タイトル


気泡緩衝材を一粒ずつ捻り潰していくかのような毎日を9年間送っている。
液晶の向こうの世界を閉じたら何も残りはしないのに、空笑いで注文を確定し届いたものたちがいつでも私に微笑みかけてきた。
「しょうこ、寂しいんでしょ?」、甘えん坊は甘えん坊の心が解ると言う。世界の誰よりも澄んだ目で雨水を見つめる命を守るためだけに飛び降りていない。
生きる意味とかセンスや強さや数字がどうのとか今何歳だとか、考え始めたら人生は終わる。
虚無を形にする余力すら残っていない場合、その場凌ぎで次から次へとテンションを変えていくことで、生命維持装置を動かした気になっている。
或いは何でもいいから食べること。
集めた情報は、集めた安定剤を大量摂取すればいずれ無惨に散っていく。
なんにせよ何の意味も理由も裏付けも生産性も将来性も皆無なので、やたら明るい画面に向かう依存をして何かしらを有意義にしたいだけだ。
全てを削ぎ落としたところで何が変わるわけでもないと思う。

他人との出会いや記憶を全て忘れて、対岸の向こうに自分だけ遭難させれば至極気持ちが良い。
奈落の底の居心地も良くなるように、孤独の概念も喋り方も経年の憎悪も一度地上に置きっぱなしにして腐らせる。

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