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第9回六枚道場(前半)

「憚りの僥倖」大道寺轟天

伊予さんのツィートで目にしていたので伊予さんの『Kの脱糞』と比較してしまいがちなのですが、比較しようがないほど独自の世界。そこは自分自身の文体を持たれていることの力強さで、登場人物の力強さもそこから来ているのかと思いました。
個室の中だけで展開するのかと思っていたら予想外の展開になっていき、それゆえにか、なにがどうなっているのか、じっくり読みなおさないと理解できなかったのですが、じゃあすっきりとわかりやすく書いたら良くなるのかというと、せっかくの持ち味が消えてしまうような気もします。
最後の男の叫びのカギ括弧が閉じられていないところがいいですね。少し前に読んだ、最近のアメリカ人は文章の最後にピリオドがあるとキツイ文章として受け止める人が多いという記事を思い出しました。日本語で言えば文章の最後に句点「。」をつけるつけないとで文章のイメージが異なるか、という問題につながると思うのです。ただ本作の場合は、男の叫びがその後に続く主人公の感嘆につながるという部分を意図されていると思うので、ここ、ちょっとやられたなあと思いました。

「せっかく異世界の女神に呼び出されたのに魔王に送り返されてしまって10年になる件」乙野二郎

最初、タイトルと作者名が間違っているんじゃないかって思いましたよ。今回は乙野さん攻めてきたなあと思っていたら段々とトーンが変わってきてまさかこんなにも重苦しい話になるとは。ダメージが大きすぎます。四肢欠損とかはまだしも言語中枢の損傷は個人的にとても辛く厳しかったので最後のダメージでかすぎました。次はもう少しお手柔らかにお願いします。

「河の向こう側」今村広樹

安定した短さですね。今回は過去作とのつながりが見えなかったのですが、これは次作への伏線なのかな。
騎士なのに剣ではなく銃を使うという部分はちょっと引っかかったのですが、これは騎士が馬鹿にした相手を殺そうとしたのではなく自分で自殺したという意味のためと思えばいいのでしょうか。こめかみなので自殺と捉えたほうが自然なのでしょうけど、相手のこめかみに突きつける可能性もありますね。
で、そこで暗転ならぬ赤転して場面が変わるわけですが、これも悩むところです。転生して生まれ変わったと読むこともできますが、河を挟んだ2つの場所で、死と生が起こったと読むこともできます。

「肩透かし」澪標あわい

澪標さんの小説からはいろいろと学ばさせて、いやじつはテクニックを盗んでいます。今回もいろいろと学ぶ事のできる点があってうれしいのですが、ちょっと引っかかったのは雨宿りしている女性の存在で、去っていく部分が引っかかりました。まあ些細な点ですけど。
遊園地に行く相手のことを「それ」と呼ぶというのが興味深く、主人公は相手のことを「それ」と呼ぶ性格の人間なんだろうと思う反面どうしたら「それ」と呼ぶことができるのかが思い当たらなくって、もう少し考えてみます。
物語を構成する個々の要素が主人公にとってがっかりさせることばかりで、何か起こりそうで起こらない肩透かしの連続と、それがタイトルに結びついていて、物語としてはカタルシスとは無縁なところを突いてきたのは凄い。

「群」吉美駿一郎

まず、冒頭のつかみが抜群ですね。そこから「微細建築値西軍」という言葉が登場して、うますぎるなあ。
相変わらず情報密度が濃く、いつかこんな話を書いてみたいと思いこがれてしまうわけですが、前半部分だけでも面白すぎて、新しいフロアとして意識を持った冒頭の男が途中退場してしまうところがちょっと残念。人魚なんて登場しなくってもいいよと思いたくなったわけですが、それはさておいて、吉美ワールドの人魚は男でも下半身は魚なんでしょうか、それとも二本足? そこが気になってしかたありません。

「未踏の日常」6◯5

これもまた冒頭の一文が魅力的なんですが、残念ながらこの小説は一般的な物語が存在しません。思弁的な内容でどこかしらウイリアム・バロウズあるいはJ・G・バラードのコンデンスト・ノヴェルを彷彿させます。ちょっと違うかもしれませんが。
僕はどっちも苦手なので、内容までは深く読み取れなかったと思います。

「ひまわり」麦倉尚

これまた短く攻めてきました。長けりゃ良いってものでもないですし、六枚使えるからといってギリギリまで使い切らなければいけない理由もないのですが、小説の場合、どうしてもギリギリまで使ってしまいがちですね。
「K」というと、どうしても伊予さんが頭に浮かんでしまって、まあさすがに脱糞はしないだろうけれども「K」は使わないほうがいいんじゃないかと思います。どうしてこうも「K」なんだろうか。
それはともかくとして「K」と呼ぶ場合と「彼」と呼ぶ場合があってこの使い分けが気になりました。あまり効果的じゃないような気もします。「同じ温度の勇気を指先に集め」とか、ところどころ、いいなあと思う表現があって、ちょっと悩んだんですがこれに一票いれました。

「禍中」吉田柚葉

ああ、なんだか自分自身を見ているような感覚で、よくわかるなあ。もちろん僕自身は主人公ほどピリピリとした状況にはないので、ありえたかもしれない自分の世界という感覚なんだけど。
いっぽうでこの小説を読んで感じるのは、この小説に存在する読者に対する信頼で、こんなふうに書けば読者に伝わるだろうという信頼と技術とを土台としている部分に羨ましさがあります。僕はこんなふうに読者を信頼できるのだろうかと。

「理想の妹、舞子」白水縁

読み終えてもう一度冒頭の妹の登場シーンを見直すと、「どっかーん!」と彼女がそう言いたい気持ちがよくわかりますね。
全体としてそつなくまとまって結末も決まっているんですが、どうもひっかかるのはタイトルにある「理想」で、たしかに適度に自分勝手で、でも物分りがよくって、こんな妹は理想といえば理想なんだけれども、読んでいるとどうもピンとこない。対比する形で理想ではない存在があればより一層きわだったのかもしれないけれども、そうするとやはり違った話になってしまって、作者が書きたいものじゃなくなるのでしょう。

「姉ヶ崎の終戦兵」奈良原生織

同じ書き手として、ああ、これはこの組み合わせで書きたかったんだなあというのはよく分かるのですが、祖父の話と姉妹の話がどうも乖離しすぎて繋がりがよく見えないところがもどかしいです。ひょっとして僕が読み取れていないだけなのかもしれないのですが。
でもそれが悪いというわけではなくって、祖父の話と姉妹の話が交互に描かれていって、祖父の話では生から死へと時間軸が流れて、姉妹の方は生から別離へと向かっていく。このゆるやかなつながりというのは、この部分こそが一番書きたかったことなのだろうと思うわけですし、たしかに書きたくなるしいいなあ。そうするとやはりタイトルに、姉妹の存在があればよかったのかもしれません。

「All mine」ケイシー・ブルック

うーむ。次回に出そうと予定していたものとネタがかぶってしまっていました。
それはさておき、ある意味直球すぎて、もう一捻りあったほうがいいんじゃないかと思いたくもなるのですが、それはこの物語の完成度が高いからで、じゃあラストに一捻り入れたら良くなるのかといえば必ずしもそうではありません。やはりこれは変にひねりなんか入れずにストレートに語ったからこそこの味がうまれているので、夾雑物などいりません。
なによりも素晴らしいのは踊り。目の前で踊っている様子が映し出されて、それにともなって音楽が流れ出す官能的な描写ですね。久しぶりにコーネル・ウールリッチの小説を読み直したくなりました。

「雨からはじまる」本條七瀬

冒頭からして今回は本條さんの意気込みが感じられました。え、いつも意気込みはあるって? 失礼しました。
というのは語り手が「僕」と男性だったという部分もあります。他のかたはどうなのかわかりませんが、異性を語り手とするのはなかなか勇気がいることで、ステレオタイプになっていないか、もちろんステレオタイプが悪いわけじゃないのですが、同性ならばステレオタイプにならない物語でも、異性にしてしまったとたんステレオタイプになってしまう、ってことはよくあります。
そんな「僕」の存在ですが、ところどころで、なんだろう? って思う描写があって、この「僕」の全体像があやふやなところが、読んでいてニヤリとさせられました。股の下とか鳴く、専用のシャケ。とりわけ「鳴く」がもうひとりの「鳴く」に掛かっているところはニヤリですね。狙ったでしょう?
と最後まできて、みんな猫が好きなんだなあと。それとやっぱりこういう話は一度は書きたいのかな。
で、申し訳ないけど、語り手が猫だったという話は食傷気味だったので、犬だったら良かったなあ。
あと、本條さんの小説の女性って、男から見るとちょっとどうなの?っていう男ばかりに惚れますね。

「報せ船」伊予夏樹

タイトルが公開されたときに、この話は日本が舞台なのかな、と勝手に思い込んでました。そのせいで、これが伊予さんの作った架空世界の話だったときに、その違和感が結局最後まで抜けきれなかった。ということで申し訳ありません。と謝っておきます。
架空世界を構築するときに、僕もやったことがあるのですが、固有名詞をどうするか、どう系統立てるののかというのは難しい問題で、カタカナにする場合にはベースを英語にするのかそれ以外の言語にするのか、英語にした場合にじゃあその意味と普通の人がその語感から感じ取る意味合いとで差異があるかどうか、とかいろいろと悩みます。とうだうだと書いたのはその部分で引っかかりまくっていたせいで、とくにカローラなんかはそうでした。僕の世代でカローラというとトヨタの車名でカローラは大衆車だったので冥府との差異がどうしても埋まりません。
いっぽうでそういった不自然さを感じさせつつも、主人公の気持ち、ようするに船に乗って帰ってくる人は死人で便りがないのは良い便りでありながらも、恋人が見つからないことに嘆くという気持ちは、ああなるほど、そういう見方ももあるのかと納得するいっぽうで、彼女は心のどこかで恋人の死を望んで、つまり自分自身の平穏を望むという気持ちについて考えさせられました。

「あなたの瞳にファイ消しアタック」夏川大空

こんな話を書くなんてどんな気持ちで書いていたんですかと問い詰めたくなりますね。自分のことはさておいて。
行開けとかそんなことなしにいきなり視点人物を変えて私と俺の二人が交互に物語る。最初は戸惑うのですが、いや最後まで戸惑い続けるわけですが、まあいいんじゃない。と温かい目で見守りたくなるのは作者が楽しんで書いているからでしょう。ですよね。
合間にアイキャッチが入って、これテレビ番組か、と思わせたり、小ネタが効いているのか効いていないのかダダ滑りまくりのような気もするんですけど、じゃあ僕がおなじことしようとしたらもう少し理路整然と書いてしまうので、これは僕が逆立ちしても書けないやつだなあ、とおもうわけです。
でも、反省文、六枚書いてこいって言いたいですよね。この作品に一票投じました。

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