見出し画像

猫とジゴロ 第十一話

春先から夏へと季節は着実に移ろいつつあった。もうリュウキュウアサガオの花が初夏の強い光を浴びて美しく、そして強く発色している。マダム邸には猫の額というと大袈裟で失礼に当たるが、小さくもあるけれど立派な庭と生垣があった。ヒイラギの生垣にはアイキャッチのレッドロビン。

シャワー上がりの俺は、置いてあるゴワッと分厚いバスタオルを使って水気を拭い、新しい下着に履き替えた。マダムに言えばカルバンクラインの下着が20枚くらいは部屋に置かれることになったであろうが、流石にこの歳で自分の下着も買えないなんて少々いかがなモノかと思われちまうと冷静に判断し、ユニクロでまとめ買いしたボクサータイプのショーツとドン・キホーテで見つけたVネックの白いコットンのTシャツに腕を通した。一応HAINESのロゴはついているが、パチモンぽくてテロテロの素材感だがまあ気分が落ち着いた。

部屋に戻ると改めてクローゼットに吊り下げてある(俺用に用意してくれたんだろう)ずらっと並んだシャツの中から気楽そうなブルーグレーのポロシャツを選んだ。赤いラインとポール・スミスというロゴが入っている。

服を着て居間のソファにちょこんと座り込んでいると、チャイムの音が鳴って斉藤さんが玄関に飛んで行った。マダムの帰還だ。やっぱり仕事がハードなのか、帰宅してからしばらくは自室にこもってしまう。斉藤さんがマダムの後について何か指示出しを聞いている。斉藤さんはしきりに頷きながら耳を傾けている。メモさえ取らない。プロの仕事ってこういう様子に進めるんだろうな。俺は感心しながら遠巻きに眺めていた。

斉藤さんはふと振り返り俺を見るとツカツカ近づいてきてこう告げた。「そう云えばエドワードくん、治しておきましたよ」。慎ましやかな笑顔と低くてよく通る声だ。人差し指を立てながらニコッと歯を見せると、「少々お待ちを」と呟くと、やはりいそいそと歩いて行ってしまった。

俺はポカンと口を開けてしばらく居間に突っ立っていた。斉藤さんは間髪入れずに扉を開けて現れた。俺のポカンと空いた口がさらに開いて、あはっという感嘆の声が漏れた。サメのエドワードくんは包帯でぐるぐる巻きにされていた。やれやれ参ったなあ。斉藤さんは上手にウィンクをすると私の胸にそっとエドワードくんを当てて「さあどうぞ」と言わんばかりの満面の笑みを浮かべると、「もうすぐお食事の時間ですね。マダムは夕食は要らないそうです。」と告げ、「お寿司でもとりますか?」と今度は真剣な表情で訊いてきた。

「寿司は良いね。実は寿司は俺の好物でね」と呟くと、先程の真面目な顔に初老の男らしい少々気弱な笑みを浮かべると「お寿司が嫌いという人にはなかなかお目にかかれません」と言って私の肩をポンポンと叩きながら、俺のセリフに頷いている。「今日は色々あってお疲れでしょう。包帯は私のささやかな気持ちです」と再びウィンクしてサッと踵を返して消えてしまった。

俺は居室に戻るとエドワードくんを眺めてみた。「全くあの人は気遣いの塊だけど、ユーモアのセンスも一流だ」と独り言のように呟きながら包帯をくるくる解いていった。「傷」は閉じられ丁寧に縫い合わされている。しかも縫い目が表に出ないように内側から縫製されている。どうやって縫い合わせたんだろうと繁々と眺めていた。