『少男』はいつ表舞台から姿を消したか。

 タイトリング悩むね!

 ちょっと気取っちゃったよね!

 はいどうも、いつもいつでもマイペースな高槻のヒトです(ヒト属)

 この記事は、『少男』という言葉について、ぼくが Twitter で書き散らかした複数のツイートを、note の書式に合わせて手直ししながら、ほぼマルッと転載するものです。

 当該ツイートについては、ぼくではない人のツイートを引用するところからツイートツリーが開始されている手前、リンクは貼りません。もし興味が湧いた方がおられましたら、

 @Starving_nomad 少男

↑ をコピペするなどして、Twitter 内で検索されてください。

 では、以下に「ほぼ転載」を。


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『少年』と『少女』はあるが『少男』がない、の気づき

 ちらほらこういう見解が確認できるんだけど( ※ 1 )、


  少年 = 年少者 (歳数が少ない者)


なので、そもそも「少女」の単語の方が個別限定で、


  『少男』の単語がない

の状況の方が分類上の手落ちみたいなとこあるんすよ。

 ※――※――※

※ 1 :話題の原点は少年法関連ニュース。そのニュースに関連して、「『少年』とだけ書いて『少女』が書かれてない」「『特定少年』と書くのは男性蔑視にはならないのか?」などの見解を、ぼく(筆者)が確認していたもの。

 ※――※――※

 『少男』の単語が昔あったんかどうかは調べてないので知らん。


まずは『少男』を探してみよう!

 ※――※ Google 先生にお祈り ※――※

 中国語表現だと『少男』はあるし、『少男少女』の連続表記もあるな。

「本当はひどかった昔の日本 古典文学で知るしたたかな日本人」 - 一日一冊一感動!小野塚テルの『感動の仕入れ!』日記

 日本の歴史に『少男』表記表現の痕跡はあったか? と(手抜きして) WEB で調べてる最中に、気になって覗いて、内容が面白かった記事。
 ついでに貼っちゃうw

心の経営「高島易断 古典の解釈超意訳 文章の仕上げ(レベル合わせ) 沢山咸その一」

 ブログ主が自称する肩書きが胡散臭さ MAX で、記事の内容がまただいぶアレなんだけど。
 日本でも古くから「学び」に導入されてた易経(中国の古書の一つ)にも「少男」表記が有るらしい。


不用心な女神。そしてカグツチ誕生。 | イザナミ | 古典文学Graphics

一書に伝えていう。陰神がまず唱えて、「おやまあ、いとしい少男よ」と仰せられた。そうして陽神の手を握って、ついに夫婦となり、淡路洲を生んだ。次に蛭児。小-日本書紀-1-p35 “

「日本に輸入された中国の古書群に『少男』の記載が確認できるなら、日本の古典に確認できないはずがない!」
の、前のめりな仮説立てたけど、間違いなさげだった。
 そうすると、『少男』が「使用された最古の時期」と「使われなくなった時期」の確認が次の調査ステップになるんかいの。
 用法変化もか。

 古典漢学なんぞは江戸末期や明治期でも一定の権威性持ってただろうし、『易経』に記載があるんなら『少男』の表記は今でも日本国内に確認できそうだけどねえ?
 どうやって消えたんやろ?

 国会議事録検索だと『少男』の語が用いられた記録が出てこないな。

 国会図書館検索だと 27 件ヒットするけど、内 7 件は無効、残りは中国語圏の本、和書の中国語訳と、古文研究っぽい。
 そっから「最後」っぽい書籍を絞ると、
非合理の美学
 図書 中河与一 著. 角川書店, 1954 <904-N319h>

これかなあ。
 1954 年だと昭和 29 年か?

 新聞の方も探してみたいよね!
 くっそ面倒くさそうだけど!

 ※――※ ちょっとよそ見しつつ ※――※

 ほうほう。
「青年とはいうけど青女とはいわないのなんで?」
の疑問ってのもあるのね。
 ちなみに「青女」は weblio 辞書でヒット、「青男」は出なかった。

 これはむしろ、
「『少年少女』の表記がいつごろ最初に確認できるか」
からアプローチした方がええんかもしらんね。

 『少男」表記探してて思うけど、『少男』使うときは『少女』もだいたいセットだったり、連続表記されとるんよな。


『少年少女』を探して

 国会議事録検索では第一回衆議院本会議( 1947 年(昭和 22 年))から既に『少年少女』の言い回しが確認できてしまうので、それ以前から『少男少女』の言い回しが廃れてたってことやろな。

 『少年少女』表記によるミーム汚染によって『少男少女』表記が消え去った仮説が濃厚になってきた感。

 国会図書館検索だと、確認可能な最古の年が 1946 年。
少年少女桜 [1巻1号(1946年7月)-2巻4号(1947年12月)]
 雑誌 / プランゲ文庫 <VH1-S2207>

おとぎのくに. 少年少女読物 [1巻1号(1946年12月)-1巻9号(1947年8月)]
 雑誌 / プランゲ文庫 <VH1-O191>

 この 2 件か。
 こりゃまだ遡れそうだな。

少年少女にとっ て文芸とは何だっ たの か
1900〜 10年代の 『日本少年』『少女の友』投稿欄比較から
今田絵里香 (京都大学)

 また面白そうな文献出てきたぞうw

 『穎才新誌』
 『言文一致運動』
 メモ書き的に。


『穎才新誌』なるもの

穎才新誌 - Wikipedia
“『穎才新誌』(えいさいしんし)は、近代日本ではじめての全国的子供向け雑誌。陽其二により1877年に創刊され、1901年ないし1902年頃に廃刊と言われている”
“本誌は、自由民権運動のただなかに創刊された全国的規模の投稿雑誌の先駆である。
明治初期・中期の青少年たちの文章・会が・詩歌・書の晴舞台であった本誌は、
「明治文学の幼稚園」と呼ばれるほど、のちに多くの作家・政治家・学者を輩出した。”

「少女」の社会史 - 株式会社 勁草書房
 やっぱり先駆者いたー!\( 'ω')/ヒャッハアアア

 内容説明と目次とを読んでても頷くんだけど、元々『少男 / 少女』という個別性があり、『少年』の大枠があったんやろけど。時代のどこかで『少男 / 少女』は『少年』に吸収され、そこからあらためて『少女』だけが分離された感じもするのよね。
 なるほどねえ。

今田絵里香『「少年」「少女」の誕生』 「少年」「少女」に関する知の歴史
 これもまた興味深いけど、詳しい話は本の中なのね!

子ども・家族と教育 / 小山静子編著 (大手前大学 利用者サービス より)

“「少年」概念の成立と少年期の出現 : 雑誌『少年世界』の分析を通して / 田嶋一
「少年」から少年・少女へ : 明治の子ども投稿雑誌『穎才新誌』におけるジェンダーの変容 / 今田絵里香”

 この辺やろかね。


再開未定の小休止

 小休止がてら原点を振り返ると、『少男』の表記は、それ自体が途絶えたことはないみたいなのよね。
 先に触れたように、古典的な日本の権威主義者たちが愛用する類いの中国古典にその姿を確認でき
 日本書紀でも使われてて、
 古典和歌にも用例が確認できる、と。

 そんな状況下にあった『少男』表記が、なぜ「社会一般」から姿を消したか。
 そこよね!
 そこがポイントよね!
 その分水嶺っぽいところが明治時代にあるような、そこまで見えてきた感じ。
 それが「ぼくの」現在w
 たぶん穎才新誌がミーム汚染に大きく寄与してるよねえ。


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以上。


編集あとがき

 今回はこんなところで打ち止め、再開は未定。

「こんな話あるよ!(知ってるよ!)」

「こんな説あるよ!」

などの情報をお寄せいただけたら、ぼくが飛んで跳ねて小躍りしながら喜びます。

 気まぐれな思いつきの記録気分で作った記事なので、この末文まで通して読んじゃう読者がいることは予想も、期待もしてないんだけれど、

 それでもうっかりそんな読者になられた方がおられましたなら、最後までのお付き合いいただき、ありがとうございました。

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