エアメール

大好きな人、お世話になった人、気になっている人、応援している人、推し、昔喧嘩した人が
しばらく音沙汰ないと死んでしまったんじゃないかと考えてしまう悪い癖があります。
声を聞かせてとは言わないので。
お元気してますか?

年賀状を除けば、この19年5ヶ月という長い年月の間に何枚かお手紙をもらったことがある。
保育園の時に先生にうす暗い別室へ呼び出され
お友達からこっそりと渡してもらう
カラフルな折り紙に書いて渡された
あの小っ恥ずかしい感覚。
折り紙なんてもう何年触っていないことだろうか。

暑中見舞いが届いた。
無地の葉書にシタタめられた鉛筆書きのそれは
去年同じ通信制高校を卒業した先輩からだった。
先輩だけど同い年。ちなみにそれを知ったのは
卒業式を二、三週間後に控えた頃だった。
その人は生徒会にいたときに信じられないほどの
コミュ能力で私の心をこじ開けた人であり、
現在通っている通信制に入学して初めてまともに話した女子生徒だった。
また恐らくあの学年で一番お世話になった先輩であり、アタシの中では肩書きが多い。
彼女が卒業してから誕生日の日にLINEをもらったが、その後まともな会話をした記憶がなかった。
小さな葉書にあった彼女の性格を思い出させる大担な筆致の氏名は、あの日々を思い出させるには十分な ほどの魔法がかかっていたに違いない。
願わくば彼女に会いたいのだ。

遠回しに物事を伝えるのが実は得意なのに
思った通り率直に伝えるのは実は苦手だよな
と最近思う。

会話とは、想いを口に出す勇気と相手の想いを受け止める勇気が必要なのだ。
相手のことを思いやるあまり、
相手の心を庇うあまり、
言葉は相手の急所を突いてしまうことがある。

ごめんなさいといいます。

商店街やデパートが苦手だった。
半年ほど騒がしい環境を体が全く受け付けなくなった時期がある。
ただ疲れるのだ。音が体にぶつかってくるイメージ。
ちょうど1年前に東京に引き出してくれたのが
SHIMAISHIBAIで、彼女たちがいなければ
もうしばらく音のある生活に戻るのが遅かった訳で
あの日六本木で大音圧を浴びたあの瞬間に
アタシは生き返りました。


アタシはなんとか元気にしています。
あなたは元気ですか?
近いうちにあなたに会いに行きます。
会ってくれますか?
覚えていてくれますか?
また書きます。

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