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ペタルトーンエッセンス誕生秘話②

【音楽からヒーリングの世界へ】

やがて、ロックやポップミュージックの世界が仰々しく思えるようになり、1987年にサウンド・ヒーリングと音楽セラピーの習得に取り組み始め、ノースイースト・ロンドン・ポリテクニックで2年間学び、DipHEの修了証を獲得しました。

参考:you tube(デイビッド氏音楽など)

上記を学びつつ、ロンドンのダグラス及びニーナ・アシュビー夫妻が運営するFHCという小さな学校で西洋の奥儀やサイキック能力の開発、スピリチュアル・ヒーリング、クリスタル・ヒーリング、カラーヒーリング、過去世療法やその他のテクニックを幅広く学びました。

その後、サウンド・ヒーリングのワークショップを教えるようになり、オランダで一番の成功をおさめた後は、セラピストのために多くの楽曲の制作および収録も手がけました。

セラピストやヒーラーたちが独自の音楽テープやCDを制作するための収録用のスタジオも設立しました。

そしてある日、時間に余裕があったことから、私は自らのワークに関わるガイダンスを追求し始めました。

すると、フラワーエッセンスのワークが舞い降りたのです。

それは、私がこれまで手掛けようと思ったことが一度もなかった領域で、ましてその方面に関わる能力があるとも思っていませんでした!私たちがどれほど自らの思い込みで制限を課しているかという良い見本です。

オランダのフレッド・ジャンセン氏が私のワークショップの企画をしてくれた時、そのワークショップでフラワーエッセンスをチャクラに染み込ませるという実験的な試みをしようというものがありました。

私はそのアイデアが気に入り、私自身そのように使ってみました。

そこから徐々にペタルトーンエッセンスが生まれる過程へと進んでいったのです。

私が最初に作ったエッセンスを、私の当時の恩師だったジョー・ホリデイ女史(悲しいことに他界されました)にテストをしてもらい、高い評価をいただくことができました。

彼女から高い評価をいただかなかったら、その時点でエッセンス作りをあきらめてしまっていたかもしれません!

(③へつづく)


ペタルトーンエッセンス アストラルクリア

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