音ゲーのために生きてきた僕が音楽ゲームに貢献しようとしてる話

音楽ゲーム系クリエイターのレオノアです。

いま、自分のマネタイズには時間制限を設けていて、急いでクラウドファンディングをスタートさせないといけないときです。

急いでも結果が出ないというのは百も承知ですが、行動を起こさないと結果にも繋がらないのでやるしかないです。では、僕がどういった活動で何をファンディングしてどうやって人に貢献していきたいか?それをノートにぶちまけておきたいと思います。



まず、僕には音楽ゲーム(以下、音ゲー)のeSports化を支える一人になりたいという目標があります。なぜかというと、音ゲーをもっと多くの人に楽しんでほしい音楽を知るためのより身近な手段にしてほしいという思いがあるからです。

〜過去編に突入〜

僕が音ゲーと初めて出会ったのはDDR(ダンレボ)からなんですが、めちゃくちゃハマりだしたのは小学4年生の頃。家に帰ったらなんかドラムマニアってゲームがコントローラー付きで置いてありました。兄の所有物だったかと思います。叩いてみるとまあ面白いこと。音楽に合わせて叩くという未知の快感を覚えてしまい、1ヶ月もしないうちに中級レベルの曲にも挑戦していました。

そのゲームで遊べる楽曲は一部の有名曲や版権のある曲、あとはKONAMIのオリジナル曲でした。もともと流行りの音楽には疎い方でしたが、両親が音楽好きなこともあってか僕はどんどんオリジナル曲が大好きになっていきました。

「なんだこの音楽!?ぜんぜん聴いたことない曲調・・・でもすごい面白い!」

そこにはロックありジャズありプログレありの、世間からはマニアックどころか知られてさえいないジャンルの曲がどっさり。もちろん当時の僕はジャンル名さえ把握していません。それなのにアーティストたちの音楽がほんとにクオリティ高くって・・・僕はどんどんギタドラ(ギターフリークス&ドラムマニア)が好きになる一方で、テレビで聞くメジャーシーンの音楽が大っ嫌いにもなりました。

今思えば音質のせいもあるかと思いますが、「どうしてテレビの音楽はつまらないものばっりなの?こっちの方が面白いのに!」と本気で思ってました。

しかし、残念ながら友達はこのゲームも知らないし、その音楽にも興味を示してくれませんでした・・・誰とも共感できないまま中学時代に突入、僕はドラムが遊びたくてゲームセンターにも行くようになりました。

ゲームセンターに行くと、そこには別のゲームも置いてありました。ビートマニアやポップンミュージックも置いてあったのに僕はよく知らないゲームだからと近づきませんでした。それらがKONAMIのBEMANIシリーズの音ゲーであると、中3から徐々には理解してきたかと思います。(ほんとに知らなくて損した気分・・・)中3の頃にはやっと一人、ギタドラのことを知ってる友人がいました。そこまでやりこんではいなかったけど、好きな曲の話が少しできてめちゃくちゃ嬉しかった。

高校時代は実はちょっとした「音ゲーブーム」の時期でした。が、やはり音ゲーのこと知ってるのは学校中で数人でした。ブームとは全国的にみてとか、沖縄以外の学生で起こったのでしょう・・・太鼓の達人だけ異様に盛り上がってました。もう既にゲーセンにあったものなので・・・とにかく沖縄はブームの波が遅い。

しかし僕の音ゲー熱、そして音楽熱は冷めない。高2の時期には音大に行くためにピアノや作曲のレッスンを習ったりし始めました。音ゲーに触れた小学時代から今まで自己流でやっていましたがここから本格的に通いだす。

これがめちゃくちゃ辛かった・・・先生からの課題をこなせず、怒鳴られました。やってこないのに真面目な僕は怒鳴られたことに対してすごくびっくりしました。そもそも周りにも頑張り方なんて教わってこなかったし・・・やってこない自分が悪いとただただ責める日々でした。

色々あって先生を変え音大受験ゼミに通いました。そこでは怒鳴られることはなかったのでなんとか自分なりに頑張れたと思います。結局、音大は地元の大学に通うことに。自分もいつか音ゲーみたいな音楽作るんだ・・・そういう気持ちしかなかったです。

しかしその気持ちを人にはあまり言えなかった。音ゲーのことは先生も先輩も知らないし。自分の好きな音楽について語れないもどかしさしかありませんでした。

大学でも悶々とした日は続きます。大学はやはりクラシック系に偏った勉強の場所・・・授業で得た知識は役立ってますが、何を作曲したいのか明確でなかった僕にはせっかくのレッスンを能動的に受けることはできませんでした。

音ゲーを知ってる人も少なく、20歳になると周りからはしっかりしてないことで注意を受け・・・自分がADHDだと発覚したところから、学校へ行くことが難しくなってきました。

それでも音ゲーは、イベントやらなんやらで盛り上がりを見せ、自分の心の支えとなっていました。ライブに行ってなかったら死んでたんじゃないかな。



大学2年の夏、運命のライブと出会います。

『BEMANI ROCK FES’16』

僕の大好きなドラマニの曲をたくさんやるぞ!ということで、急いでチケットを買って、沖縄から単身で挑みました。

そこで演奏された69曲(!!)もの楽曲はどれも自分にとって馴染みの深いもので、それが目の前で演奏されているのが奇跡としか思えませんでした。しかもそういったライブは小規模なものなら前々からやっていた!初めて参戦した僕は知らなかったことをすっごく後悔しました。知ってれば行ってた。

そしてアンコールで演奏された『The Least 100sec.』音ゲーに初めて触れたときから知ってるこの曲が演奏されたとき、涙が止まりませんでした。聴こえ方もおかしくなるくらいには泣いていたと思います。

「みんなが音ゲーのことを知っていて、この場で共有できるなんてなんて素晴らしいんだ・・・」このライブを体験した後はほんとに胸がいっぱいでした。しばらくは思い出しただけで込み上げてくるくらい感動しました。人生で一番感動したライブだったんです。

僕は、この舞台を目指すことを決めました。


〜そして現在へ〜

大学3年生から一年は休学して大学を辞めたのは去年度、今年の三月までは一応、大学生でした。しかし十二月にはもう既に友達に誘われて東京へと移り住んでいました。僕にはもうこのつながりしかないと思い、重たい気持ちのまま上京しました。

この友達と出会えたのは偶然で、大学時代に唯一学校以外で知り合ったのですが、今では音楽的パートナーであり同居人なのが不思議です。でも音楽的にも変態で、かつ音ゲーにも理解があったので上京の誘いにはすぐ乗りました。そこからまた僕の人生はガラリと変わってしまうのです。

そいつはやはり変わったやつで、名前はキーカ。いまこうしてnoteをやってるのもこいつの提案ですが・・・それは置いといて。音楽の、特に売り方に対しても既に新しい情報を仕入れていました。

当初は二人でバンドを組む方向でしたが、今は僕からの提案もあり同人音楽系で活躍しようという流れになっています。そんな僕らが出会った新しいビジネス、音楽の形・・・それがコミュニティビジネスでした。

このコミュニティビジネス、今、特に音楽で取り組んでる人は少なく、一番成功して有名なのは『アイオーミュージック』という『音楽事業コンサルタント』です。キーカからアイオーミュージックについてメルマガを教えてもらったときは怪しい感じでしたが、代表の石田ごうきさんが出した著書などにも目を通していくうちに、この人たちが一番音楽に真剣で、関わらないといけないなと思うようになりました。なので僕たちは資金を貯めたらもうこのコミュニティに入ります。

そして音楽について二人で真剣に考えるうちに更に重要な考えと出会っていきます。

キーワードは『超コンテンツ主義』と『メンター』。

ここでは省略しますが、いい作品を届ける様々な人たちがこれらの考えに出会っている、そういう風に実行できてるだろうなという確信が生まれてきました。

今までは自分はなんてダメなんだと悲観するだけでした・・・でもそうじゃない。自分をそのレベルにとどめているのは自分だったんだと初めて気付けました。高い欲求を満たすために、何かを積み上げた人だけがすごいということも。



そして僕にも積み上げてきたものがあるんだと気付きました!それが『音ゲー』なんです。音楽も大好きだけどそれ以前に音ゲーが大好きなんです。

音ゲーと音楽は切っても切り離せません。音楽ゲームの主役はなんといっても『音楽』なんです。音ゲーを無視して音楽のフィールドだけで活躍していこうとは、僕には到底思えませんでした。

今。音ゲーのフィールドは明るくありません。どの企業も目先の利益を求めてゲームを衰退させていってます。このままでは業界が寿命を終えるだけです。特にeSports化の難しい日本ではガチャやイベントだけでは先の利益は無くなります。

では、個人である僕には何ができるか?いちユーザーとしてゲームに貢献するにはどうすれいいか?それは、ゲームのコミュニティを作り一番大きな場所に拡大させるしかありません。

そうしてコミュニティをどんどん大きくしたりお金を動かしたりすると何ができるか?スポンサーにだってなれるし、アーティストやゲーマーとしての自己投資を増やせる。それを他人にもなに不自由なく実行できるんです。

現在、僕はまず既存のコミュニティに貢献したいと考えています。他のコミュニティに貢献するにももちろん知名度や実力が問われるのですが・・・

その一歩を踏みたい!そのためにも、今計画しているクラウドファンディングには実行する価値があるんです。これは正直、失敗してもかまいません。次のマネタイズへ活きる貴重な経験になるからです。

ファンディングへのバックとしては音楽制作者、演奏者としてできることを、そして音ゲーマーとしてできることを細かく書き出します。そういったものをAll-In形式(目標金額未達成でも入金され、誓約が実行されるプラン)で継続的に呼びかけつつもゲーマーや音楽人に向けたワークッショップなどのイベントをAll-or-Nothing形式(未達成だと全額返金)で募り開催する算段です。

近日、僕は動画サイトやフリーゲームでの活動、自身のサイトを更新しながらクラウドファンディングの情報を公開します。おそらく音ゲーマーとしては初めてです・・・しかしどれも、最初のパトロンがいなければ成り立たないことでもあります。この記事を読んで「応援したい!」と思ったゲーム好き、音楽好きな皆さんにも僕のファンディングの『中身』をよく見ておいてほしいんです。内容が薄ければ支持されませんから・・・

この投稿にもファンディングのページを載せます。この記事もどれくらいの人に響くかはわかりません。ですが拡散していただければ幸いです。僕の考えへの賛同、疑問、批判はここでもそうですしtwitter でも言っていただけらと思います。ここまで長々と読んでくださった方はほんとにありがとうございます。少しでも共感してもらえたら僕は大変喜びますm(__)m


どんな形であれ、僕は音ゲーに一生関わり続けます。


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