大阪・千鳥温泉に『深夜高速バスに100回ぐらい乗ってわかったこと』の鏡広告を出した話(スズキナオ)
スズキナオさんの著書『深夜高速バスに100回ぐらい乗ってわかったこと』収録されている「銭湯の鏡に広告を出した話」は、銭湯の鏡広告を通しそれに関わる人たちの人生を描き、本の中でもとても印象に残る話だ。社会学者の岸政彦さんは「これが生活史だ」と絶賛した。これは、「銭湯の鏡に広告を出した話」を書いたスズキナオさんが、その文章を収録した自著の広告を銭湯の鏡に出した話。
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大阪市此花区梅香という場所に「千鳥温泉」という銭湯がある。駅からの距離でいうと阪神電車の千鳥橋駅から徒歩5分、JR西九条駅から徒歩15分という感じ。
これが千鳥温泉
浴場はこんな風
地元の方々に愛される老舗の銭湯なのだが、2017年から、“脱サラをして銭湯の経営を始める”という思い切った決断をした桂秀明(かつら・ひであき)さんがこの「千鳥温泉」を切り盛りしている。
こちらが桂秀明さん
私の素人考えでも想像されることだが、この時代に銭湯を経営するというのは楽なことではない。この「千鳥温泉」にしても、古くなった銭湯内の設備が故障してはそれを修繕せねばならず、その度に出費が大きい。毎日のように通ってくれるお客さんはいるし、自転車マニアとしても顔の広い桂さんのもとに集まる新規のお客さんも多いけど、それでも大変である。
桂さんはアイデアマンで、休業日の銭湯内でライブイベントを開催したり、銭湯を舞台にした演劇作品が上演されたり、銭湯内の清掃を手伝う換わりにいつでも銭湯入り放題というかたちで清掃スタッフを募ったり、少しでも銭湯のことを知ってもらおうと常にいろいろ考えている。そうやって「千鳥温泉」を支えているのだ。そういったアイデアのひとつとして、浴場内の「鏡広告」への出稿者を広く募集する、ということを始めた。
「鏡広告」というのは文字通り、銭湯の洗い場の鏡にくっついた広告のこと。
こういうものである
古い銭湯が好きな方なら見かけたことがあるかもしれない。「千鳥温泉」の浴場内には、ずっと昔に設置された鏡と鏡広告がそのまま長く残されていて、その広告がPRしているお店自体がもうとっくに廃業していたりした。鏡自体も古くなって写りが悪かった。
そんな中、桂秀明さんは「鏡広告」を専門に扱う業者さんがまだ大阪に残っていることを知り、この鏡に広告を出す人を募集して広告料をもらえば、銭湯の修繕費などの足しにできると考えた。
広告技術が進化し、手法も変化して、「看板や新聞やテレビよりインターネットの広告だ!」とか、さらに先端のいろいろもある今の時代に、銭湯の鏡である。その広告は「千鳥温泉」に来て裸になって浴場へ入ってこなければ出会えないのだ。なんと対象の狭い広告だろうか。しかし、それこそが面白く見えるのも今の時代だからだ。
そんな広告のスタイルを面白がって「出稿したい!」という人がたくさん現れた。「千鳥温泉」の鏡広告を請け負ってくれる「近畿浴場広告社」は、84歳になる江田ツヤ子さんがひとりで営まれており、受注から実際にでき上がった鏡を銭湯に取りつけるまでを一手に引き受けている。
こちらが江田ツヤ子さん
そして、その江田ツヤ子さんが受注した広告をシルクスクリーンでプリントしたり、文字入れをしたりするのは90歳になる松井頼男さんだ。
こちらが松井頼男さん
江田さんと松井さんのコンビニによって、「近畿浴場広告社」の請け負った鏡広告ができ上がり、銭湯に取り付けられているのだ。
私は『デイリーポータルZ』というWEBサイトにこの鏡広告ができるまでの顛末を書かせてもらった。それが2019年の2月のこと。
興味を持たれた方は読んでいただけたら幸いです。
その時に制作してもらった「デイリーポータルZ」の広告がこれだ
ちなみにここまで掲載した写真はその取材時に撮影したものになる。
そして、そのWEB記事の原稿をベースにした文章を、私の著書『深夜高速バスに100回ぐらい乗ってわかったこと』に収録した。2019年の11月1日に出版された本である。
「千鳥温泉」の鏡広告の掲示期間は1年間と定められている。1年経ったら再度広告料を支払って同じものを引き続き掲示してもいいし、1年でやめてもいい。空いたスペースがあれば新規の広告主が募集される。
私の本の版元であるスタンド・ブックスの森山さんと「鏡広告が今度新しく募集される時が来たらこの本の広告を出しましょう!」、「鏡広告について書いた文章が載った本が鏡広告になったら、なんか鏡の中に鏡があるみたいで面白いですよね」というようなことを話していた。
そして月日が流れ、「千鳥温泉」の桂さんから「新規の鏡広告の受け付けをスタートしました!」という連絡が来た。すかさず自分の本の広告を出したい旨を伝え、受け入れてもらえることになった。それが2020年の2月頃のこと。
それから、新型コロナウイルスによって世界情勢も日本国内の事情も大きく影響を受け、私自身も落ち着かない日々を過ごしていたのだが、6月になって、桂さんから「鏡広告ができ上がりまして、江田さんが今度取り付けに来てくれます」との知らせが。こんな慌ただしい状況下で江田さんと松井さんが広告を制作してくれたことがとても嬉しかった。
取り付けの当日、マスクをしてできる限り手先を清潔にした上で「千鳥温泉」を覗かせてもらった。
今回のタイミングで新たに出稿された鏡広告がたくさん運ばれてきていた
私の本の鏡広告もこの通り、できあがっている。感動する
隣の鏡には尊敬するマンガ家・ラズウェル細木さんの広告が掲示されることになった
江田さんが古い鏡を取り外し、新しい鏡を取り付けていく。あっという間のスピードで驚く
鏡広告の取り付け作業風景
いよいよ私の鏡(という呼び方でいいのだろうか)が取り付けられる番が来た。作業の手を一瞬だけ止めてい頂き、記念撮影をお願いした
少しだけ近づかせてもらってパシャリ
江田さんが私の鏡を取り付けてくれている! 嬉しい
あっという間に設置完了!
ラズウェル細木さんの広告も設置完了!
これから1年、「千鳥温泉」の男湯で(すみません! 費用の都合上、男湯のみの掲示となっております)、“私の鏡”がお客さんの前に貼り出されている。これは不思議な気持ちである。
この鏡の前で体を洗い、ついでに「ん? 高速バス? なんだって?」と、本のことを気にしてくれる方がひとりでもいたら本望だ。いや、もうこうしてここに広告があるだけでも満足なぐらいである。
江田さんが取り付け作業をしながら近況を話してくれるのをじっと聞く。
それによると、
・江田さんは去年の夏頃に坐骨神経痛に悩まされた。しかしその後回復され「またなんとかやってますねん」とのこと。
・90歳になられた松井さんもお元気とのこと。私の本の広告を見て「これ、スズキさんの本のやつやないかぁ。ほおー」と笑ってくださったそうだ。
・江田さんは今、お孫さんとふたりで暮らしていて「わが家の大臣ですねん! 私が食事の準備もしてね、しょっちゅうケンカしてますわ」と言いつつ、お孫さんがいることが生活のハリになっているようだ。
・お孫さんは、江田さんがお仕事で外出するたびに「マスクして行きや、消毒したんか?」と気にかけてくれるという。「ちゃんとマスクつけてるわー! ゆうて、そんなふうに孫と言い合いして1日が終わっていきますねん」とのこと。
・江田さんのご家族が私の本を知ってくださり、近しい方たちの間で回し読みしてくれているという。「そんなんせんで1冊ずつ買うたりー! ゆうたんですけどね」と、優しい江田さん。
作業を終えた江田さんは「ほな、また来ますー」と、ご自分で運転する車で帰っていった。去年から1年間の掲示期間を終えた『デイリーポータルZ』の鏡広告は記念に持ち帰らせてもらった(広告主は掲示期間終了後にその鏡を引き取ることもできる)。
この鏡を引き取りました
掲示を終えた鏡を手にしている私を見て、江田さんが「家に取り付けたらええわ。これはええ鏡ですよ。質のええ鏡やからね、スズキくんがおじいちゃんになってもまだ写ってるで」と言った。私は老人になった自分の顔がこの鏡に写っている光景を想像して愉快な気持ちになった。
これから1年、よろしくお願いいたします!
お知らせ1:
私の著書『深夜高速バスに100回ぐらい乗ってわかったこと』は全国の書店で発売中です!
http://stand-books.com/sinya100kai/
鏡広告の話の他にも、興味の向くままにあちこち行ったり、いろいろな人と会ったり、ラーメンを食べたりした記録が詰まっています!
お知らせ2:
「千鳥温泉」の鏡広告、若干数ですがまだ募集中とのこと! もし興味を持たれた方がいらっしゃいましたら、以下の方法から「千鳥温泉」にコンタクトを取ってみてください!
・千鳥温泉のTwitterアカウント
https://twitter.com/jitenshayu
・千鳥温泉の公式サイト
https://jitenshayu.jp/
スズキナオ
1979年東京生まれ、大阪在住のフリーライター。WEBサイト『デイリーポータルZ』『メシ通』などを中心に執筆中。テクノバンド「チミドロ」のメンバーで、大阪・西九条のミニコミ書店「シカク」の広報担当も務める。パリッコとの共著に『酒の穴』(シカク出版)、『椅子さえあればどこでも酒場 チェアリング入門』(ele-king books)、『“よむ”お酒』(イースト・プレス)がある。パリッコと共同編集を務める新雑誌『のみタイム』が2020年8月創刊予定。
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