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ひとりごと

京都に鈴虫寺っていうお寺があって。
鈴虫の研究をして1年中鈴虫が鳴いているという素敵なお寺です。温度管理を徹底しているらしい。
願い事を叶えに来てくれる草履を履いたお地蔵さまがいることでも有名。

お寺なのでお参りすると説法を聴くことができるのだけど、その説法が生きるヒントというか、仏の優しさというか、柔らかい心で生きることを教えてくれる。柔軟心(にゅうなんしん)というそうだ。

説法はまるで落語のようにおもしろくて、何度も笑うところがある。「話を聞いてもらう方法」として、こんな方法があるのかと大変学びになったし、僕の星空案内に少なからず影響を与えている。

さて、その面白い話の中に印象に残っているものがひとつ。
夏場にお参りすると、「暑いなかようこそお参りくださいました。エアコンがよう効いてるでしょう。皆さまをお迎えするため…ではなく、これ全部鈴虫のためなんです。鈴虫が快適に過ごすためのエアコンです。みなさまはどうぞ鈴虫に感謝して残り風で涼んでください」と言われる。鈴虫のためかよ(笑)と笑いの起こるところだ。

鈴虫のための空調で、人間も涼むことができる。これはとてもよい。本来の目的を達成することによって、副次的にハッピーになる人が増える。

ところで僕がなぜ星空案内をしたり、お店を経営したり、舞台に立ってトークをしたりしているかというと、全部「僕のため」である。自分が楽しいからやっていて、誰かのためではない。まあ、ほんの少しは誰かのためというのも入ってるかもしれないが、大義ではない。
僕は人が楽しんでいるのを見るのが好きだし、自分の話で楽しんでもらいたい。それが僕の楽しみだからだ。
僕が僕のために楽しいことをやるついでに、誰かが楽しんでくれる。これが理想だし、実践している。
「誰かのためになること」なんてことは、僕の想像力では想像しきれないし、それを目的にして動くと自分を縛ってしまう。どんな行動も自分の心の真ん中の、自分を突き動かす何かに由来しないと、僕は僕でなくなってしまう。

もちろん「誰かのため」を掲げてそれを原動力に動ける人もいると思う。僕にはできなくて、かれらにはできる。エンジンの構造と燃料の種類が違うのだ。だから役割も違う。お互いの真似事はできるけれど、きっと強い出力は出ない。それぞれの場所で生きよう。時々助け合おう。

僕は僕の楽しいことをやって、そんな僕を見つけてくれた人が楽しんでいる姿を見る。そうやってお互い楽しんで、世界に流通する幸せの総量を増やす。いまはそうやって生きている。きっと僕も誰かが自分自身のためにやっていることで満たされている。

BUMP OF CHICKENの「ひとりごと」という曲の歌詞を少し紹介する。

「僕が笑いたくて君を笑わせてるだけなんだ ごめんね」
「望みは望まないこと 僕が知らないうちに君のためになれること」

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