寺尾紗穂『天使日記』に関するお知らせ
福岡 降り止まぬ雨(修正版)
先日ある大学で4日間の集中講義をした。外部からの受講生のなかに、私がその土地でライブをするとき、必ず来てくれては終わったあと、直接感想を伝えてくれる人がいた。彼女は研究者でもあって、いくつかの大学で授業を持っているということを授業最初の全員の自己紹介のとき知った。参加メンバーは授業中何か感じたことがあると、それぞれよく発言してくれたが、彼女のある発言は印象的だった。それは「自分が人をさばくような物言いを、知らずにしていないか」よく考える、ということだった。
授業後、彼女とゆっくりお茶をしたときも、彼女はまた「人をさばくような物言いを知らずにしていないか」ということに触れた。私は思慮深い印象の彼女が、なぜそのことを気にし続けるのか不思議な気がした。すると彼女は大学時代に自分が経験したことを丁寧に話してくれた。
それは学生時代教授からセクハラを受けた話だった。彼女以外にも多くの被害者が出ていた。別の教授に相談したが、かんばしい反応は得られなかった。その後も、セクハラ教授の加害は続いていたのだろう、卒業後、彼女に当時の被害について証言してほしいという依頼が、かつて相談した教授から来た。彼女のみならず、卒業生の被害の声をまとめてほしいという。会ったこともない人に連絡し、今になってかさぶたを剥ぐようなことをしていいのか。彼女は悩んだが、現役の学生からも頼まれ、在学中にセクハラ問題を放置してしまったという自責の念もあり、仕事を引き受けたという。
聞き取りを始めると、大学の前を通るだけで震えが止まらなくなるなど、深刻なトラウマになっている者もいた。集まった声は100を超え、男子学生もパワハラを受けていた。泣き寝入りするしかなかった一人ひとりの声をまとめるなかで、教員と共闘できない部分に気づき、その後は学生と卒業生たちで弁護士を依頼した。最悪と言っていい事態を覆すには闘いしかなかった。報復の恐れがあるなか、学生とともに卒業生も申立人となった。しかし、彼女は訴えを進めながら、そこで生まれる言葉に息苦しさを感じることもあったという。日常の言葉と違い、申立てに意味の揺らぎは許されない。正しさを要求する、隙のない鎧のような言葉が必要だった。
話を聞いて、ふと思い出したのは、宮沢賢治「雨ニモマケズ」の「北ニケンカヤソショウガアレバ ツマラナイカラヤメロトイイ」という部分だ。何が「ツマラナイ」か。それは負けて時間やお金の浪費になるかもしれない、という意味以上に、大切なものを失う、という意味のように感じた。声を上げる手段として、訴訟が重要なことは勿論だ。それでもなお、訴訟により失うものがあるとすれば、それは「自分が正しい」という、極めてはっきりとした「迷いのない主張」を声高に伝えなければならない、ということではないか。「事実」というのは人によって違う。人の心も本当は揺れ動いている。しかし申立ての場は、対処を求めて「被害の事実」に焦点を当てる。あいまいさはご法度だ。必然的に、加害者像は固定され、他の面は見えなくなる。彼女はそこで発しなければならない言葉の限界に気づいてしまった。繊細すぎると笑う人もいるだろう。正義は正義、という声も聞こえてきそうだ。それでもなお、私は彼女が躊躇する「人をさばくような物言い」への違和感を心に持っていたい、と思う。「迷いのない主張」は、対話からはてしなく遠いところにあるようにも思うからだ。偉そうなことを書いても私も心当たりがある。日々の暮らしのなかで、怒りに任せて発したり書いたりした言葉たち。しかし現実も、人間も、本当はもう少し複雑であること、訴訟の道を選ぶにしても、私たちには「別の道」も残されているかもしれないことを忘れたくない。
羽田行きの飛行機に乗る前、オウム真理教の麻原彰晃を含む幹部ら7人の処刑を知った。大きな事件のあとはたくさんの「罪人」が死刑になる。大逆事件しかり、A級戦犯しかり。しかし、その強制的な「償い」を前に、私たちは何を手に入れたのだろう。どんな叡智を?すばらしい教訓を? 死刑を伝えるヤフーニュースのコメント欄には匿名で「人をさばく言葉」がどこまでも続いていた。
ニュースは日本各地での水の氾濫を伝えていた。何の関連もなかろうが、神がいるとすれば、どのように今日の日本を眺めているか、と思った。雨降り止まぬなか、ふとランディ・ニューマンが皮肉をこめて書いた“I Think It’s Going To Rain Today”という歌を思い出す。「Human kindness is overflowing and I think it’s going to rain today.(人類の善意があふれて今日は雨になりそうだ)」というフレーズがいつまでも頭の中で鳴りやまなかった。
※申立ては、被害事実をハラスメント調査委員会に報告して対応を求めるシステムであり、被害者が裁くものではないことを付記する。彼女たちの申立ては大学に自浄機能が失われていることも問うものだった。
【初版正誤表】
p130 誤:「モンゴル武者修行ツアー」 正:「モンゴル武者修行」
p317 誤:林宣彦監督 正:大林宣彦監督
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