ドキドキ!プリキュアについて【13】


23話からは、新しく登場したキュアエースを中心に、マナたちがレジーナ奪還に向けて「次なるステージへ」駆け上がっていくお話しです。前に書いた通り、キュアエースが子供たちにとっていかに魅力的に映るかを念頭に構成しました。

23話は古賀監督自らが絵コンテに登板。気合いの入った話数となりました。

「愛を取り戻せ!プリキュア5つの誓い!」なんてサブタイトルを見て「またジャンプと特撮好きの山口(*1)が悪乗りして書いたんだろう」なんて思われるかも知れませんが、実はこの「5つの誓い」は決定稿直前まで出てきていません。キュアエースというキャラクターを印象付け、なおかつ厭味にならないよう、柴田プロデューサーから何度も改稿を迫られ、追い詰められた末に絞り出されたものだったのです。この台詞がなければ、ロゼッタあたりエースと一戦交えかねない勢いでしたからね。これしかなかったんだと思います。

また、この話から敵側のキャラクターとしてグーラとリーヴァが登場します。当初から七つの大罪をモチーフとした構想はありましたが、イーラ、マーモ、ベール以外の四人はトランプ王国侵攻戦で王国のプリキュアたちと刺し違えているつもりだったのです。いや、刺し違えると言うと誤解を招きますね。プリキュアのパワーで封印したとか、そういうレベルです。イーラたち三人が憎めないキャラクターになってきたので「敵側もパワーアップしたぞ」という印象をつけるために急遽登場させました。大食漢とオカマって、キャラの立て方としてはこれ以上ないぐらい卑怯でイージーなのですが、「暴食」と「嫉妬」がモチーフなので、捻らずそのまま使っています。

シナリオ決定稿は200字換算六十三枚で、既に平均よりも5%程長い(*2)のですが、編集前の尺が五分オーバーというとんでもない数字をたたき出してしまった話数でもあります。エースショットが2回、エース変身が初登場なのでフルバージョンで一回入れるというのがマストなのでそこは切れません。演出の三塚さんは、プリキュアではあまりない変身シーンの短縮、技名のカットなど、大胆かつ繊細な編集で乗り切ってくれました。

ちなみに、五つの誓いの残り四つは各話ライターさんにそれぞれ考えて貰いました。亜久里も多分、最初のひとつしか考えてなかったんじゃないかなと思います。五つの誓いのバラバラさ加減(韻を踏んでいないとか)含めて、実にリアル(笑)。

24話は、プリキュアシリーズでは定番の「女の子の夢とプリキュア、どっちを取るか」の変化球版のつもりで構成しました。もともと王女様を見つけるために始めたアイドル業。歌そのものに意味はなくなったけど「それでも、歌は続ける。自分の夢は追い続ける」というのは、真琴の一年を通しての結論ともなるわけです。この話を成田さんに書いて貰って本当に良かった。

エースが子供たちに嫌われないように心を砕いたつもりですが、改めて見返して見ると「お前の歌には心が籠もっていない」とか、結構ひどい(笑)。釣られて真琴も「マナたちはプリキュアとしての自覚に欠けるわ」とか、かなり酷いことを言ってる。亜久里のほっぺにクリームと合わせて、この話の見所のひとつです(笑)。

25話は、田中敦子さんの「私も変身したーい!」という一言から生まれたお話。四葉財閥の科学力をもってすればラブリーコミューンを人工的に作り出すことも可能なハズ。そう、鋼鉄聖闘士のように……という発想だったのですが、当時星矢Ω(二期)のシリーズ構成を務めていた成田さんから「鋼鉄聖闘士出ますよ」と聞いて引っ繰り返った覚えがあります。話の本筋に関係ないジコチュー戦が二回あったり(しかもその小ネタがいちいち面白かったり)セバスチャンの変身があったりとバタバタですが、敢えて整理せず、全部詰め込んだ感じで仕上がっています。

26話は、4話のイーラの「青くてフワフワしてキラッキラしてやがってさあ……」というフラグを誰も拾ってくれなかったので(笑)満を持してブッ込んだお話です。最初のキャラクターシートを構築した段階では「ジコチューとは何か?」「育った環境が全く違う相手と友情を育むことがが出来るのか」といったシリーズの根幹となるテーマは、イーラと六花を通じて描くつもりでしたが、その辺りはレジーナが背負ったので、六花とイーラのドラマは一旦立ち消えになっていたのです。ただ、このまま埋もれるにはあまりに惜しいと思い、復活させました。終盤、マナとレジーナの関係を描くためのいい補助線になったのではないかと思います。記憶をなくしたイーラを献身的に介護する六花のくだり(イチャコラとも言う)は、演出の田中裕太さんの手でかなり膨らんでいます(笑)。

27話は、亜久里の設定の一部を説明するお話。最初は亜久里の保護者は「竹取物語」に倣って子宝に恵まれなかった老夫婦にするつもりでしたが、キャラが多すぎるということで茉莉一人になりました。

「設定は語るけれど、実はそれは本人の思い違い」という厄介なお話なのですが、脚本の田中仁さんがうまく処理してくれたと思います。お茶の作法に関しても、いろいろ調べて貰っています。

アジトでグーラとリーヴァがお互いを褒め合うくだりがありますが、飛田さんと天田さんの熱の籠もり過ぎたお芝居に、スタッフから変な悲鳴が上がっていましたね(笑)。

28話は、「亜久里の夏休み」がテーマ。宿題は終わらせたけど、絵日記が描けていない、というところからマナたちが亜久里と夏休みの思い出を作る、というプロットを、米村さんが「どうせなら、亜久里の学校生活も描きたい」とエルちゃんというクラスメイトを登場させて、膨らませてくれました。おかげで亜久里の人間味もドカンと増しましたし、キュアエースが好きだと言ってくれる子も増えたのではないかと思います。前回の着物姿と浴衣の違いも見所のひとつ。

29話はこれまた西原シャルル久美子さんたちから「私たちもダビィみたいに人間になりたい!」という要望を受けて生まれたお話。ちぃマナみたいなシャルル、半ズボンが似合い過ぎるラケル、くりくり巻き毛のランスと、三人ともデザインが秀逸です。もともとは、ラケルの恋話(36話)として考えていたのですが、柴田Pから「妖精の話は面白いから、もっとやろう」ということになり、その前段として作りました。シャルルが普段どういうふうにマナを見ているかが判るお話なので、生天目さんのお気に入りのエピソードのひとつでもあるようです。

30話は、一転してRPGのようなお話。ジコチューが全く出て来ない珍しいエピソードです。新アイテム・マジカルラブリーパッドをいかに唐突感なく視聴者の心に着陸させるかという一点に心を砕きました。一万年前のプリキュア、三種の神器という大仰な設定もそのための仕掛けなのですが、結果としてミラクルドラゴングレイブを巡るレジーナとの攻防や、エターナルゴールデンクラウンによる最後の謎解きという部分で設定を生かし切ることが出来たので良かったと思います。一方で、ラブハートアローだってまだまだ使うぜ! という意思表示として「ラブリーフォースリフレクション」という玩具にはない技も出しています。

「負けを引きずらず、飯食ってもう一度挑戦しよう! というのがマナでしょう!」という柴田Pのプッシュがかなり効いています。亜久里もカレーのあまりの美味しさに目を丸くしていますが、ニンジンはたまたま彼女のお皿には入っていなかったようです(え)。

キュアハートが最後にメランに突撃していくシーン、生天目さんが限界まで声を張り上げるお芝居に、スタッフも全員、拳を握り締めながら応援していました。

31話は、そのマジカルラブリーパッドが登場するお話。神器はひとつだけど、玩具は五人それぞれに持たせて欲しいとオーダーされて、少し悩みましたが「だったら割っちゃえばいいじゃん!」と思いつき、あの大ピンチの描写が生まれました。

このエピソードで、リーヴァとグーラは退場します。実質9話しかないのですがインパクトはもっと大きかったのではないでしょうか。これも飛田さんと天田さんの濃厚なお芝居と、高橋晃さんのデザインの賜物ではないかと思います。

それでは、また。


*1 帰ってきたウルトラマン最終回「ウルトラ5つの誓い」。戦いを終え、故郷の星へと帰っていくウルトラマン=郷秀樹に向かって、次郎少年が二人で交わした約束を叫ぶ屈指の名シーン……?

郷さんが託した言葉は、子供の心にしっかり残るんですよ。たとえ「天気のいい日は布団を干すこと」であってもね(笑)。だったらもっと作品に沿った形でメッセージが託せないだろうかと。「プリキュア」を見ていた子供たちが「マナのように常に前を向いて歩き続けよう」と思ってくれたら幸せですね。アニメージュ2013年10月号。

ちなみに、シナリオ時の仮題は「華麗な切り札!キュアエース参戦」

*2 それでも、前回気絶したところで終わっている健太郎をケアする台詞は全面カット、「マナがあそこまで落ち込むなんて久しぶりだわ」というマロの存在を匂わせる台詞も切りました。

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