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『劇場版 少女☆歌劇 レヴュースタァライト』に関する考察~ ふたかおとじゅんなななのレヴューから読み解く~

K.M
https://twitter.com/F0QApb20NRKhij6


1.初めに

 9人の舞台少女たちが戦うあらすじに惹かれて,私はTV版の視聴を開始した.さらに「武器を持って戦う女の子が好き」という性癖にクリーンヒットしたため,ついに劇場版まで見届けることとなった. 彼女たちを見ていると考えさせられる.舞台とはなにか,青春を懸けるとはなにか.そして私は,この少女たちのように必死になったことはあるだろうか? そのように自問自答をしながら見たからこそ考察が捗るというものである.

 本論文では『劇場版 少女☆歌劇 レヴュースタァライト』(以後,“劇ス”) の「怨みのレヴュー」「狩りのレヴュー」に注目する.これらのレヴューを,進路に悩む少女たちのすれ違いとして解釈を行う.今回の劇スのレヴューは総括して言えばスタァライトから卒業するに従って最後の心残りを解決するという大きな意味があり,その証拠として劇スの最後には自ら上掛けを外していく.これでスタァライトに対しての心残りはないと意思表示しているのである.しかし,おなじくカップリングごとの心残りもないという事は全くない.そこで,今回はふたかおとじゅんなななのレヴューに着目して,それぞれの最後の心残りとそのけりの付け方を見ていこう.なお,表記上カップリングなどの名称は最初の1回以外は略称で書いていく.

2.石動双葉×花柳香子のレヴュー

 ここからは石動双葉×花柳香子,いわゆる “ふたかお”のレヴューを考察する.

 このレヴューの一番の考察ポイントといえば「舞台から落ちる」シーンだろう.

 まず「舞台から落ちる」という事そのものについて議論をしていこう.清水寺っぽい舞台(あくまで“っぽい”のでこの表現である)から落ちる.このシーンからは1つのことわざが想起される.決死の覚悟で実行するという意味の「清水の舞台から飛び降りる」である.ふたかおの2人ともが,レヴューの前に「清水の舞台から飛び降りる」ようなことをしている. 言わずもがな,進路を決めるという大きな決断のことである.

 しかし「舞台から落ちる」というシーンには,これ以上の大きな意味があると私は考えている.それは 「舞台そのものから降りる」 というものだ.「清水の舞台から飛び降りる」とどう違うのかを考えてみよう.そのためには,先に落ちたのが花柳香子(のデコトラ)であることを考えねばならない.

 香子は進路希望調査票に実家の日本舞踊を継ぐと書いていた.香子の夢は一般的な「舞台少女」の夢ではない.「劇団所属の舞台人」ではなく,日本舞踊の跡取りとして生きることを選んだ.これは「舞台」から降りて,自分の道を行くという事だ.もちろん香子自身にとっても大きな決断ではあったであろうがその心は揺らいでいなかった.

 対して双葉はどうか.実力が足りないと自覚しつつも,それでも挑戦したいと意思を強固にして進路希望調査票を出している.双葉は「舞台少女」の夢である「劇団所属の舞台人」になりたいと願っているのである.

 この2人の進路の差から「舞台から降りる」 という行動が「舞台人以外の道で生きる」という表現を表しているのがわかる.

 さて,ここまで読んでおかしいと感じた人もいるかもしれない.「双葉だって降りたじゃん」と.

 その指摘は紛れもない事実で,双葉は落ちかけた香子を一度はつかみながらも,結局は舞台から降りている.

 これに関しては「舞台から降りること」ではなく,“一緒に”落ちていったことに意味があると私は考える.双葉と香子は小さい頃からの幼なじみで,何をするにも一緒だった.この関係に縛られ,「進路が全く異なっていても,最後の最後まで香子に引っ張られるのか」と自分に呆れる双葉と,引っ張っている香子.

 ふたかおはその関係性のため精神的な子供,すなわち離れることを許容できない強固な関係だったのである.進路のことを自分に相談もせずに決めてしまった双葉に対する香子の態度がそれをよく表している.

 このレヴューはそんな簡単には離れることが出来ない2人が精神的に成長する過程に必要なぶつかり合いである.その最後には互いに自分が精神的に子供であったと気づくのだ.

 それに気づいたときに自分の今までやっていた事がくだらない意地の張り合いとわかって「しょうもない」という言葉が出てきた2人.その様子は,「卒業は必ずしも友達でなくなる事ではない」という至って普通ではあるが見落としがちな事を教えてくれているのである.

 そして,ふたかおは自分の未来を,そして相手の未来を尊重できるようになり,2人の関係も子供の距離感から大人の距離感に変わっていくのである.

3.星見純那×大場ななのレヴュー

 ここからは星見純那×大場なな,いわゆる “じゅんななな”のレヴューについて考察する.

 じゅんなななのレヴューではまず,ななが純那に脇差を渡し,舞台少女としての「死」を選ぶように自害を迫る.そこから純那が覚醒し,学校をモチーフとした建造物が半分に割れた外でななの脇差を自らの武器としてレヴューを行うというものだ.

 序盤のシーンで,純那の進路希望調査票には「もっと勉強をするために大学受験する」と書いてある.対してななは劇団の制作側か演者側か決めきれず両方とも記入している.

 “舞台少女の死”すなわち舞台女優の道から離れる事を自ら選んだ純那に対して,ななは失望した末に自らの武器の片方である脇差を渡す.

 純那のその努力で才能に勝とうとしている姿. それはななが舞台少女の指針とするべきものであると考えていた. それゆえにななは純那に対して舞台女優の道を歩んで欲しいと一方的に思っていた. そう思われているとはもちろん知らない純那は卒業後すぐには舞台女優にはならないという選択をしたのだ. そうとなれば潔く舞台少女として自刃してほしいとなながいうのも納得ではある.

 ただ言ってみればこれはなな側の言い分である.純那は純那なりに考えたうえでの判断だ.その気持ちの差,ななの勝ちに貪欲だった舞台少女像を貫いてほしいという願望と自分で決めた道を貫きたいという純那の願望のぶつかり合いがこのレヴューである.

 このレヴューで純那は1つ,大きく成長する.それが他人の言葉,すなわち他人の“もの”をそのまま借りていた状態から自分の力に変えているところだ.このレヴューを含め,劇スのレヴューはTV版までの対戦で敗北していた側が勝っている傾向がある.ここでは純那が当てはまる.純那は,ななから差し出された脇差と“屑星”と呼ばれた自らの宝石の破片を意思で接続し,自分のものとして戦うのだ.この自分のものにした瞬間の爆発力.劇スでの破壊力を見れば,TV版で勝てなかった理由はあまりにも “他人頼り”だったからだといえよう.

 じゅんなななの双方の願望のぶつかり合いとなったレヴューは他人のものを自分の力に変えるという成長をした純那が勝った.その事実はななにも大きな影響を与えた.それはななの純那に対する気持ちが自分の押し付けであると気づいたことである.精神的支柱になっていたのは純那ではなく,純那が目標と思っていたなな自身という事実は誰かを目標にしていたと思っていたななにとって,それがただの独りよがりであったと気づいたときの虚しさといったら言葉には言い表せないものがあったに違いない.

 決着がつき,じゅんなななが自分そのものをさらけ出し意思表明していくという選択を取った結果,舞台女優の道を選んだのである.あまり深く言及することは避けるが純那とななはそれぞれアメリカ, イギリスと日本から見ると東と西,全く逆の方向の国に留学している.ここに,2人の距離感がよく表されているといえるだろう.

4.まとめ

 劇ス,それは舞台少女の卒業を儚くも美しく書いた作品.そして誰もが待っている「次の舞台」に,「次の駅」に行く人達の背中をそっと押す作品である.

 これを書きながら筆者自身も「大きな次の舞台」に向けての準備をしている.その舞台にはなにがあるか,どんな演者がいて,どんな演出家がいるか.

 それは小屋入りしてからのお楽しみである.


著者コメント(2022/10/10)

考察初めて書きました。楽しかったです。

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