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立候補休職と投票義務化 ~選挙を変えるには~

 巷では自民党やら立憲民主党やらの党内選挙で大騒ぎ、どちらも大山鳴動してネズミ一匹の価値もなかったような…。

 昔々、学生時分によく「青春18きっぷ」を使って東京へ貧乏旅行をした。夜行の鈍行列車は似たような学生ばかりで大混雑、座れず床に新聞紙を敷いて寝た。
 泊るところも決めていなかったので、東京の友人に「どこかない?」ときいたら、菅直人の選挙事務所に連れて行かれて、ソファで寝かせてもらった。よもや、のちに総理大臣になろうとは。
 当時、あの人は社民連だったが、「社会民主主義」という言葉がずいぶん縁遠い世の中になってしまったな、とつくづく思う。今でも「社民党」はあるが存在感はなく。「れいわ新撰組」はどうも投票用紙に書く気になれない、だって元号+殺し屋集団の名前ですよ。

 しかし、そんなにダメですかね?社会民主主義。現実の政策の中にも要素としては取り込まれているように思うのだけど。老舗だった欧州でも極右に食われて退潮が続く。こんな複雑な世の中、「大きな政府」じゃないと無理だと思うのだが、今や誰もそんなことを言わない。

 さて、小選挙区制の定着、民主党政権の挫折を経て、全く展望の見えない日本の政治。ニュースに流れるのは笑止千万としか言いようのない、くだらない話題ばかり。この地点からの変革は本当に難しいと思う。

 政治家というのは自分の利害損得に関わること以外に興味を示さない人が多い。典型的なのが外国人市民に関する政策。事実上の移民国家になって久しいのに、ちぐはぐだし、あまりにも対応が遅い。
 なぜかといえば至極単純で、政治家が外国人のために頑張っても、選挙権をもたず自分に投票してくれることがないので、ムダだと思っているからだ。外国人の地方参政権の実現にも貢献すれば、多少は票田にもなり得るのに。

 ただ、政治はビジネスではないのだから、見返りを求めることがそもそもおかしいと思う。ノブリス・オブリージュという言葉を世界史の時間に習った。これがいまの政治家たちには決定的に欠けていると思う。
 政治というものは本来、日本国籍のある人・ない人、税金を納めている人・納めていない人、いろんな人がいる中ですべて含めて、よりよいまちや国のあり方を考えることではないのか。

 私は子どもの頃、どうしてもっとマトモな人が立候補しないんだろう、と不思議だった。やがて、立候補できる人はもし落選したら帰る場所がある、帰る場所を見つける余裕のある人しか立候補できないのだ、とわかった。
 道理で、普通のサラリーマンはいないわけだと。でも、どう考えても、普通のサラリーマンより感覚のおかしい人ばかり出ている。
 次に、どうして選挙制度を変えないのだろうと考えた。制度改正を決めるのは議員の役割である。あ、なるほど、自分の地位を危うくする話だから手を出さないのか、本当にさもしいやつらだ、と思った。
 日本版パリテ法はできたが努力義務、クオータ制に向けて進めていければ、少しは風穴になるのかな…。

 いまのこの政治への無関心、立候補者不足と低投票率を変えるには、どうしたらよいのか。
 18才選挙権の導入を契機に、主権者教育が少しは言われ始めた。しかし、教える立場の教員自身が政治教育抜きで育っており、「よらしむべし知らしむべからず」で感化された国民が山ほどいる中で、そううまくいくわけがない。
 そして、何か発案できたとしても、それを生かす道筋がわからない。各地の選挙管理委員会は文字通り「選挙」を「管理」するだけで、よりよい選挙制度の提案をしたとは聞いたことがない。誰がどこで訴えたら変わるのだろう。国会は先述のとおりの有様だし…。

 そんなことを考えていたら、ニュースで「公職選挙法改正案が…」と言い出した。えっ!?と思ってよく聞いてみると、例の東京都知事選でのポスター騒ぎ対策だった。まぁ、それも必要だろうけど…、ああ、あほらし。
 でも、笑ってばかりもいられないと思って、ネットで検索してみると、おや、おもしろい動きもあるではないか、と気づいた。
 2022年「公職の候補者となる労働者の雇用の継続の確保のための立候補休暇に関する法律案」。たった10条だが、はじめの一歩としては仕方ないか。継続審議と書いてあるがその後どうなったのか。しかし、全く報道されていないな…。

 2023年4月4日付の読売新聞によると、従業員が選挙に立候補しやすいよう休暇制度を設けたり、議員との兼業を認める企業が既にあるらしい。
 議員のなり手不足が深刻化する中、統一地方選を前に政府が企業側に「配慮を要請」したとか。配慮?いや法制化すべきでしょう。要請しても中小企業は人手不足、大企業にしか土台無理な話だ。
 もっと以前には、衆議院の議員会館で「選挙市民審議会」なるものが開催されて答申が出されているようだ。「公正・平等な選挙改革にとりくむプロジェクト」というのもあるらしいが、誰がどんなことを主張しているか知らないので、もう少し時間をかけて調べてみたい。

 もう一つの課題、低投票率については、私は投票を義務化すべきだと思っている。「権利の上に眠るな」と教わったのに、国政選挙に半分の人しか投票していないなんて、嘆かわしい状態だ。気持ち的にはシンガポールのように「棄権したら選挙人名簿から抹消」と言いたくもなる。
 義務投票制の国で有名なのはオーストラリアだ。1924年に投票を義務化、国政選挙の投票率はいつも90%を超える。投票所付近ではバーベキューをして盛り上げる団体もあるとか。正当な理由のない棄権は1800円程度の罰金とのこと(2022年7月17日付、朝日新聞)。

 同じ紙面で、ある研究者が言っている。「民主主義において重要なのは勝つことだけではない。メディアは『死票』という言葉を使うが、落選した候補者の票数も当選者に影響を与える。実際に日本の55年体制下では、自民党が野党の主張する政策を取り込むことがあった。当選者に投じられた票だけでなく、すべての票がその後の政治にとって大事なのだ」。
 こんなイロハみたいなことを、改めて言う必要がある状況なのが情けない。昨今「論破」だとかすぐ言う人は、政治をゲームか何かと勘違いしているのではないか。