見出し画像

しかし、パラレルはそこに


鼻から空気が細く吹き抜ける音が鳴る。
どこからか、あるいは何者からかやってきたそれは
細胞によってカラダを構成せず、自分以外の細胞に入り込んでは生命を繋ぎ止めているらしい。
コイツがアタシの体の所々に自らの存在を知らせるサインを出し始めてから数日。鼻は依然詰まったりそうでなかったり。連発していたくしゃみは止まったものの、喉に引っかかった痰がしつこい。
どうぞアタシの身体を啄み、またどこかの誰かのところへ住み着くのでしょう。さようなら。


りんごを食べる。
数時間ほど前に遅めの朝ごはんを食べ、食事をするにはそれほど腹は減ってない。しかし母親の作る夕食は美味しく腹一杯頂きたいのである。

よし、りんごを食べる。

りんごの形はちょうど、以前読んだ宇宙の図鑑に載っている“ブラックホール”を解説する図に非常に似ている。多くの星々がその深い闇に引き寄せられ我々の想像もつかない次元で未来に押し出されていく。行ったり来たりの未知数な天体。
比べてその鮮やかな色彩を放ち、香りや手触りといった情報を我々が理解できる次元で伝えてくれるため、りんごもまた美しく、美味しい。
「伝わる」ことは優しく有難い性質なのだ。

母親がやっていたのを見よう見まねに、その紅く不細工な球体を適当に切り分け、刃の柄に近いところを使って種とその周りを除けていく。
不器用な造形。さして上手く切れたわけでもなかったがそのまま齧りつくよりは、手も文庫本も汚さずに済んだはずだ。

こたつに入りながら昼下がりに読み耽る。
haruka nakamuraを聴きながら出来うる限り生み出した安心を掻きむしるように、両手で包んだ「ぼぎわんが、来る」が心の中に“混沌”の二文字を浮かばせる。

遠くの空に青色が覗き、そして消えた。

人間がどんな風圧にも耐えられる仕様になってなくてよかったなと思う。

車に乗っている時、フロントガラスにしがみ付いては消えていく虫を見てふと考える。
強風に飛ばされてこその命なのでは、と。
どんなに強い風が吹いてもしがみ付いて立ち続ける。するといずれは足元から引きちぎれて、二度と立ち上がれなくなる。
こんな想像をどうにもしてしまう。
風下に向けて進むことで助かる瞬間もあるのかもしれない。虫たちはその強い衝撃に耐えうる硬い体を身につけ、風に飛ばされる道を選んだのだと。
吹き飛ばされるから、もう一度スタートラインに立てる。

人が何かに立ち向かう姿というのは、なんとも凛々しく格好がつく。
真似してみるのもいい。

向かい風には無理に立ち向かわなくていい。
抗い続けて立ち上がれなくなるくらいなら、
何度でも吹き飛ばされてまた始めよう。

アタシ自身、逆境に立たされているなんて微塵も思ってはいない。
ただ新しいことを始める時、誰かしらと闘うとか、目の前の困難を逆風に例えるとか、自分は弱いと思い込ませることがいい薬になってる気がする。

何事もスタートラインに立てるうちは、なんとかなる気がする。この高校生活でなんとなく学んできた。
今のうちに難しことも、恥ずかしいことも、小さな失敗の連続も。欲張ってみても誰も怒らなかった。

正解は「ない」のではない。
正解はある。人それぞれ。
それを掴みかけた気がする。嬉しいのね。

誰かにもらった言葉を、特に何も考えず、咀嚼もせず、ただゆっくりと飲み込むことができたなら。

愛してる。ただそれだけでいいじゃないか。

東京駅には本当にたくさんの人がいるもので。
旅立つ者。帰り来る者。前を向く者。下を向く者。
笑う者。苦悶する者。泣く者。喜ぶ者。悲しむ者。
本当にこの街は大きく、そしてアタシたちは皆近くにいる。
とても素敵なことだ。
あの時のあなたは今のあなた。
あの時のアタシは今のアタシ。
それでもこうして会えば、あぁ、あの時の。
本当に素敵な人たちが囲んでくれた。

あなたはアタシと一緒に夢を語ってくれた。
あなたはアタシの目標を応援してくれた。
あなたはアタシのことを待ってくれていた。
あなたはアタシに会いに来てくれた。
あなたはアタシと一緒にたくさん歩いてくれた。
あなたはアタシと一緒に歌ってくれた。
あなたたちはアタシの夢です。

あなたみたいになれたらな。
だけどあなたはあなただけでいてほしい。
あなたはあなただけだから好きなのです。
永遠の闇の向こうに行けばもう一つの世界があってそこにはもう一人のあなたとアタシが“ある”のかもしれない。

カラスだろうか。
100羽ほどが空に円を描きながらゆらゆら飛んでいた。
それは突然解けたかと思うと、一羽いちわがどいつかの尾を追うようにしてまた回遊を始めた。
何を追い何に追われ、何を見下ろしているのだろう。

人間であるアタシはつい、空を舞う鳥たちは常に何かを見下ろしているかのように考えてしまう。
人が他人より優位に立つと他を見下ろし、無限の頂を見上げることを忘れてしまう構図はこうして生まれるのだろう。

例えば鳥たちも空を見上げることがあるとしたら?
灰色の雲か、人間が生み出した飛行機か、地球の陰に姿を隠す白い月か、金色に輝く星々か。
それらもまた何かを夢見ては、自らより遠い場所に位置する物事を見上げ、思いを馳せているのかもしれない。

探し求めている物事も、世界で活躍する芸能人やスポーツ選手も、死んでしまったあの人も。
人は皆、星に例え、仰ぎ、馳せる。
アタシたちが創り上げた星たちは今もなお燃え続け、やがて忘れ去られ、そして人は空を見上げ思い出す。
手に入らないものを探すため、アタシはまた出かけたり出かけなかったりするのだ。


北陸の12月には似つかわしくない澄んだ青空の下、
ふと思い出すのだった。

アタシはどうやら、一人ではない。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?