【無料】習い事スクール経営の始め方と極意vol.1 私の経歴と今日に至るまで 前編
初めまして、STart creation株式会社で代表取締役をしております永野隆満と申します。
この春、習い事の企画でnoteに情報を掲載して依頼のブログとなりました。
ご参加いただいた皆様、そして協賛いただきました皆様その節は本当にありがとうございました。結論から言うとおかげさまで、100名を超える生徒様が予約くださり、yahooニュースや、地域の様々な新聞にも取り上げられるなど、多くの皆様に知っていただき楽しんでいただける企画となりました。
その後、正式コースとして全国拡大版、大人向けまでを加えリリースも開始され、多くの皆様に弊社のオンラインレッスン の取り組みを支持いただいております。
いろんな講座を丸ごと受講。それがオンラインレッスン の新しい形
と言うわけで、習い事経営の業界にて日々奮闘中なわけですが、本日は私の経験を活かして有意義な情報を配信できればと言うことでこのようなブログを始めました。
習い事スクール経営の始め方と極意
まず私の紹介から簡単に。
私は鹿児島県の大隅半島の東側に位置する志布志町(現志布志市)という小さな港町の出身者です。人口1万人くらいの小さな町ですが、実は度々メディアにも登場する実はやり手の町なんです。
ある時は、志布志市志布志町志布志志布志市役所志布志支部
と言う実在する役場が取り上げられそれが全国区になったことがあります。
また、ある時はうなぎの養殖日本一であることをうたい、世間では問題となったCMを作成。これが、監禁を連想させる、卑猥、食欲失せるなどなど、辛辣なコメントと共に、全国ニュースで話題となりました。
私としては、世間の評価はどうであれ度々全国区で賑わす度に、別の感情が湧いてきます。
そんな街の出身者です。
幼少期〜高校生まで
さて、そんな街で私は4歳からピアノ、ドリマトーンを習い、小学卒業するまでに、英語や習字、硬筆などなどいろいろ習いました。
これは、志布志で唯一のカルチャービル「島津ビル」と言う志布志では珍しく5F建てのビルがあり(志布志ではビル自体が珍しい)、それが実家から徒歩1分にあったこと。そしてそこのお嬢さんと小さい頃はよく遊んでいたこと、親同士も交流があったこと。
などから自然と習い事ができる環境がたまたま近くにあったことが大きいです。
中学〜高校
小学卒業後は、習い事あるあるの1つかもしれませんが、
中学生で部活(陸上)に熱中していたこともあり、部活中心の生活となり、全ての習い事をやめてしまいました。
その時に出会った陸上が楽しくて、今も趣味で走ってます。年に数回フルマラソンの大会に出るくらいハマり続けています。
これは福島のいわきマラソン。
こちらは沖縄の那覇マラソン。
その後高校で普通科の進学校へと進み、学業は大変でしたが、比較的平凡な学生生活を送っていました。
成績と言ったら万年中の下。 いや、もはや最後あたりは下の下まで転落(笑)
工業高校や商業科のように特に資格を取れるわけでもなく、かといってこのまま通常の流れであるはずの、一般大学に行きたいとも思えず、悶々としたまま「俺どうすんだ?」と思いながら、気づいたら高校三年生になっていました。
「今のままなんとなく日々を過ごしても、人並以下の成績では、大した大学にも入れない。今このタイミングから逆転するには、人とは違う方向性に進むこと。」
・自分の好きなこと
・自分だけの強み
・今からでも勝負できるポイント
自分の生きる道を探ります。
※この考え方は将来起業する上では重要なポイントになってくるのですが、その話はまたいつか。
兎にも角にも、その時にふと、4歳から12歳まで習ったピアノによって、私は一度聞いた曲は大抵弾けるという特殊能力と(音大に入るとそんなのゴロゴロ入れて特に特殊能力ではないことに気づきますが)、
習い事をやめても趣味で細々と弾いていた楽器の腕はそこまで衰えていないということ。
ピアニストやピアノの先生(音楽の先生)を目指す人は、まあそれなりにたくさんいるが、
楽器を使って「音楽を創る仕事」を目指す人は周囲では聞いたこともない。
今から勝負するならこの道だ!
そんな結論にいたり、そこからは全員が全員、センター試験や一般大学の入試を目指す中、たった一人、クラスの隅っこで夢中になってお玉杓子の向き合う日々が始まるのです。
こうして、私は17歳にして進学校にいながら作曲家の道を志します。
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