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動き続けたからこそ見えた世界

初めましてこんにちは〜、おてつです。
Starticeのイベントに興味を持っていただいた皆さんありがとうございます。
今回はこれまでの僕の経験談を通じて、僕自身について知ってもらえたらなと思っています。

まず簡単に僕の自己紹介。
出身は鹿児島県の奄美大島で、
自然豊かで気候も人も温かい環境で育ちました。
顔がゴリゴリしまんちゅって感じで、話す日本語も変なのでよく外国人に間違われます、、笑
性格は温厚で、あまり物怖じとかはしないタイプです。
周りの目とかは気にせず、自分で"やりたい"と思ったことにまっすぐで、他人の事にあまり興味がなく結構頑固な人間です(笑)
周りのみんなからは変わってるねっと良く言われます。


〜児童養護施設で育った僕〜

突然ですがみなさんは”社会的養護”という言葉を知ってますか?

多分このnoteを読んでるほとんどの人達が耳にしたことがないと思います。


ググってみると、

「保護者のない児童や、保護者に監護させることが適当でない児童を、公的責任で社会的に養育し、保護するとともに、養育に大きな困難を抱える家庭への支援を行うこと」

という説明が出てきます。


簡単な言葉で置き換えると、
何らかの事情で保護者と暮らせない子ども達を社会全体で育てようといった感じです。




この話題に触れたのは見出しからも分かるように、僕は幼い頃から児童養護施設に入所していて、この生い立ちが今の僕を形成してる核となっているからです。

これまでの僕は自分の過去をあまり他人には話してはきませんでした。
純粋にあまり記憶が無いのもありますが、無意識に自分の過去と向き合う事を遠ざけてたし、他人に話すとなんとも言えない雰囲気になるので、家族関係の話になった時はその場でごまかす感じでした。

今回こうしてnoteに書けてるのにはきっかけがあって、詳細は別の記事で書いてるので、こちらもあわせて読んで貰えたらなと思います。


〜なんとなく生きてた僕と助産師との出会い〜

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記事の冒頭でも触れたように、僕が育ったのは奄美大島。
高校までの環境としては、離島でしかも児童養護施設というかなり閉鎖的な環境で18年間を過ごしてました。


小さい頃の記憶があまりないのですが、学校の友達と自分の状況が違うことは理解しながらも、職員の方々や共同生活をする仲間達もいて苦しいと思う事はそんなに無かった気がします。

これは僕が物心ついたときには施設にいたこともあるかもしれないし、島の地域全体で子ども達を育てる雰囲気が孤独を感じさせなかったのかなと今になって思います。

小さい時は特に勉強とかもせず、
どちらかといえばやんちゃな方で、
特にこれといった目標もなく生きてた僕ですが、
中学生の時に聞いたある助産師の講演会で考え方が大きく変わります。


当時それまでの僕が希望していた進路は地元の専門高校に進学し、
高校を卒業と同時に就職できればいいやといった感じでした。

施設にいた先輩達もみんなこの選択をしていたので、当時の僕にとってはこれが当たり前の感覚でした。

大学進学なんて想像もしなかったし、施設のみんなの口からも聞いたことが無かったと思います。


将来のことなんて何も考えず、ぼーっと毎日を生きてました。



講演会の内容を詳しく書くと長くなっちゃうので割愛しますが、
その助産師のつらい過去を経験しても目標を持って頑張る姿に感動し、
ワーキングホリデー中の海外での話にワクワクし、
なによりプレゼンの仕方がとっても上手でほんとに感化されました。



それと同時に、
「ただこのまま就職の道を選んでその先に何があるのだろう」

という疑問を幼心ながら抱いた覚えがあります。
そして、
まだ自分の選択肢を狭めたくない!
と思い専門高校ではなく普通科のある高校へ進学を決意します。


これが僕の人生で初めて自らの意思で行動できた時です。


〜進学決意と立ちはだかる壁、そして見えたもの〜

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普通科の高校に進学した僕はみるみると成績を伸ばします。
周りに褒めてもらえることが嬉しくて、認めてもらえてる気がして、隙間時間もずーっと勉強してた気がします。

高校2年の時初めて学年で1番の成績を取ったことをきっかけに大学進学に向けて本格的に動き出しました。
施設で育った僕にとって大学進学の大きな壁となるのはお金です。
高校卒業後は施設を出て自立しなければならず、家族からの支援も見込めないためやはり就職が一般的な道です。
「国立受からなければ就職」

そう施設長と約束を交わして僕は大学受験を目指しました。

行きたかった私大もあったけど、渋々断念。

そこからは入学金、授業料、大学での生活費をまかなうために色んな事を調べて動きました。たとえ合格したとして、本当に大学にいけるのだろうかという不安を抱えながらの受験勉強はかなりしんどかったです。
けど、こうやって目標に向かって行動をしていると面白いことに沢山の支援、情報が集まってきました。

受験するにあたって予備校に通う支援金と巡り会えたり、
色んな団体の給付型奨学金の情報がきたり、
授業料免除の制度もここで大分詳しくなったし、
大学での生活費を支援するという人も現れました。
なにより自分がとても幸運だったのは、高等教育無償化に向けての前段階で国の支援を受けることが出来たことです。
すべてが奇跡だと感じたし、なにより進学を諦めず行動し続けて本当に良かったと思ってます。
作文や書類も沢山書いたし、センター試験前に島を出て福岡で集団面接を受けたりもしました。

もし大学進学を目指さなければ、僕はこれらの制度に関して知ることはなかったでしょう。
当たり前のことですが、何も行動をしなければ本当〜っに何も変わりません。たとえ想像できないようなことでも、そこに向かってまず行動してみることで、色んな道標が現れ、少しづつ実現に近づいていきます。


〜そして現在の僕〜

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高校卒業後、1度受験には失敗したものも本当に色んな人に支えられて、無事に大学に進学することが出来ました。
進学決断から得られた経験は現在の僕に大きな影響を与えています。進学決断から得られた経験は現在の僕に大きな影響を与えています。

『自分の意思に従って動き出す、行動し続ける』
ということが今の自分の強みにもなっているなと感じます。

進学後もチャンスがあればすぐに飛びついて行動しました。
地元で高校受験対策に向けた塾を開催してみたり、
小中高での講演会を引き受けてみたり、
奄美旅行ツアーを企画してみたり、
海外ひとり旅に出たり、交換留学に行ったり、
そしていなフリに参加したりと挙げるときりがないですね(笑)

挑戦してきたことの全部が成功したわけではないけど、
これらのどの挑戦でも共通して得られることはありました。
・動き出してみると色んな制度、環境に巡り会える
・想いに共感してくれる支援者が現れる
・一緒に行動してくれる仲間ができる
ありきたりな表現だけど、これらが動き続けることで得られることだと思っています。

行動することが大切ということは多くの人が気づきながらも、
なかなか動き出すことが出来ないのが現状だと思います。
「今はご時世的にもちょっと、、」
「金銭的に大丈夫だろうか、、」
「周りの人達に馬鹿にされそう、、」
などなど
人は考えすぎると出来ない理由ばかり探してしまいます。
あまり頭ばかりで考えすぎず、自分の意思を信じて踏み出してみることも時には大事かなと思います。
あまり文章を書くのが得意ではないのでまとまらない感じになっちゃいましたが、今回このnoteに僕の経験を綴ったことで、読んでくれた方々が一歩を踏み出すきっかけになってくれれば幸いです。

最後まで読んで頂きありがとうございました!
イベントで皆さんに会える事を楽しみにしてます!


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