描き手の哲学

私のカケラがどこかで息づく

絵であったり 音楽であったり 文化であったり 建造物であったり・・・

世にある有形無形の人の創造物は、物質をなす物は経年と共にどこかで壊れてしまう場合もあったりするけれど、人から人へ伝聞されたり、記録媒体から誰かの元へ・・・

何らかの形で残っていったりする。

歴史って単純じゃ無いから、

切ったり 刻んだり 消えたり 生まれたり 繋いだり 再構築したり 

今現在だって色んなことの繰り返しの中で、それぞれの目の前の今がある。


目の前の今に繋がった 今手元にあるモノとか文化とか目に映るものたち それを伝えてきた人の人となりを全て私たちは知っているだろうか? 知れと言われたとしても、そんな膨大なことは無理に等しい。

でも、確実に彼らはそこで生きていたし、生きているし。私であり、あなたである。

今手元にあるものが、誰かが一生懸命創った物かな・・なんて意識したら、ちょっとモノを大切にしたくなれるかも知れない。


物作りをするうえで、自分のカケラをそっと世に送り出すように感じている。それは、大きな川に笹舟を浮かべるように。

受け取る人は、私の素性など知らないが、作品からは何かを受け取ってくれる場合があるだろう。それで一瞬でも喜んでいてくれたりしたら猶良し。


歴史で名の残る人とか、今の世で知名度のある人なんて極極々わずか。そして、記録に残らない、果てしない多くの人々の手と手を繋いで今があるということに、思いを馳せながら暮らしたいと ふと考えたりしてしまう昨今である。

stamper



追記

ものだけじゃ無くって、【いきもの】である私達も歴史の一部。

あなたの愛するあの人も あなたの嫌いなあの人も

平等に大切にするって無理なのかも知れないけど、少しずつ思いやって行けたらすてきだなって。

そうあって欲しいと考えてしまうのです。



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