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騎士竜戦隊リュウソウジャー最終回おつかれさまです!

注:この記事は放送当時にメチャクチャ興奮して書いたので今読むと自分でも「そうか?」みたいな事も言っております。当時のテンションを感じつつ、ご注意の上お楽しみ下さい。


というわけで迎えました最終回!!
リュウソウジャー完!いや~大団円で…ほんと大団円で…。

46話あたりからプリシャス~!無理そうだけど出来れば頑張って生き残れ~~!と応援してたので、プリシャス生存エンド嬉しいです。ドルイドン族どいつも人でなしなのに…!いや~プリシャスに関してはやってほしいこと全部やってもらったんじゃないでしょうか。惨めさあり、しぶとさあり、引きずられエンドあり!ドルイドンが生存して嬉しい反面、騎士竜が封印されたのは悲しいですけど…特にカナロ…大丈夫か!?モサレックスとカナロは付き合いが長く、しょっちゅう水越し通信してたので心配ですね。アスナ先生ケア頼みましたよ…。まあリュウソウ族は長生きだし、生きてるうちにどうにか!

直前までは最終回終わったら喪失感あるかな~とドキドキしてたんですけど、リュウソウ族もドルイドン族も未来に向かって進んでいくエンドだったので、むしろ晴れ晴れしいですね。三週間後くらいには「ウワ~!もうリュウソウジャーないんだ!」とか遅れてやってきた喪失感に襲われてるかもしれませんが。助けてキラメイジャー!

じゃあ感想とか、最終回直前になってようやく気付いたこととかつらつら書いていくよ~。

◆死を積み重ねて未来に進む

過去の失敗から学び、失ったものを心に抱いて、歴史を進めていく。
リュウソウジャー、最終回に向けて、見事にこのテーマに収束しましたね。
いや…きれいでしたねホント…。

■悲劇は突然訪れる

リュウソウジャーによく起こるのが、「悲劇/死は突然訪れる」こと。
1話のマスター三人死亡、2話ラスト~3話の龍井ういがマイナソーの生み主になる回、ナダ、そしてリュウソウジャーvsルパンレンジャーvsパトレンジャーのモサレックス。

リュパトにおける「こんなにすぐに居なくなっちゃうなんて思わなかった、もっと色々してあげれば良かった」(うろおぼえ)というオトのセリフが象徴的だなと思います。

(リュパトは本当にリュウソウジャーにおける死の扱いが丁寧で…脚本全部香村さんなんですっけ?すごいですね…リュパトの感想も書きたいですね)

割と視聴者をビビらせがちなリュウソウにおいて、特に視聴者を騒然ないし呆然とさせたナダ死亡回ですが、あれね…すごかったね…。
「何の疑いもなく、明日会えるしこの先も一緒に色々できると思っていたのに、突然未来が断たれた」という表現において屈指の物だったと思います。

いやだって、想像してしまうよね。前回のナダ加入から一週間考える時間があったし…。ナダが加入したらどうなるのかな~とかこういう話あるのかな~とか!自分も暫く「せめて一回くらい加入後日常回入れてあげたらよかったのに…」とか思っていたんですが、「死によって突然奪われる明日」を表現するには、あれがベストな形だったんだと今では思っています。視聴者の心に対するナイフの振りかざしぶりが凄いよ~

◆未熟な神エラス

エラスね~。結構可哀想ですよね。独善的で支配的なんですけど、その根っこには失敗を恐れる気持ちや、自分の心に寄り添って貰えると嬉しい気持ちもあるんですよね。
誰もいなかったから、一人で独善的な道に進むしかなく、最後は自分は誰からも必要とされていないと悟って消えていく…。か、悲しい…。

エラスとクレオンが似た存在だとされていることを踏まえると、エラスも「ひとりぼっちは嫌だ」「誰かに認められたい」という気持ちがあり、それ故に地球に命を作り出そうとしたのかも知れないですね~。まあ生み出した結果が蛮族のリュウソウ族とドルイドン族だったのでめちゃくちゃ気に病んでしまったみたいですが…。

個人的には失敗を気にするマジメちゃんのエラスとメルトの性格が似てるような気がして、エラスとリュウソウ族とのつながりを感じられて良かったです。エラスもクレオンのように、一緒にいる誰かがいれば、違ったのかもしれません。エラスがユーチューバーになる未来も、あったかもね…!

◆「正義に仕え、闇を切れ」

よくある歌詞のようなんですけど、一年間、この歌詞が結構不思議で。リュウソウジャーって作中で敵であるドルイドンのことを「闇」とは表現していなかったし、正義のことを「光」と表現もしていなかったので。

46話くらいでようやく気づいたんですが、この「闇」は「負の感情」のことだったんですね。自己を律し、心の内から生まれる負の感情と戦うのがリュウソウジャー!なるほどね~!全然気づかなかった…!

■暴力に呑まれた陸のリュウソウ族、恐怖に負けた海のリュウソウ族

陸のリュウソウ族が蛮族の末裔であることは度々説明されてきましたが、海のリュウソウ族については気づいていないことが多かったです。おおむねカナロが強くて元気なのでその印象に引きずられたんですが…!

海のリュウソウ族は「争いを避けて海に逃げた」と説明されて、フ~ン平和な種族なのかな~と漠然と思っていたんですが、これちょっと違ったんですね。

カナロ自身の雰囲気を暗くしすぎないためか、カナロ(ひいては海のリュウソウ族)については複数のキャラを使って説明がなされています。

争いを疎み、自分の力を恐れて海に逃げ出したモサレックス。
大切な人の危機を前に怯え、昔と同じように自分たちだけ逃げ出そうというオト。
かつて空に逃げ出し、プリシャスを前に再び逃亡するプテラードン

この辺りを踏まえると海のリュウソウ族はただ平和を愛するというよりも、「恐怖から責任や仲間を放り出して自分だけ逃げ出した」という文脈があったようです。

47話でカナロが平穏な夢を前にして膝をついた時、結構びっくりしたんですが、たしかに思い返すとちゃんとこういう説明があったんですよね…!それもかなり丁寧に…!ぜ、全然気づかなかった…カナロがおもしろ愉快で…。

こうしてみると、恐怖に負けがちなオトとピータンが一緒に戦場に飛び出すシーンは二人が恐怖を呑み込み、仲間のために駆け付けるという、自己の弱さを乗り越えた場面だったんですね。か、感動的じゃん!(気付くのが遅い)

カナロもオトもピータンも、けして恐怖を克服したわけではなく、恐怖はあるけど意志と仲間への想いで恐怖をごまかしてるんだろうな、というの、リュウソウジャーの好きなトコですね。

■負の感情から生まれる悪意と罪の具現化、マイナソー

リュウソウジャーが人の心の闇と戦う存在であるなら、マイナソーはまさしく「心の闇」なのかなと。

生み主の負の感情を糧に育ち、他者に危害を加える存在がマイナソーです。
これ、「ヒトが他者へ向ける危害・悪意」そのものがマイナソーだと言い換えてもいいんじゃないかな~と思っています。
そしてリュウソウジャーが倒すのは「悪意そのものであるマイナソー」だけであり、負の感情自体は生み主自身が向き合うコト、という構造になってるんじゃないかな~。(アドバイスはしてくれるけど)
マイナソーという怪物を通じてですが、生み主は他者に害を与えているので、ここらへんも「罪を背負って立ち直る」というニュアンスがあるような気がします。

リュウソウジャーが真に立ち向かうべき敵はあくまで「心の闇」なので、物理的な敵であるワイズルーやプリシャスが生存することが許される一端になっているのかもしれませんね。

まあこのあたりは明言がない部分なので、深読みかもしれない!ごめんな!個人の感想ノートだからそうかもね~くらいの塩梅で聞いてね!

■夢は一人で見るよりみんなで見るほど強くなる

最終回直前にこの歌詞が本編に入ってくるとは…。
47話冒頭、リュウソウジャーたちの願望が夢の世界で実現する所ですね。

夢がかなった世界のように見えて、悲しいんですよね。
コウはナダと卓球以外の遊びを思いつけない。アスナは知らない食べ物を食べることは出来ない。メルトはオトの一番の笑顔を見ることはできない。トワは世界一周のポスターを見るだけ。バンバはマスターとの特訓。カナロは結婚式の下見をするだけで、望みの先にある「幸福な家庭」を見ることは出来ないのでしょう。

全部「本人たちが想像できる範囲」の出来事しか起こらないみたいなんですよね。願望を形にしただけなので。ナダが生きていれば、きっとコウの思いつかない遊びをたくさんしたでしょうし、現実世界ならアスナは知らない食べ物に何度も巡り会えるでしょう。メルトはいずれオトの笑顔を見るでしょうし、トワは実際に最終回で旅立ちました。バンバもこれからマスターと特訓以外のことをするでしょう。カナロも陸のリュウソウ族の村で子供に恋愛講義をするなんて楽しいこと、自分では絶対思いつかなかったでしょう。

人と人が関わることで、一人では想像もしなかった世界が開ける、そしてそれはすごく楽しいんですよね。今日あの人と会って遊んで…と予定をたてても、実際に遊んだ時どんな会話になるかだって分からないですからね。

夢の世界に仲間がいなかった…というのはこれを表現するための要素の一つかなと思います。「仲間とのやりとり」を夢で再現できなかったのが、夢の主たちの想像力の限界なのか、エラスに絆という発想が欠けているせいなのかはわかりませんが。

「夢は一人で見るよりみんなで見るほど強くなる」単に絆のことを漠然と表現してるのかと思ってたんですけど、繋がることで新しいことが起こり、そして変わっていけるという話だったんですね。

◆メルトすごい

メルト、最終回付近にかけてぐんぐん見せ場があって良かったですね。
メルトのマイナソーが最初から巨大サイズなの、笑っていいのか笑っちゃダメなのか迷うシュールなギャグなんですけど、いや~でもわかるよ、失敗するのが怖い、プレッシャーに弱い、みたいな性格だとストレス多いですからね。寧ろあれだけの負の感情を普段から制御しきってるメルト、すごいですよ。さすメル。

コウの剣を使った二刀流は全く想像してなかったアクションでしたね。か、かっこいいじゃないの…メルトがこういう役回りをね~!最終二話はコウ・メルト・アスナそれぞれ一年の集大成的なシーンがあり、良かったです。

最終バトルでの「空白」。「いないけど、みんなと一緒にそこにいる」というのが伝わってきてすごい演出ですね。「ソウルは一つ」。

◆ドルイドンも変化する

ドルイドン…というか主にはワイズルー。
初期は他惑星住民の奴隷化、マイナソーを完成させるための陰湿な自殺教唆など、命を軽んじる外道ムーブを繰り返していた上、後半に入っても「いつ心臓を潰されるかもわからないスリルがいい」などのこいつ自分の命すら…?見栄張ってるだけじゃなくて…?みたいなヤバめの言動が見られたのですが、ずっとクレオンとヤイヤイしているうちに、他人というものを意識するようになったのでしょうか。最後はプリシャスの生存を喜ぶようにまでなるとは…情操教育ってすごい

主にはクレオンとの付き合いによってじわじわと発生した感情と思われますが、大きなターニングポイントとしては「クレオンが自分には達成できない注目度を集める」「ガチレウスの死」あたりでしょうか。あのあたり、ワイズルーの他者に対する視野が広がったポイントなんじゃないかな~と思っています。ワイズルー、数万人の観客とか体験したことなさそうだし。

あくまで改心ではなく、ワイズルーにとって大事な「ショータイムして注目されたい」という気持ちを突き詰めていった結果、身近な他人を気に掛けるようになったという流れがきれいで好きです。自分がそうしたいと思ったから変わった、というのはコウの過去からも共通するポイントですしね。

プリシャスも通じ合える仲間が欲しいという欲求があるようなので(作中では歪んだ形で実現しようとしていましたが)、これから自分の欲のために変わっていくのかもしれません。

ろくでなしであることは変わりなく、有害なろくでなしから温厚なろくでなしにクラスチェンジしただけのようなので、三人であまり迷惑をかけず宇宙で暮らしてほしいですけどね…。


騎士竜戦隊リュウソウジャー、序盤からやりたいことが一貫しているので、最終回を迎えた人は二周目してみると色々発見があると思います。リュウソウジャーは本筋じゃない部分は無言で語ったりしていてむしろ二周してようやく気付くポイントも多いので、皆さんも「そこ、そういう意味の表現だったのかよ~!?」と愕然としたりしてください。自分はなった。なりまくった。

(追記:最終回でケボーンダンスが流れないことを「騎士竜が封印されたので騎士竜カーニバルはできない」とか言い始めたの誰ですか!?悲しくなるでしょ…!?悲しいのでここで悲しみを分けます)

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