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「Q」五次元世界史4ーナポレオン3世&バチカンの黒い関係。クリミア、ナチス、FBI…悪魔の血脈は、メイソンリー「ボナパルト」より。

カトリック教会と欧州王侯貴族たちが「コインの表と裏」の関係でお互いの利益を享受し合っていたことは一般的にあまり知られてはいません。これはキリスト没後から始まった「ユダヤの手法」です。彼らは「対立し、戦うふりをしながら、人類だけを犠牲にしてきた」。以前に現在のフリーメイソン最高位の人物の写真を見たとき「ナポレオンにそっくり」だと思ったのは、どうやら間違いではなかったのかもしれません。以下は、White Hats Ch.の2022.1.25の記事です。

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エドモンド・パリの本は「イエズス会」についての事実を決定的に証明します。
イエズス会が「無実のアルフレッド・ドレフュスを有罪にする言い訳」※1)として、反ユダヤ主義を扇動したことについて。
イエズス会の公式出版物「シビルタ・カットリカ」の「Ilcaso Dreyfus (弾劾する)」というタイトルの記事では、ハードコアな反ユダヤ主義的な方法でユダヤ人を猛烈に非難しました。(この記事は、ユダヤ人がヨーロッパのさまざまな国から送り出されることさえ要求しています)。
この不公正は、現代のシオニスト運動の強化に繋がっています。 これは「反ユダヤ主義が間違っている」という意味であり、アルフレッド・ドレフュスに起こったことはもちろんですが、私たちの社会における重大な不公正といえるのです。

クリミア戦争(1853年から1856年まで続いた)は、間違いなくバチカンと関係があります。 

ナポレオン3世(※ナポレオンの甥にあたる)は、1800年代の大部分のフランスの支配者。 エドモンドパリの調査によれば、イエズス会は「ナポレオン3世の下での寛容は、当時イエズス会が禁止されたようなものとさえ考えていた」。 ナポレオン3世も、チャールズ・ルイス・ナポレオン・ボナパルトとして知られている。 彼はフランス共和国の初代大統領でした。 就任後の彼は、すぐにカトリックの支持を得るため別の試みとして、1851年、Loi Falloux ファルー法を承認することで、フランスの教育制度における教会のより大きな役割を回復させたのです。 クリミア戦争は、オスマン帝国とその周辺地域に影響力を持っていると主張するフランスが、クリミア半島における利権をロシアと戦うために、イギリスと同盟を結んで起こした戦争なのです。


フリーメーソンの第3代パーマストン子爵は、クリミア戦争中の英国首相。 興味深いことにフランスと英国はこの後、満州王朝(中国)、第一次世界大戦、そして
第二次世界大戦のいずれにも参戦しています。 ロシアはクリミア戦争に敗れました。 この戦争にはさらに大きな要素もありました。 ナポレオン3世が最も欲しがっていたオスマン帝国は、フランスを聖地の主権者として認めています(ナポレオン3世の味方として、バチカンがコントロールしたかったため)。 教皇主義者(カトリック信者)のアッベ・ブルグレットでさえ「ナポレオン2世はフランス艦隊「聖母マリア」を送ったと、 パリの大司教Monseigneur Sibourが語っている(豪語している、揶揄している)」と述べています。

フランスとロシアの間のクリミア戦争は、政治戦争ではなく、聖戦です。
それは他の Sateサテ(※細切れのおかず)と戦う国家ではなく、他の人々と戦う人々の間の戦争。宗教、十字軍…など。クリミア戦争で双方の数千人が亡くなりました。 ナポレオン3世は1864年、メキシコへのマクシミリアンとカルロッテの遠征を後援しました。また彼は、1870年にドイツに宣戦布告し、普仏戦争を巻き起こすのですが、しっかりと敗北した。このことを、 エドモンドパリの「イエズス会の秘密の歴史」の著者M.ガストンバリーは次のように書いています。「…これはフランス自らが宣戦布告した。1870年のこの戦争は歴史によって証明されたということになる。これはイエズス会の仕事であった」。

 戦後、ナポレオン3世は、ローマに部隊を連れて行き、その後、イタリアはイタリア王国を創設したのです。 こうしてビクター・エマニュエル2世はイタリア王になりました。そして教皇 ピウスIXはローマから逃亡し、サンタンジェロ城の囚人であると宣言しました。 ナポレオン3世はその後、破門されたビクター・エマニュエルIIを一時的な教皇として据えたのです。 

皮肉なことにバチカンの教皇は、ビクターを破門しまていますが、何百万人もの人々を虐殺したアドルフ・ヒトラーは破門していません。第二次世界大戦中の人々。 私はビクターエマニュエルIIがフリーメーソンであるとは断言しませんが、彼はそうでした。

 1872年までに、ドイツでさえイエズス会の修道会を追放しました。 チャールズ
ジョセフ・ボナパルトはジェローム・ボナパルト(フランス皇帝の弟)の孫でした
ナポレオンI)。また1906年〜1909年ルーズベルト政権の司法長官チャールズ・
ジョセフ・ボナパルトは調査局を作っています。 この米国のBIグループは、後にFBIまたは連邦捜査局と呼ばれるもの。 彼は1851年にメリーランド州ボルチモアで生まれました。

※1)1894年、フランスで起きたドレフェス事件。当時、フランスの陸軍参謀本部の大尉だったドレフェスがスパイ容疑で逮捕された、冤罪事件。左派の第三共和制新政府が、右翼の巻き返しを恐れていた当時に起こった。

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クリミア半島がロスチャイルド所有となっていることを考えれば、彼らはロスチャイルド家の血脈と考えられますが、遡ればさらに高位の御三家に繋がるのかもしれません。冒頭に書いたようにキリスト没後から始まっている関係です。これまでの知識で考えると、ナポレオンは相当強力なパワーを与えられたクローンということだと思います。余談ですが、モーツァルトがフリーメイソンだったのはご存知でしたか?彼は、オーストリアの宮廷でマリー・アントワネットとも会ったことがあります。またオペラ「魔笛」は、フランス革命が予兆される段階で上演されていたことから、妃の実母マリア・テレジアから「民衆を扇動し王室を破壊に導くもの」として非難を受けています。フランス革命、そして次に登場するヒーローはナポレオン。自らの手で戴冠した欺瞞の皇帝です。

敵対するもの同士が共謀していたとしたら、歴史のすべてが茶番だったということになります。歴史の見方は、AかBか、どちらの陣営かで見るのではなく、「歴史を作っている側」と「それに騙されている側」の二つの視点しかないのかもしれません。

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