自分が納得するとは

私は自分の今までの人生で誇れることや成し遂げたこと、そして失敗したことというのが浮かばない。

人と話していると、それって誇れることやんとかすごいことやんとか、逆に受験で落ちたことの話とかしているとそれって失敗したことやんって言われるんだけど、

いやなんかちがうんだよね。

たしかに19年間生きてきたわけだし、いくら温室ビニールハウスで生きてきた自負はあるけど、そりゃあ嬉しかったことも悲しかったこともある。

けど、自分でそれが納得できない。

特に誇れることや成し遂げたことというのが、自分でこれは成し遂げた!て人前で言えない。恥ずかしいとかプライドとかじゃなくて、自信をもってこれは本当に誇れるよっていえない。自分自身に誇って言えないことは、他人にも言いたくない。

一生懸命探したところで出てこないから、ここに関してはポジティブにあきらめた。いつか自分が満足して言える日を待ちわびている。

失敗したことに関して言えば、その失敗がなければ自分が迎えている今日がないと思うと、なにも失敗はないんじゃないかっておもってしまう。

受験に関しても国立を第一志望としていたから、それに行っていないのは失敗なのかもしれないけど、今の大学じゃないと出会えなかった人や環境、考え方があって、さらに正直国立いっていたらできなかったことが今できている。これは自分のモットーである「おかれた場所で咲きなさい」というのが自分の中に根付いているから、良いことか悪いことかはわからないが、どこの環境でも自分なりの正解をみつけられるからな気がする。

これに関して

キルケゴールの

「私にとって真理であるような真理を発見し、私がそのために死ねるような真理を発見することが必要なのだ

The thing is to find a truth which is true for me, to find the idea for which I can live and die.」

という言葉に出会ってさらに今の自分の考え方が深まったと思っている。

自分自身で、自分自身が納得できる、自分自身のための真理をいつか見つけてみたいな!って。

私はみんなが賛成できるようなあたりさわりのない普遍的で人間味のない答えばっかり探していた気がするから、特にこの言葉は大切にしていきたい。


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