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ニートの雑記

予備校の講師から自分の言葉で文を書けとの指導を受けたため、最近感じた事をつらつらと書きたいと思う。 

弟が中学校に進学して早速トラブルに巻き込まれた。課外学習の班決め等で仲間外れにされたと先生に訴える子がいたそうだ。クラスの男子の人数が奇数のため、溢れてしまうことはやむを得ないだろうが、私自身中学校の3年間バスの隣が先生だったレベルの"そっち側"だった経験からその子の気持ちは痛いほど分かる。ただ事を大きくせずにその状況を受け入れた方が今後の学校生活とか人生に響かないよ、とは言いたい。3年間どころか20なった今になってもずっとネタにされるから。マジで。

「排斥」という事象は社会で生きて行く上で避けられない事だ。
懺悔する。一度だけ、そういう事をした事がある。当事者と接点のある私に再び関係を直して欲しいと仲介を頼まれたことがあった。よりによって何を今更俺に頼むのか、と最初は思った。彼の所業が謝罪相手に到底許されることではないと当時は考えていたためだ。ただ、決して彼は悪い人間ではないため、もう去ったコミュニティに依存して欲しくない。彼や知人に余計な心的負荷を与える事の無いようにと思って自ら悪役を買って出た。冷静ではあったものの、かなり強い言葉をぶつけてしまった。
それ以降彼は私や友人の前に姿を見せることは無い。元気でやっていると思いたい。
追記:元気でやってたしなんも反省してなくてワロタ。
人間信じるもんじゃないね

インターネットが発展して誰とでも気軽に繋がれると言うのは、気軽に除け者にできることと同義だ。
自分にとって目障りな人間を晒し者にしたり吹聴することで、その人=悪の認識を植え付けたり理由付けして切り捨てることが頻繁に行われる。嫌という程見聞きするし、SNSを利用し始めてから自分自身も数回されてきた。
集団の利益にならない人をそこから排除することは、あまり罪悪感を産まないという研究がある。

https://nazology.net/archives/89494

これに関しては人間が社会動物である以上仕方ないし、実体験に基づけば集団において私がいなくてもいいノーメリット人間だったのは言うまでもない。
ただ、根拠の無い正義感で人を排除する心の動きは、良心なんてものではなくその後に得られる自分への賞賛とか同情を目的にしたクソッタレ感情だ。
ましてや友達の前で悪口を言ったり、自分の友達の悪口を言ってくる輩は所謂フレネミーである。
八方美人が損をするのは言うまでもないだろう。
「気を遣う≠言いたいことを言わない」であり、本当に相手の事を思っているならキッパリと気に食わない所を告げるだろう。貴方が友人に気になる点があり、そこでストレスを抱えているくらいならハッキリ言うべきだし、言えない立場であったり相手に改善の余地が見られない場合は縁を切ることを勧めたい。それが本当の気を遣うってことなんだと思う。
そして一人でも周りに飲まれない意志を持って過ごしたい。
ノリが悪いって言われても構わないし、ね

おわり


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