猫の尻尾に触れてみる

この記事は久米康之『猫の尻尾も借りてきて』に関する考察記事です。既読であることを前提としてその内容に深く言及しています。
この本の時間の遷移はかなり複雑なのでタイムチャートを作ってみました。PDFファイルですので、ご注意下さい。

[neko1.pdf]は人物単位でまとめたもので、かなり複雑な時間移動をしているのがわかるかと思います。物語としては1995/7/22の朝からスタートします。一方、[neko2.pdf]の方は、これを整理して時間移動が発生するたびに列を分けた形でまとめました。史郎Aがタイムマシンを使うと史郎Bへと移ります。
時間に関しては作品内の時間とは完全に一致させてはおらず、問題ない範囲内においてキリの良い数字を取ってあります。例えば最初に史郎がタイムマシンを稼働させた時間は8時5分なのですがこの表ではきりの良い8時としています。また、亜弓の行動においては具体的な記述が無い部分もあるため、推測して埋めた部分もあり、ひょっとしたら間違っているかもしれませんが、おおよそ問題ない範囲ではないかと思います。
その他、間違いがありましたら遠慮なくご指摘下さい。

では、ネタバレしても構わないという方は続きをどうぞ。

さて問題となるのは、殺された人間を助けようと過去に戻って犯行を阻止してしまうと「親殺しのパラドックス」が発生してしまうことである。この本では全てはあらかじめ予定されていた結果であるという形を取ることで回避している。
予定されていた結果である以上、パラドックスは何も発生していないように見えるのだが、作中でも指摘されているように「存在の環」が発生しており、実はパラドックスは発生している。
もっとも「存在の環」には「親殺しのパラドックス」のような矛盾は無い。ただそれがどこから発生したのか答えることが出来ないだけである。そのため、「存在の環」をパラドックスと見るかどうかという問題もあるが、「存在の環」には劣化問題という物が存在する。
例えばT時間後の未来に行って道ばたに生えている花を持ってきたとしよう。そして持ち帰った花を道ばたに植えるのである。この時点でのこの花の経過時間を0としよう。
やがてT時間経過し、過去の自分がやって来てその花を持ち帰ってしまったとすると「存在の環」が完成するのだが、この花は持ち帰って来たときよりもT時間経っているのである。
T時間経過した花は過去に戻ってさらにT時間経過する。この花の経過時間は0であり同時にT時間でもあるのだ。もちろんT+T+T……時間でもある。この花は瞬く間に成長し、枯れてしまうのであろうか。
しかし、原因と結果をねじ曲げて逆転させた存在なので、経過時間の問題など発生しないとみることも可能である。

作中ではタイムマシンB、タイムマシンC、そしてエンジ色の服という三つの「存在の環」があるとされている。
タイムマシンは一つしか作られていないのにも関わらず、合計三つのタイムマシンが存在し、そしてどこからともなくエンジの服が登場するのである。
しかし作中では指摘されないのだが、その他にもまだあり、亜弓がタイムマシンを盗んだときに、その在処を教えたのが未来の亜弓だったというのも「存在の環」だ。
未来の自分がタイムマシンの在処を教えてくれたのであれば、その未来の自分にタイムマシンの在処を教えたのは誰なのかということになる。
また、祥子がその場所で殺されたという結果を知っているために、その場所を犯行現場に選んだという事になっているため因果関係が逆転して「存在の環」が発生している。
その他、タイムマシンを小型にすることを祥子が提案したという事実にも「存在の環」が発生しているの可能性がある。タイムマシンを小型化するというアイデアを出したのが祥子であり、タイムマシンの小型化という発想の源が、過去の自分の経験から来ていたとすれば、ここに「存在の環」が完成するのだ。過去の自分が小型のタイムマシンを使ったことがあるから、そのように提案し、その結果生まれたタイムマシンを自分が使うことになったとすれば、小型化をいう発想はどこから発生したのであろうか。
もっとも過去の経験からその考えが浮かんだのではなかったとしたら「存在の環」ではなくなってしまう。
とりあえず「存在の環」に関しては作中でもそのようなことが起こっても不思議ではないという解釈であるので、「存在の環」に関してはひとまず中断し、いくつかの疑問点の方を見てみよう。

史郎を中心とした時間遷移の繋がりは非常に良くできていてるのだが、亜弓に関しては語られていない部分が多く、その行動をみてみるといくつか疑問点が出てくる。
一つ目は、タイムマシンを盗んだときに「二度と合うことはありません」と言ったことである。
この時点で亜弓はクローニング技術が未来の世界で可能になるとは知らなかったはずで、未来で祥子になりすます予定だから二度と合うことはないという言動を吐くことはおかしい。
しかし、タイムマシンの在処を教えてくれたのが未来の自分だったという記述がある。その時にこれら全ての情報も教えてもらっていたとすれば先のタイムマシンの在処を知っているという「存在の環」+未来の自分の行動も知っているという「存在の環」とはなるが、言動に関する矛盾はなくなる。
二つ目は、ナイフを買った時間の問題である。
祥子が研究所を出発したのが13時頃、ナイフを買った時間が13時50分頃となっている。ナイフを買ったのは見かけ上は祥子なのだが、実際は祥子になりすました亜弓であることは確かである。そして、亜弓は祥子殺害のために研究所から祥子を追いかけたとされている。祥子が研究所を出発したのが13時である以上、その後で犯行に使うナイフを買うのはおかしい。もちろんタイムマシンを使用すれば、いつの時点でナイフを買っても構わないのだが、その結果として、ナイフを買った場所から海岸まで通常の移動機関ではとうてい不可能な時間で移動したという問題点が発生してしまったでのある。あまりにもずさんすぎる行動だ。もっとも、表層的なレベルでの事件は迷宮入りしてしまったことだろうから、そのあたりは深く考えなかったのかも知れない。
ずさんといえば、もう一点ある。
祥子を殺害した後、遺体を隠す前に史郎に追いかけられタイムマシンで逃亡したのである。そして亜弓としてタイムマシンを盗んだ後に、記憶を喪失した祥子として史郎たちのまえに姿を現すのだ。この時点で亜弓には史郎がどこまでのことを知っているのか判らないのだが、日野ヶ原で追いかけられたことを考えれば、少なくとも史郎が一度はタイムマシンを使用している状態であり、なおかつ、祥子が祥子を殺害するという特異な現象を目の当たりにしていたということは理解できるだろう。
はたしてその状態で、記憶を無くした振りをして祥子として史郎たちに受け入れてもらえるのだろうか。
唯一の望みは見た目上は祥子を殺したのは祥子であって、亜弓でもそれ以外の人間でもない点だ。史郎は祥子に惚れているのである。受け入れてさえもらえれば後は記憶喪失ということで誤魔化しきれないこともないだろう。しかし、史郎たちは祥子が祥子を殺したという不思議な現象の原因を突き止めずにそのままにしておくことができるのだろうか。
また、亜弓は祥子が海岸でタイムマシンを使ってどこかへ行ってしまったという状況を史郎が見ていた事を知っているのである。そのような状況で、当初の予定通り祥子を殺そうとするものだろうか。しかし、結果として考えてみると、計画的なようでいてかなり短絡的な行動に出るタイプだと考えざるをえない。そう考えると、あのような結果に至ってしまったのは本人の短絡的な行動による愚かな行為だったとも言える。
さて、亜弓だけではなく、祥子の行動にも疑問な点がある。
祥子が大鳥海岸まで行ってタイムマシンを動かしたのは、タイムマシンの場所移動能力を知らなかったせいだという風に解釈されたのだが、タイムマシンの操作は音声ガイドに基づくものである。時間指定の後に場所指定の質問が行われるため、祥子がこのタイムマシンで場所移動出来ることを知らないはずがない。
では、これは明らかな矛盾点なのだろうか。
10年前の場合は、時間移動だけで場所移動はしたくなかったと考えることが出来る。ただ単純に未来の時間へと行きたかっただけだとすれば、場所移動をしない理由も納得が出来る。では10年後の場合はどうかといえば、タイムマシンが何回使用できるかわからなかったために場所移動はしなかったのではないのだろうか。タイムマシンの動作は、まず時間移動して次に場所移動するのである。祥子にとってはどのようなエネルギーによって稼働しているのか不明な代物である。時間移動した時点でエネルギー切れを起こしてしまったら、大鳥海岸へ行く手段を調達するのは困難な可能性が高いのだ。そう考えれば、わざわざ大鳥海岸まで行ってタイムマシンを起動した理由も納得することが出来る。しかし、そこまでいうのであれば帰りのことは心配しなかったのか、と考えることも出来るのであるが、一年という期間を待つことが出来なかったことであるからして、帰還することはあまり考慮していなかった可能性が高い。そもそも一年後に行くだけなのだから、帰還出来なかったとしてもそれほど問題が発生するわけでもない。失踪届が出される可能性は高いのだが、死亡扱いまではされないだろう。
うーむ、疑問点は結局解消されてしまった。

さて、ここで何とかしてみたくなるのが「存在の環」である。
パラドックスがあるからこそタイムトラベル物は面白いのだし、「存在の環」など成立するわけがないなどと否定してしまうとそもそもタイムトラベルは可能なのかどうなのかという問題になってしまうわけで、それでは面白くない。あくまでタイムトラベルは可能で、「存在の環」も出来てしまうと仮定した上であれこれ考えてみよう。

まずこの物語が「存在の環」を無くしても成立できるのか考えてみる。
史郎が殺された祥子(亜弓)から回収したタイムマシンを林に渡し、濡れた史郎の服に入れてもらい、それを亜弓に盗ませようとしたことで「存在の環」が発生している。ここで史郎が渡したタイムマシンが間違っていたらどうだろう。この時点で史郎は二つのタイムマシンを持っていたのだから、取り違えてもおかしくはない。そしてエンジの服に入れたのは史郎が殺された祥子(亜弓)から回収したタイムマシンの方なのである。
さて、殺された祥子(亜弓)の持っていたタイムマシンはといえば、史郎の濡れた服から盗んだものである。林が8時15分に登場した史郎に頼まれて入れておいたものだ。しかしこの時点で林は二つのタイムマシンを持っているのである。8時30分に登場した史郎から返してもらったものだ。ここで林がこの二つを取り違えてしまっていたらどうなるだろうか。
8時15分のタイムマシンを入れずに、8時30分の方を入れてしまったとしたら……「存在の環」は消えるのである。
史郎が殺された祥子(亜弓)の持っていたタイムマシンで「存在の環」を作ろうとしたのは、殺されたのが亜弓であることを確定させるためであった。しかし、林の推理により、そのようなことをしなくても殺されたのが亜弓であることは確定できるのである。
ではタイムマシンの「存在の環」は史郎の勇み足だったのであろうか。
ここで、殺された人物を確定させるためという理由を捨て、別の観点から見てみよう。結果として亜弓の持っていたタイムマシンは「存在の環」となりどこからともなく現れた物と化している。史郎と林がうまくやり取りをすれば、このタイムマシンは亜弓だけが持っていることになり、祥子の手に渡ることは起こりえないのである。
史郎の引き出しにあったタイムマシンを祥子が取らずに亜弓が取って交換するという行為も可能であるが、そのような行為をする理由が見あたらないので祥子は亜弓のタイムマシンを手に入れる可能性はないだろう。
すなわち、被害者を確定させると同時に祥子の安全が確保できるのである。祥子と亜弓がどのような行動をしていたのかを知らない史郎としては亜弓の持っているタイムマシンを「存在の環」と化す行動をとっても不思議ではない。
過去へ戻ったときに祥子から受け取ったタイムマシンの方を引き出しの中に入れてしまえば、ここでも「存在の環」が完成し、祥子はここで「存在の環」と化したタイムマシン以外を手に入れる可能性が無くなる。こうすればよりいっそう祥子の無事は確実となるわけだが、既に被害者は確定しているのでそこまでする必要もあるまい。
残るはエンジ色のジャケットの問題となるのだが、うーむこればかりは手がかりが何もない。史郎が「存在の環」を造ろうとしたためにどこからともなく現れた物だとするしかないのか。それとも8時15分に現れた史郎がエンジのジャケットを林に渡してから、8時30分に史郎が現れるまでの本文中では語られていない時間に何かがあったのだろうか。

ここで前提条件を見直してみることにしよう
つまり、全ては予定調和の世界だったという前提条件をである。
林は、過去を変えようとすれば、そこから時間の分岐が始まり元の時間には戻ることが出来ないと言及している。そこで過去は改変されて未来は変わったのだとしたらどのように解釈ができるだろうか。
真っ先に思いつく改変地点は8時15分である。この時点で史郎はタイムマシンの交換を頼みエンジ色のジャケットを林に渡している。この行為の結果、「存在の環」が発生したのである。しかし、本当に分岐はここで発生したのであろうか。
時間的には後になるのだが、物語のタイムライン上では先に発生している8時30分の出来事を振り返ってみると、林の言動はすでに史郎から指示を受けていたと見られる言動なのである。ここで分岐をしていると考えるのは苦しい。しかし、8時30分に現れた史郎が林に勧められてエンジ色のジャケットを着ようとするくだりは少し不自然で、自分の意志で着ようとしたというよりは何者かによって操られて着せさせられたかのような感じである。時間の流れが分岐したというよりもねじ曲げられたと言い換えた方が良いのかも知れない。
テキストをもっと前にさかのぼって読み直していると、物語開始早々に深夜の泥棒騒ぎが起こっている。この泥棒騒ぎが引き出しの中からタイムマシンを引っ張り出す原因となるわけで、そして泥棒の正体は、タイムマシンで時間を間違えてこの時間帯に来てしまった史郎なのである。しかし、テキストを読み解いてみると、このときの泥棒は必ずしも史郎で無くても成立するように書かれている。
つまり、最初の時点では深夜に現れたのは本当の泥棒であったのだが、史郎がタイムマシンを使ったことによって本来は泥棒であった時間軸が史郎が泥棒に間違えられた時間軸に分岐してしまったと考えることも出来るのだ。しかしここで、史郎がこの時間に来てしまった理由が、13時に行こうとしてタイムマシンの設定を1時としてしまったということを考えるとこの分岐説も腑に落ちない部分がある。史郎は何故、13時に行こうとして午後1時、もしくは13時とは言わずに1時と言ってしまったのだろうか。本文の中で言及されているように午前と午後を区別しなかったという、単なる言い間違いとする事も出来るのだが、少し不自然だと考えることも出来る。
祥子が使う事になるタイムマシンを見つけるきっかけであり、なおかつこのタイムマシンは「存在の環」と化していることを考えると、ここでも史郎の言い間違いは何者かの意志によってねじ曲げられた結果だと考えてみたらどうだろうか。
過去に戻ることによって過去を改変することは可能だが、変更しようとしても時間の流れには本来の流れに出来る限り戻ろうとする性質があり、変更が加えられたことによって元の流れに戻ろうとした結果、場合によっては時間の流れが「存在の環」と化して閉じてしまうと考えれば矛盾は発生しないようにも思える。そして何者かの意志とは作者の意志に他ならない。

こうして細かく見ていくと、実に用意周到、何気ない出来事にすらしっかりとした意味が存在していることがわかる。そしてその上で全知全能の作者はひたすら結果を原因に結びつけまくるという芸当をしてのけているのである。


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