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猫とジゴロ 第五十四話

薄桃色のお母さんは「ここです」と言って緩やかな下りの木道を指差した。ちゃんとバリアフリーになっているのか、「私達はちょっと遠回りして行きますので中の池で落ち合いましょう」と言ったが、「俺が、そのカートを運びます。息子さんを抱いて歩いて下さい。」と返した。「そんな、益々ご迷惑になってしまいます。大丈夫です、ちゃんとベビーカーを押して行きます。」「そうですか。」と一言告げてゆっくり木道を歩いた。

雑木林を抜けると立派な池が見えた。少し池の周囲を進むと、何と水車が見えた。あのお母さんはどこに行ったのか、景色の抜けている池の周囲には親子連れは見えなかった。遠くで何かのコマーシャルを撮影しているのか、若い女の子が「今年はこれで決まりっ」と何度も何度も繰り返し叫んでいる。池のほとりのベンチに腰掛けてしばらく親子を待った。そう言えば、カルガモのつがいにも色が付いているのかなあ、と思いじっと眺めていたが、何故だかこいつらにはベールは見えなかった。うーん、何だか不思議だ。写真でも撮ろうと思いスマホを構えていると、「お待たせしました」と息を切らしながら親子がやってきた。

「綺麗な池だ。池の底が見える。水が澄んでいるんだね」「日によるみたいですが、秋から冬場は池の水は透き通ってますね」「良い風景ですね。少しホッとします。俺は田舎の出なんでね、こういう風景の中に身を置いていると、やっぱりホッとしちゃうんですよ」「あの、初対面でしかも助けて頂いた身分で、こんな事いきなりですが、ご出身はどちらなんですか?」俺は鳥取の話を少しだけ話した。温泉旅館の三男坊である事や、ヤクザな性分でふらふらフーテンの身である事は伏せておいた。やはり住所不定無職は相手に警戒心を抱かせるに決まっている。「何だか貫禄のある雰囲気をお持ちですね。もしかしたら絵描きさんとか小説家とか普通のお仕事ではなさそうですね」と鋭い考察の言葉が返ってきた。「いや、そんな大層な生業ではありません。ただの暇人です」「まあ、平日の昼間から優雅にお散歩されているようにお見受けしましたので。あ、申し遅れましたが私は速水と申します。」「えっと、俺は高橋だけど下の名前で呼ぶ人間が多いので下の名前、アキラって呼んで下さい。」

我々三人はしばらく池を眺めて一息ついていた。「息子さんはお幾つなんですか?」「まだ、生後半年で」「俺はいまだに独身で、料理だの洗濯だの自分でやっていた事もあるけど、主婦業って大変な仕事量ですよね、ましてやお子さんまでいらっしゃると。俺なんか猫の世話するだけで疲れちまう。」と言ってヘラヘラと笑っていた。「そうかしら、男性の方が色々と大変そうに見えます。会社勤めのストレスはうちの旦那見ていれば嫌と言うほど分かります。まあ、つまり嫌と言うほど愚痴ります、遅くに帰ってきては食事をとりながら」「そうですね、仕事って言っても本当にやりたい事を生業にしているなんて人間には、中々お目にかかれない」
アキラは浮間船渡の「軽作業」の話でもしてみようかと思ったが、話が長くなりそうだからやめた。

再び我々三人は無言で池を眺めていた。