脳の灯りが点いたままで。


カフェインを多量摂取し灯し続け、眠剤で12時間以上暗転させる。再度点けるには悪夢による着火。接触不良は微睡で、営業時間は不定期。

Love is Blindとは、「愛は盲目」の意。
愛は偶像です。それが明確になったのは一昨年の11月。

この人の何を知って「好きだ」と言い切れるのか、この人は私の何を知って「好きだ」と思ったのか。
完全に断片的にしか見えない他人の側面のみの判断、妄想、過信、夢、ロマン。
それが低脳によるぼやけた単なる穴であろうと、高知能による冷静な分析であろうと、変わらない事実は「全てを知らない」こと。
全知なんて不可能であること。

これは諦めでも達観でもなくて、流れ着いてそこにあった自分の答え。
だからマイナスでもプラスでもない、ニュートラルに浮かぶ生地。

ただ、悲しかったのは、やはり自分にも感情がありすぎた点。
「期待し過ぎ」とは、もう何年前から言われていたことだろうか。
渡り鳥でしかないのに、過去現在未来とか。

恐らく、親も彼女も、今よりもっとダメな私のことが好きだったのであろう。お世話が焼けると、人は満足感を得られるので。悪い意味ではなく、どこかで私を見下して、自分の価値を置いていたのかも知れない。多分。
これを、ここ数週間ずっと考えていた。

人間は良い部分は変わっていって、不思議と悪い部分は変わらないもので。
あれから10年、あれから20年。自分が他人に好かれたり嫌われたりする部分は、前述の通りである。


会話の表現手段を何ひとつ持てなかった私、作品のみで自分を吐露していた私、各方位に棘を飛ばしていた私、地ならしされた私。
自分が好かれる部分や好かれる他人、時代、自分の知識や見解は変わっていくのに、嫌われる部分(自分の悪い点)はいつだって変わっていない。
むしろ悪い点に普遍性を感じるはずだというマインドも、昔から不変だね。

地球に人間なんかが存在している以上、他人のことを考えられずにはいられないが、脳でどれだけ範囲を使うか。
例えば、人間以外の動物、空、草木、大気、土、無機物など。それらを重点的に見ている範囲が多い方が、自分的には安全だ。なにせ対象物に言葉が存在しないから。

「大好きだよ」なんて、どの口が言えたんだ、私の何を知って言ったんだ。

時間の経過、他人の生死、感情の移行、記憶の存続、五感の鈍化。
脳はこれらをコントロール出来ない。
正しさも嘘も、行き当たりばったりで、「人による」というグレーゾーンワードのままだ。しかし、これらはコントロール出来ない分、自分で確実に感じられる。だから泣くことができる。

何も自力で変えられないが、何かいつの間にか変わっている。
そしてそれに気付いた時はいつだって遅い。早期発見なんて癌だって出来ない。経験のみの手繰り寄せ。
新しい出来事は頻発する。
収拾がつかないから何もかもをぼかすために必要なカフェインと眠剤は、愛なんて偶像より実態が知れている。

でもね、感情も感動も感嘆も、何もかもが灯っていてほしい時もある。

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