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ロンググッドバイ

いつかどこかで聞いた話だが世の中には接客業ができないタイプのコミュ障とできるタイプのコミュ障がいて、前者はシンプルにあがり症だったり喋るのが下手だったりとかそういうアレだが後者はガチで人類そのものに興味が無く、ほとんどの他人を書き割りも同然に見做しているためやろうと思えばあっさり割り切って健常なコミュニケーション能力を発揮できてしまうものらしく、長らく自分は完全に前者だと思っていたがどちらかと言えば後者に近いようだということに気づけたのが不毛極まるアルバイター生活において幾許かの接客業務の経験値と共に得られた数少ない成果の一つと言えるのかもしれない。ともあれ、なんやかんやで足掛け二年半に及んだヒューマンデブリ迎撃任務も無事に兵役満了、晴れて自由の身となった俺なのである。まあほんの二週間後くらいにはまた違った形で社会の歯車に組み込まれる予定なわけだが、とりあえず今はつかの間の休息を謳歌しつつ、急ピッチで引っ越しの準備を進めたり、進めなかったりしている。

さしあたりの仮の宿として就いた腰掛け仕事とはいえ、2年半も身を置いていればそれなりの愛着らしきものも多少は湧いてくる。もう客が捨てていったレシートからクーポン券を切り取ってネコババしたり、廃棄のおにぎりに昆布茶をかけてお茶漬けにして夜食に食べたり、廃棄のホットドッグに大量のデスソースをかけて缶チューハイで流し込んだり、廃棄のパッサパサになったからあげクンを卵でとじてご飯に乗せて食べることもなくなると思うと一抹の寂しさを感じなくもないし、今まで店と客から受けてきた散々な仕打ちの数々もこの解放感に身を任せればなんだか全て鷹揚に許してしまえそうな気がしてくるが、しかし考えてみれば俺がバイトを始めて最初の一年で10キロ近く太ってしまったのは生来の運動不足もあるがこのように添加物まみれのコンビニフーズやカップ麺の類を日常的に喰らっていた所為であることは明白だし、近頃頓に勢いを増している我が食欲の由来を鑑みれば来る日も来る日も日本語の通じないジジババ共を相手に不本意なおべっかを振り撒いたり連絡のひとつもなしにシフトを勝手に変更するボケ店長やカスオーナーに予定を破壊されまくって神経を削られてきたストレスがどう考えても一番の原因であるからしてやっぱり絶対に許せない。誰が許すかアホめ。瘦せ型なのが唯一のアイデンティティだったのに。今の俺の無惨極まりない腹の肉をつまんでみろ。むにむにしているぞ。働かされすぎて痩せるなら分かるけど逆に太ることってある?絶対に許さんぞカス共が。最低賃金(853円)で散々こき使いやがって。皆さんは一日の中で朝勤と日勤と夕勤と夜勤の全部に出たことがありますか?14時間労働したあと3時間寝てまたすぐ9時間労働したことがありますか?僕はあります。その程度で音を上げるなんて情けないとか、そもそも学生時代真面目に就活しなかったのが悪いとか言われたらそれはそうなのかもしれませんけどね、でも実際けっこう忙しいんですよコンビニバイトって。覚えることクッソ多いし、時間帯にもよるけど絶えず客が来るから集中を切らしていいタイミングが全く無いか、あっても不規則かつごく僅かで、本当に気の休まる暇がないんです。特に俺が働いてたとこなんかそこそこ繁盛してるくせに慢性的な人手不足で、店側も何を面倒くさがってるのか一向に新人を募集しようとしないでどの時間帯にも自在に出勤できる俺を限界以上に酷使することでどうにか騙し騙しシフトを回してる有様でしたからね。平時でもキツいくらいのシフトを就活してるのに入れてくるんじゃないよ。こちとら一か月前から「ぼちぼち就活に本腰入れるんでシフト減らしてください」って頼んでただろうが。一か月もあったんだからもっとこう、他店からヘルプを募るなり何なりの対策を講じられただろうに、なんで俺一人に頼ってやり過ごそうとするんだ。ちょっと連絡してスケジュールをすり合わせればもっと余裕のある形で体制を維持できたところを、店側が実際さほどでもないであろう手間を惜しんだ、その怠惰の結果として、俺は就活や自己研鑽やちんちんいじりなどの諸活動に充てられたはずの自由な時間を徒に浪費させられてしまった。ケチ臭いにも程がある。人間を何だと思ってるんだ。本を正せば新人が来ないのだって立地条件もあるだろうけど最たる理由は単純に忙しさの割に給料が低すぎるからだろうし、素直に金を出せば解決するものをどうにかして金以外の手段で間に合わせようとする、原義通りの姑息さがありありと見て取れる。完全に終わり。はよ潰れろ。あとはとにかく客層が悪い。田舎の郊外のコンビニともなれば客の半分くらいは横柄なジジイだし(もう半分は身体に絵が描いてある系の人)そのさらに半分くらいは誇張抜きに意思疎通が困難なレベルにまで呆けの回ったジジイなので本当にキツい。接客業とは名ばかりで、実態はもはやほとんど介護に近いものがある。デジタルネイティブの末席として憚りながら些か極端な物言いをさせてもらうが、差別とかではなく純粋な危機管理の問題として、スマホにアプリ一つ入れられない、ステータスバーの通知アイコンの消し方すら分からないレベルで現代に順応できていない老人にこうした単独行動を許していいものなのか俺はかなり疑問だ。そんな老人連中が車に乗ってそこら中をビュンビュン走り回ってると考えると自動車がなければ日常の買い物すら覚束ない地方の車社会の実態がひどく禍々しいものを孕んだ危うい砂上の楼閣のようにさえ思えてくる。地方格差や少子高齢化といった現代日本の暗部がコンビニには凝縮されているのだ。おぞましいですね。というか2年半働いてて痛感したけど田舎のジジイってマジで態度が悪すぎるんですよ。それも他のカス客とは態度の悪さの質が根本から違ってて。常識的な範囲で態度の悪い客と言えば、例えば店員に居丈高に接することで日常のストレスを晴らす八つ当たりタイプとか、「公共の場所でも物怖じせず我を通すカッコいいオレ」を演じて虚栄心を満たそうとするイキリチンピラタイプとか、まあその辺りになるんだろうけど、ジジイという生き物はそのどちらでもないんです。なんというかこう、作為を全く感じさせない、いわばナチュラルな根性の悪さ。ごくごく自然に、「えっ、コンビニ店員への接し方ってこれが普通なんじゃないの?」と言わんばかりの飾り気のなさでもって驚くほど図々しい態度を取ってくるんですよ。歳を重ね過ぎたせいで世界中が自分のテリトリーみたいな感覚になってるんだろうか。何十年生きてきたのか知らんけどいい歳ぶっこいて赤の他人に対する最低限の誠意すら捻出できない器の小ささには不快感を通り越して憐憫すら催しますね。まこと老醜と呼ぶに相応しい。別に年の功ってやつを否定するつもりは更々ないけど、ただ長生きするだけならバカでもできるんだから、敬われたいならそれに足る品性ってものを少しくらいは身に着けてきてからにしてくれよな。まったくもう。ぷんすか。なんかどんどん下品な愚痴で紙幅が埋まりそうになってきたのでこのあたりにしておくが、とにかく、どうか皆さんには分かっておいて欲しいのです。コンビニの店員はあなたのストレスを無制限に受け容れるサンドバッグなどではなく、あなたと同じく血の通った、ひとりの対等な人間であるということを。完璧な礼儀作法なんかハナから求めちゃいませんから、せめてそのことぐらいは、胸に留めておいてください。それだけが私の望みです。よろしくお願いしますね。本当に。

ともあれそんなこんなで、俺は26年と半年もの間暮らした故郷を離れようとしている。振り返ってみれば未練のひとつやふたつ出てくるかと思ったがビックリするほど出てこない。なんもない。バイト先の愚痴しか出てこない。もっとこれまでの人生の総括とか新生活への決意やら抱負やらをいい感じにしたためようと思ったのに益体もない恨み節ばかりを3000字近くグチグチ垂れ流してしまった。性格が最悪すぎませんか?まあそれはともかくとして、思えば昔から俺は愛着というものが希薄な人間で、身近な人間や土地に紐づいた想い出というものを持ち合わせた試しも、それらを進んで作ろうとしたこともほとんどなく、これまでの半生においてはただひたすらに田舎の不便さと自らの人としての不出来ぶりを倦み憎むことしかしてこなかった。そもそも自我が出来上がるのがだいぶ遅かったせいか小中あたりまでは冗談抜きで何も憶えていないし、高校もかなり怪しい。大学時代になって初めてようやく具体的な懐かしさを伴った記録ならぬ記憶として思い返すことができるようになるがそれらの記憶も大部分がストレスで塗り潰されていて、仮に俺が暴力団に身を置いていて不始末のケジメとして指を何本か詰めていたとしても片手で全然足りるほどしかいない知人たちとごくたまに酒を酌み交わす以外は四六時中轟音でシューゲイザーを聴いていたか鬼のような不機嫌面で二日酔いをねじ伏せていたかひたすらちんちんを触っていたかのいずれかであったから回顧に値するような想い出などやはりひとつも存在しない。イベントがなさすぎて夢に見ることすらないのだ。ウィキペディアだったら独立記事作成の目安を満たしていませんとか言われてすぐに削除されるであろう己の来し方の薄っぺらさを思うとなんだか誰彼構わず謝り倒したい気がしてきたがしかし俺は何一つ悪くないので決して謝らない。決してだ。謝るべき人間がいるとしたらそれは疑いようもなくお前らだ。おい、謝れ。今すぐにだ。ふざけるんじゃないよ全く。俺の青春を返してくれ。いや、しかし青春とは人生の特定の期間ではなく心の様相を指すのだと名前は忘れたが昔の偉い人も言っていたじゃないか。花の東京生活に向けて過去最高にwktkしている今この瞬間こそが俺の真なる青春の始まり、人生の第二楽章のイントロだと評してもさほど過言ではないだろう。過去への未練よりも未来への希望の方がずっと強いのだと言い換えればなんだかポジティブに思えてこなくもない。こなくないですか?こういうしょうもない言葉遊びで自己認識を誤魔化してきたから今こんなどうしようもない人間になってしまっているのだと言われれば本当にその通りなんだけどそんな正論はお呼びじゃないので無視するとして、しかしやはり、どこでどう生きようと結局最後に残るのは想い出だけなんだから、荷物も足枷もなるだけ軽い方がいいに決まっている。過去は有限だが未来は無限なのだ。今までは何もしてこなかったが、これからやってみたいことは山ほどある。街並みを眺めながらそぞろ歩いたり、川辺でぼんやり佇んでみたり、ラーメンを食べ歩いたり、ライブハウスで浮かれ騒いだりしたい。いかにも真人間のようなふりをして肩で風を切りながらオフィス街を意味もなく練り歩いてみたい。神保町の通りに面した古書店で気難しそうな顔をして古本を二三手に取ってみたりした後でラーメン二郎神保町店に飛び込んで小ラーメンアブラカラメを吸い込みたい。夢が広がりまくりんぐだ。飼い猫の肛門の匂いを嗅げなくなるのは寂しいが、猫だってすぐに俺のことなんか忘れ去ってのほほんと生きるだろう。それでいい。いつまでも憶えられたままではむしろこっちが困る。地元の行きつけのラーメン屋の味が恋しくなることもあるだろうけどラーメン屋なんて東京にはそれこそ星の数ほどあるわけだしすぐにまたいい店が見つかるに違いない。俺の半生はひどく薄っぺらいものだったが、だからこそ俺は今、かつてない身軽さで新たなステージへと羽撃いてゆける。ずいぶんと長い回り道をしてきてしまったが、ようやく、本当にようやく、自分がしたいと望んだ生き方をできるようになる。好きな歌を聴いて、行きたい場所に行って、会いたい人に会うことが、十全ではないかもしれないが少なくとも今までよりはずっとまともにできるようになるのだ。まだしばらくは死ぬ予定もないことだし、これまで全然面白くなかった分、せめてもう少しくらいは、面白い人生にしてやろうと思う。

とかなんとか無理矢理いい雰囲気で締めようと思ったけど引っ越しの準備が面倒くさすぎてめちゃくちゃイラついている。やること多すぎ。引っ越しって何?なんでこんなことしなくちゃならんのだ。もう二度と引っ越しせん。俺は東京に骨を埋める。いっぱいお金を稼いで東京で牛を飼います。あとライブに行きまくります。以上。



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