。少し調整すればまだ席もあるしねーと思っていたのですが…
テレワーク第1号
2013年に入った3月か4月頃、オフィスが渋谷に移転することが発表されました。引っ越して1年でまさかの展開。しかも移転先は渋谷。わたし、渋谷まで通勤しないといけないのかな、いや、でもちょっと難しいかもしれない…と頭の中がぐるぐるしはじめて数秒のタイミングで社長から「あ、吉野さんのことはちゃんと考えてるから。辞めるとか考えないでおいてください」と声がかかりました。
オフィスが移転しても辞めなくていい方法。それは「テレワーク」という働き方でした。今では当たり前に聞く「テレワーク」ですが、当時はまだまだ耳慣れない言葉。もちろんランサーズの中で私が第1号。社長と聡さんから「パイロット版として、みんなが後に続けるように気づいた改善点は何でもあげてほしい」と声をかけてもらい、移転するまでの数ヶ月、どういうツールを使って自宅で作業をするのがいいのか、コミュニケーションのとり方をどうするのかなどなど、いろいろな調整を進めていきました。
みんなと離れてひとりで自宅で作業するだけではきっとコミュニケーション面で支障が出るだろうと、まずは2週間に一度渋谷オフィスに出社する日を作ってもらうことにしました。鎌倉から渋谷まで通勤は往復2時間。娘のお迎え時間も考慮すると時短勤務にせざるを得なくなり、結果普段よりも作業時間は2時間短くなります。どうやって限られた時間でパフォーマンスを出すか。悶々と悩んでいたところに聡さんから「まー、渋谷に来る日はみんなと飯食いに行く日だっていうくらいの感覚で来てもらえばいいんすよ」と声をかけてもらったことで少し心が軽くなり、とりあえず2週間後を目標に頑張ろうと、テレワーク第1号の日々がスタートしました。
テレワークって難しい
テレワークでの仕事は思いの外戸惑うことがたくさんありました。今でこそzoomなどのビデオ会議ツールが普及していますが、当時はいざビデオチャットに切り替えると重くて画面が止まってしまったり音声が途切れたり…で使い物にならない。
社内のメンバーにチャットツールでエスカレーションをしてもなかなか返事がもらえない。社内の様子がわからずイライラしたり、忙しいメンバーに負担をかけるのも申し訳ない…と連絡を取ることを躊躇して自己判断し、ユーザーさんへの対応を大きく誤ったこともあります。毎日が文字どおりトライ&エラー。
そのたびに一緒にどうしたらいいか悩み考えてくれたチームのみんなはもとより、直属の上司だったT樫さんとは何度となくぶつかりました。夜中の3時まで意見のぶつけ合いをしたこともあります。
ひとつハードルを超えたと思うと、ハイ次、ハイ次…と間髪いれずに上がってくる新たなカスタマーサポートの課題。一方リモートワークのやり方も常に更新の毎日。あの3年間、ほぼ辛いことで構成されていた記憶しかないのですが、ひとつ課題を乗り越えたときの清々しい達成感がなんともいえず、なによりランサーズを利用してくれているユーザーさんから「ありがとう」のひとことをもらうたびに、こんな面白い仕事があるのかと、カスタマーサポートの醍醐味を知ることのできた貴重な時間だったことは言うまでもありません。
時間と場所にとらわれない新しい働き方を通して
わたしが退職するころには全社的に在宅勤務制度がまわりはじめたことも嬉しかったことのひとつです。また「時間と場所にとらわれない新しい働き方」を自分でも経験し、そこから出てくる課題解決のプロセスを問い合わせ対応に活かすことに繋げられたという経験は何事にもかえがたく、支えてくれたすべての人に感謝の気持ちを伝えたいと思います。
そして件のT樫さんは何度振り返ってみても一緒にお仕事できる機会をもらえてほんとうにラッキーだったなと思う上司であることもここに記しておきます。ランサーズを辞めるときに交わした「いつかまた一緒に仕事したいっすね!」という約束を実現できる日を目標に、今は別の会社でカスタマーサポートの現場リーダーとして、相変わらずトライ&エラーの毎日です。
ランサーズに在籍していた4年間、会社に行くのが楽しくて、仕事ができるのが嬉しくて。本当に充実した時間を過ごすことができました。
最後に渋谷のオフィスに出社したのは2016年6月24日。勤務最終日はテレワークで締めくくりました。T樫さんはじめ、チームのみんなには「最終日に出勤しなよ!」と言ってもらったのですが、最後は3年間のテレワークの日々にありがとうを言いたいなという気持ちと、最後にみんなに姿を見せないことで「またね!」な気持ちでお別れができるかなと思っての選択でした。
そういえばここまで書いていて、送別会をしてもらわないまま3年が経過していることを思い出しました(なかなか予定の調整がつかずそのままになっちゃっただけなのですが…)
なんだかんだで「バイバイ!」ではなく「またね!」と会社を離れることができたのは、この先ランサーズとなんらかのつながりを持ちながら先に進むことができるということの表れなのかもしれません。
最後になりましたが、ふわふわした動機で応募してきた私を採用してくれた社長と聡さん、数多くのチャレンジする機会と、諦めずに突き進むことの大切さを学ぶ機会をほんとうにありがとうございました。これからのランサーズの未来がとても楽しみです!
写真は渋谷出社最終日に。隣に写っているT屋さんは私と兄弟説がでるほど似ていると言われていたのだけれど、改めてみるとなるほど確かに似ている…そして、T樫さんの着ていたTシャツのロゴを見てN岸さんが「下品って書いてある!!」とやいやいいっていたことも思い出しました。全然最後感がない!
2019.12.22 ランサーズ卒業生 吉野里実