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「吉田進化論」 #5吉田昇矢

Stierdorの一員となったあの日から、1年と4か月が経過しました。
この月日の間に自身にどんな変化があったのか。
「1年間での変化・成長」をテーマに#5吉田昇矢が想いを綴りました。

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今シーズンは5番でプレーしています。学籍番号2023121053、外国語学部中国学科2年の吉田昇矢です。今はヘアバンたまにマンバンのあの人です。あと今はヒゲも養生してます。

2023-2024

まず、なぜフットサル部に入部したのかについて振り返る。元々はフットサル部に入部するつもりは全くなく、かといってやりたいことも特になかったため、大学では学業に集中しようと考えていた。

そんなある日、同じ高校出身の友人にフットサル部の新歓に行かないかと誘われた。高校の先輩で現stierdor主将の生田先輩にも誘ってもらったため、新歓だけならという気持ちで行ってみた。初めて競技としてのフットサルをプレーしてみて、想像以上のキツさから「こんな部活絶対入らない」と心に決めていた。その日一日借りていたシューズを返そうと蓮君の元に行くと、「そのシューズあげるけ入部してや」と言われた。この時に自分の意思の弱さに驚いた。次の日には入部していた。自分がまだ大学デビューできてないのはここで道を間違えてしまったからに違いない。

フットサル部としての活動が始まった。最初はスピード感についていけず、自分だけ明らかに浮いているのが分かる。ボールも収めれない。点も取れない。高校時代に大した結果を残してきたわけではないが、今まで自分がやってきたことを否定されているかのように感じ、試合に関わる回数の少なさから入部早々にいつ部活を辞めるかを考えていた。セットプレーのサインを覚えることが特にできず、普段は温厚なOB港君にもかなり怒られた。恐かった。

そんな中でも蓮君や現在九州屈指のPIVOである青栁翔太先輩に基本的な動きなんかを少しずつ教えてもらいながら毎日過ごしていた。

迎えた初の県大会。出場時間は予選のたった20秒ほど。そこからは1秒も試合に関われず、優勝の瞬間をスタンドで見ていた。2日間のうちのたった20秒。大学生になってまで何をしてるのかわからなかった。ただ、いつもなら不貞腐れて終わっていたが、今回だけは違った。初めて悔しいと思えた。「ここで終われるわけがない、試合に出れるようになるまでは絶対にやめない」と心に誓った。

そこから少しずつではあるが出場機会をもらい、U23の選抜までも経験させてもらって入部当初と比べて間違いなくフットサルに対する意識は変わっていったが、間違いなく県大会が自分の大きな分岐点になったと感じる。

2024-2025

2年目の今年。背番号も1桁台になり、かなり多くの出場機会をもらえるようになった。ボールを収める技術やフィジカル面でもよりPIVOらしくなることができたと思う。九州トップクラスPIVO青栁翔太先生には劣るが。

しかし、今年度の県大会、九州大会では思うような結果を出せず、全国出場の目標は叶わなかった。チームの全国出場に貢献したいと意気込んでいたが実力不足だった。何度自分がミスし、何度先輩や後輩に助けられただろう。元々は試合に出れるようになると辞める予定だったが、これじゃあ終われない。学生リーグもまだまだ続く。全日も控えている。少しでもチームに貢献しないと辞められない。一からPIVOというものの奥深さを教えてくれた青栁翔太老师にプレーと結果で恩返ししないといけない。そんなことより自分自身が全国の舞台で試合をしたい。

よし、決めた。

このチームを全国に導いてからこの部活を辞める。


吉田昇矢
福岡県福津市出身。地元のクラブチーム宗像セントラルで自身のキャリアをスタートさせる。当時はFWとしてプレーしていたそうだ。同クラブのジュニアユースを経て高稜高校サッカー部に進学。大学にはサッカーでの進学を考えていたが勉強による一般入試を選択。北九州市立大学に進学後同大学のフットサル部に入部。本人曰く、当初は全く入る気がなく、同期と高校の先輩の熱烈な勧誘により入部を決めたという。大学では中国学科に所属。他学科との生徒と授業で交流した際、第二外国語で中国語を選択していた学生が自身より流暢に中国語を話しており、かなりショックを受けたそう。本人曰くリスニングが大の苦手だそう。

公式Instagram:@shoya.04908


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