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老いと闇と落下の悪魔

チェンソーマン二部、私は楽しく読めている。
世間の批判は多いようだが、それは作者である藤本タツキへの期待の過熱が要因ではなかろうか。

漫画評は深追いせず、本題に入る。

チェンソーマン二部では、170話台※から老いの悪魔が登場する。
※ジャンプ+では2024年10月頃掲載

チェンソーマンの世界では、悪魔とは人類の恐怖の具現化である。
その力量は人類の恐怖の強さに比例して上がる。
すなわち、怖いものほど強い

人類の歴史ともにある戦争への恐怖は膨大であり、
戦争の悪魔はそれだけ強大な力を持つ。

一方、さらに強力な悪魔も存在する。
根源的恐怖にまつわる悪魔である。
根源的恐怖とは、落下、そして老いなどを指す。

これらの恐怖は本能的なものであり、戦争という人類が作り出した概念よりももっと根深く、もっと強い。
というのがチェンソーマン世界のロジックだ。

181話で戦争の悪魔が老いの悪魔の強大さに慄く姿は、この秩序を深く印象付けた。

ようやく、私自身の話に移る。

30代も半ばを過ぎた今、老いが恐ろしく怖い
老いへの実感はまだほとんどないが、老いの予感が年々強くなっている。

予感とは未知への妄想であり、未知とは闇である。
闇への恐怖の本質は、未知である。
私は今、未経験の老いという闇への突入に震えている。


実は、オンライン名義での活動と実生活の間に、
ピークのズレを強く感じる。

オンライン活動はまだ途上である自覚があるが、
実生活では過渡期を迎えた自覚がある。

このズレの原因は明確で、活動内容の差だ。

実は実生活はかなり堅実な生き方をしており、
いわば保守的で旧時代的なライフプランを歩んでいる。
その中では30半ばでの過渡期は平均的であり、
なんなら遅いくらいである。

一方、オンライン活動はある意味で現代的である。
ここでは、オンライン活動を「人気商売」と言い切る。
人気商売のライフプランは不定形であり、
大器晩成が大いに許容される。

お笑いの世界では大器晩成は往々にして多く
錦鯉長谷川氏が齢50で脚光を浴びた姿は記憶に新しく、
40代の若手芸人がひな壇に座るのは珍しくない。

そんな不揃いな二足のワラジを履く私は、
人生を歩むほどに両足の違和感が強くなっている。

老いの話に戻る。

なぜ老いが恐怖であるのか。
損失はさらに根源的な恐怖だからある。

損失回避バイアスという言葉がある。
人間は、利益獲得よりも損失回避に強く反応するという心理効果である。
ギャンブルでは勝っている時よりも負けている時の方が正気を失いやすい。

老いとは損失である。
生まれてからここまで積み重ねてきたなにかが、
緩やかに切り崩されていくことである。

我々は人生を自分の足で歩むことができるが、
時間軸は制御できない。
時間軸のジェットコースターに乗せられた我々は、
強制的にそれぞれのピークを迎え、
その後は不可避の降下を強いられる。

人は人生のピークを予感したその時から、
落下の恐怖に耐え続けなければならない。

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http://ja.wikipedia.org/w/index.php?curid=2162470

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