この前書いた記事、「確かなる憎悪」を父親に読んでもらって、感想を聞いた。
本の虫の父親にどんな感想が浮かぶのか単純に興味があったのだが、聞いた瞬間に違和感を抱き、自分の感情や記憶を深掘りしていったら段々腹が立ってきた。
日をおいて、内容を記事に書くことにした。

まず、父親の感想は、
「ひがしにほんだいしんさいから10年が経ち、災害や事故などでいつなんどき人に死が訪れるかもわからない、穏やかな日常が突然壊れてしまうこともあるのに、自殺という選択をすることへの苦手さを感じた。勝手というか。(残された人々の気持ちへの)想像力が無いんだろうな。」

この感想を聞いてムカついた、ということを母親に話した上で、母親にも「確かなる憎悪」を読んでもらい感想を聞いてみた。

「災害などで突然亡くなってしまうことと、精神疾患による自死は、まず比較の対象にならないよね。」

本当にこれである。これは前提条件だ。
私の感想としては、

「私に対して行った虐待によってどんな大人になるのか、精神疾患の人がどんな思いで自死を選ぶのか、あなたにはその想像力は無いんですね。」

無知は、時に尊く時に怖い。
父親は、私の精神疾患に対する知識がまだ無いようだ。
この前、両親と主治医だけで面談したばかりにも関わらず。
しんさいに関して言うならば、つなみにさらわれるなどして亡くなった人の遺族が、後追い自殺をしたという事実もある。その人達に対しても、「勝手だ」と対面で言えるのだろうか。
父親は、まず自分が悲しみたくないのと、子供が自殺されたら親戚に顔向けできないから、「勝手だ」と言ったのだろうか。

私は虐待されていた。
両親が結婚した後に、共に暮らしていく上での相談をした時、母親が父親に「私に手を出したら離婚する」と言ったらしい。
母親も父親も、ストレスが溜まってどちらにも手出しできない(そもそも怒り方の対処が間違えているが)となれば、その反動は1人っ子の私に向かった。

母親からは、
・私が小学生の頃、同じマンションに住む同級生が休んだ日に連絡帳を届けるのを忘れたという失態をしたら、社会で1番重い教科書をすねに投げつけられた。しばらくあとが残った。
・ちゃんと話し合いをしようと何度も持ちかけたのだが、万札を出されて会話を終了された。
・過干渉で無関心。小学校の頃、自転車で走っていいのは校庭内だけという言いつけをされたが、自転車は一向にうまく乗れず、言いつけを破って外でかっ飛ばすようになったらうまくなった。前の記事にも書いた通り、私が高校生の頃に自室で吐いているのを知っていながら放置。
・私を私立中学に入れたら安心しきったのか、その後勉強について一切関わってこなかった。中学になって勉強面で自立するにしても、小学校の頃と態度が違いすぎる。
・主に言葉の暴力。私が母親の言い過ぎによって、薬を大量服薬しても直っていない。私が話している間に言葉を遮る、大声を出す。言葉のチョイスを間違えている部分を、私がしっかり受け継いでしまった。など。

父親からは、
・ものに当たることが多い。保育園の頃、父親がコーヒーの粉を盛大にこぼし、思わぬ事態に私が笑ったら、キレて掃除機をストーブに突き刺して壊す。なおストーブは母親が昔から使っていたもので、自分の大切なものは壊さない。
・みかんを壁に投げつける、エクレアを台所に投げつける、トイレットペーパーを椅子の足で潰す。
・保育園の頃、父親に耳かきをしていたら奥まで入りすぎたようで痛かったらしく、瞬時に綿棒もろとも突き飛ばされた。
・小学校の頃、家の中で怒りながら追いかけられた。
・小学校の頃、ランドセル越しに背中を蹴られた。
・小学校低学年まで父親と一緒にお風呂に入っていた。ある時父親が先に入っているお風呂に入ろうとしたら、にやけた顔で「おっ◯い大きくなったな」と言われ、当時何も知らなかったが生理的嫌悪を感じ、それ以降1人で入るようになった。最近調べたら、言葉による性的虐待に入るらしい。など。

両親から同時に怒られるのが普通だと思っていたが、後で調べたら、どちらかが助け舟を出す役割をする家庭もあるらしい。
中学に入って、顔にできた思春期にきびを潰してしまっていたら、両親どちらもから、「何その顔」と嫌な表情で言われた。“普通”の家庭なら、「どうしたの?」と声をかけられるのかな。
中学3年あたりで潔癖気味になって、シャワーに3時間ほどかけて、にきびができないように洗いまくっていたら、水道代がパンクした。
両親はシャワーの制限時間を設けたが、私は過ぎてしまい、母親からは見られたくない裸を見られながら大声で風呂場で説教をされ、父親からは頭からコーヒーをかけられた。
高校生の頃は、父親と母親の言い合いの声や生活音がうるさくて、耳栓を買ってつけて寝ていた。

子供が、「どうしてそうなっているのか」を考えない親だった。今もあまり変わっていない。
小さくて無知で従順で可愛らしい頃と、思春期・その後では、全く態度が違う。その上、私が精神疾患だと診断がおりたと、告げる前と告げた後での態度も全然違う。掌返しとはこのことで、気分によって態度がコロコロ変わる両親だ。
ネットで読んだが、「良い親」というのは、「常に機嫌が一定である」ことも含まれているらしい。
虐待して根本の精神力を奪い、同時に生活力も奪って、親元から逃げられないようにし、永遠に束縛する。所謂毒親とはそのような傾向の人もいる。

次に、精神疾患の希死念慮について。
まず、精神疾患の人が自死を試みる時、周囲への配慮などを考える精神的余裕は、全く持ち合わせていない。
とにかく、すぐにでも死にたい。または、この日までに死ぬ。または、この日に死ぬ。こうなったら、死ぬ。なんとなく、死にたい気分。
精神疾患の人は、常に心が切羽詰まっていて、この世に対してあらゆる事象によって絶望しきっていて、「死」という答えでしか先を見通せず、生きること自体に意欲が湧かないのだと思う。少なくとも私はそうだ。
自分の体の生命的で自動的な、心臓の鼓動や血の流れ、内臓の動きなどに感謝できない。太陽の光、外気の匂い、草木や花、賑わった街、空の色、それらが苦手になってしまう人もいる。お世話になったり、自分に関わってきた人々の笑顔すら霞んでしまうか、申し訳なさで重圧がかかる。
今すぐ全て止まってほしい。自分は元々いなかったことにしてほしい。「死にたいと言うより消えたい」と言う人もいる。人生を辞めれば少しは楽になるはずだ。その重い思いで心が埋め尽くされる。

人間誰しも死にたくなる・消えたくなる時期はあるのかもしれないが、この記事のタイトルを「溝」にした理由は、精神疾患である人と精神的に健常である人の思考回路の違いによって、永久にわかり得ない部分があるのだと改めて思ったからだ。

むしろ、私は既に、精神疾患である人とない人は、別の生き物だと認識している。
精神疾患になる要因は、環境や経験によるトラウマなどの外的刺激の他に、脳内部のつくりの関係もあるからだ。
そして、精神疾患だと診断された後でも、健常な人から「無知」な言葉をかけられたこと。「あなたにはわからないでしょうね」と、何度も思ったこと。この気持ちをこうして発することによって、わざと「無知」な言葉を私にかけてくる人間もいること。
そもそもの、感情への到達速度や衝動性、向上心や行動力の偏りなどが、全て違う。これは全人類単位で言えることだが、精神疾患になると前述した思考回路が、健全なものではなくなる。

2020年12月31日、ころなで年越しライブに行けず、実家に帰ることにした私だが、実家に帰る途中の電車がじんしんじこで止まった。
電車内にアナウンスが流れた瞬間に、「ああ、今年中で終わらせようとしたか」と思った。
実家に帰ってツイッターを開くと、また別の電車が止まった情報が流れており、当事者のツイートもタイムラインにあった。やはり精神疾患の人だった。
また、ころななどによって有名人の病死や自殺が相次いだ。自殺に関するスレッドを見ると、「自分が代わりに死にたかった」という言葉が羅列されている。しんさいの頃でもそう思った精神疾患の人もいるのではないか。

新小岩という駅は、飛び込み自殺の名所と言われていたが、それだけについにホームに柵が設置されたらしい。
しかし、柵がなく快速や急行が駆け抜けるホームなど、いくらでもある。
オートロックがついておらず、簡単に上層階に入れてしまうマンション・アパートも沢山ある。
致死量の薬は種類によるが、それぞれ違うドラッグストアを何件か回ればすぐに手に入る。
自殺は、少しネット検索をすれば、簡単にできてしまう。
穏やかな日常は、しんさいややくびょうや事故などと同等であると言えるような可能性で、自死という形で突然終わらせられる。

父親がテレビで見ていた映像。しんさいで残された人々のところに歌手がやってきて、励ましの意味で「頑張れ」を連呼して歌っている10年前くらいのふくしま。そこで涙する人もいれば、元気をもらって笑顔になっている子供もいた。
しかし、こちらは「事情」が全く違うのだ。これ以上何を頑張ればいいんだ、と、その映像を見ながら思った。

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