夏彦くんについて語りたい

小説『キリエのうた』を読み終わった後、私がいちばん救いたいと思ったのは夏彦くんだった。
夏彦くんのことを考えると胸が苦しかった。
夏彦くんをぎゅっと抱きしめてあげたい気持ちでいっぱいだった。
だけど、数日この世界観に浸っている間にふと思った。

夏彦くんを演じるのが北斗くんじゃなかったとしても私は彼にここまで心掴まれただろうか、と。

先にキャストがわかっている場合、どうしても当てはめて読んでしまう。
だから無意識に「夏彦くん=北斗くん」のフィルターがかかって、北斗くんに辛い思いをしてほしくないって思ってるのではないか??

そこからはさらに夏彦くんについて考えた。
なぜ夏彦くんにこんなにも思い入れてしまうんだろう。
まっさらな気持ちで"潮見夏彦"について考えてみた。

結論。
私は「誰もが夏彦くんになる可能性を孕んでいる」から共感して、苦しくなったのだと思う。

真緒里のような家庭環境ではないし、路花のように震災孤児にならず大人になった。そして"これしかない"と思えるほどの特技もない。
だけど、この先大切な人を不意に亡くすかもしれない。自分を守るために"ずるく"いる瞬間がないとはいえない。
今日と変わらない明日が当たり前にやってくると信じて傲っている。
その明日が約束された人はいないというのに。

夏彦くんは登場人物の中でいちばん人間らしいのだ。

小説を読み終わった後、こんなに壮絶な物語なのにどこか自分と切り離せないと思った。
それは夏彦くんの存在があるからだと思う。
少なくとも私にとって、夏彦くんは『キリエのうた』の世界と自分を繋ぐ架け橋のような存在であった。

夏彦くんについて語りたい。
どうしても言葉に残しておきたい。

映画を観終わったら夏彦くんについて語ろうと決めた。

(小説読了後と映画鑑賞後で、自分の中の夏彦くん像は少し変わった。それも込みで以下感想。異論は認めます。)

ただひたすら語ってます


潮見夏彦はどこにでもいる普通の男子高校生だった。(優秀なお坊ちゃんではあるけれども)
たった2つの出来事がなければ。

小説を読んでてドキドキしたのが神社のシーン。
特別好きな相手じゃないはずなのに自分に向けられる明らかな好意と雰囲気に飲まれていく夏彦くんが10代真っ盛りな感じに溢れてて、ちょっと押しに弱いところがまた夏彦くんの人柄を表しているようで。
描写に引き込まれて、1秒がものすごく長く感じるくらい思わず息を止めて読み進めてしまった。
同じように、密会の場面も夏彦くんの希に吸い込まれていくような気持ちが手に取るようにわかった。
ダメだとわかってるけどどんどん歯止めが効かなくなって、ここまで、のボーダーラインがずるずると延ばされていく。
若さゆえの興味と欲、そして禁じられているからこそのさらなる高揚。
個人的には希がクリスチャンで婚前交渉が神に背く行為とされていたからこそふたりの関係性に拍車がかかったのではと感じた。
きっとこれはたくさん転がっている10代の恋愛のひとつで、夏彦くんがありふれた高校生であると印象づけられた。

希の妊娠でふたりの秘密の逢瀬は秘密にしておくことができなくなり、希の"神に背いた"事実も急に重みを増してくる。そして夏彦くんは目を背けていた現実と向き合わなくてはならなくなる。
その結果夏彦くんは口では産んでいいよと言いながらも親に自分の"罪"を告げられず、次第に希のことを面倒だと感じるようになるわけであるが、ここのジェットコースターのような温度感がリアルだなあと関心してしまった。
火がついて浮ついた恋心。
夢中になっているときは周りも見えず、何も手につかないくらい恋心が優先で。だけどそんな燃え盛った時期はいつまでも続くわけもなく、突然水を浴びたように現実が突きつけられる。
嫌いになったわけではない。
だけど。
向き合うのが怖くて辛くて不安で億劫で。
逃げてしまいたくて。
だから距離をとった。忙しいと嘘をついた。
また明日、と先送りにした。
それらは全て"明日がある"と信じて疑わなかったから。
明日は当たり前に存在すると誰もが思ってしまっているように、夏彦くんもまた"明日"が来ると思っていたから。
震災後居ても立っても居られなくて、石巻まで夜通し走った夏彦くんの行為が全てだと思った。
本当は希をちゃんと愛していて、3人の未来を真剣に考えないといけないのはわかっていて。
だけど弱さゆえに向き合うことを先延ばしにしてしまったのだと。

震災が夏彦くんと希を引き裂かなかったらふたりはどうなっていたのだろう。

私が小説から読み取った希は純粋で可愛らしい一途な女の子で、ふたりは熱にうなされるように秘密を持ち、未成年ながらも愛おしい命を授かったように思えた。だからこそ夏彦くんも純愛を引き裂かれた男の子だと捉えたのだが。

映画を観てこの辺りの認識が少し変わった。
というか、小説を読んだときの自分が夏彦くんに関して盲目的であった。
(やっぱり読んだときは北斗くんを重ねて読んでしまったのだと思う。映画鑑賞後に再び小説を読んだら一度目とはまた違う印象を受けた。)

まず希の印象が純粋な女の子というよりも"妖艶でどこか艶めかしい雰囲気を持つ子"に変わった。
男ばかり(しかも学年が違う)の集まりに"バッタリ会ったから"と顔を出すあざとさとその中で隠しもしない夏彦くんへの好意。
神社で迫る場面の有無を言わせない押しの強さ。
そして"重い彼女"という言葉が無意識に浮かんだ。
特に妊娠してからの希は夏彦くんにべったりな印象で。(これは夏彦くんの態度の変化が理由かもしれないが)
文字で見てた情報をいざ演じられると少し異様で怖いとさえ思った。
夏彦くんが逃げたくなるのがわかるような気もした。

そして夏彦くん。
彼は思っていたよりずるい人かもしれない。
産んでいいよ、と言いながらも"困るな、どうしよう"という顔をする。
希の親に紹介され未来が決められつつあることに動揺しながらも"なんてことないです"なんて顔をして座っている。
たぶん、心の中で"こんなはずじゃなかった"って思ってるでしょう??
迫られたから付き合って、熱に浮かれてハメを外して。きっとそこに未来への明確な意思なんてなくて流されただけなんでしょう??
希の家でるっちゃんが異邦人を歌う。
歌いながら振り向いたるっちゃんに見つめられたときの夏彦くんの居心地悪すぎる表情が忘れられない。あの瞬間、ドキリとしてこちらまで気まずくなった。
"あなたにとって私 ただの通りすがり
ちょっとふり向いてみただけの 異邦人"

るっちゃんには夏彦くんのずるさが見抜かれていたのでは、と思わざるを得ないシーンだった。

震災のシーン。
電話で希を心配しながらも「おなかになっちゃんの子どもがいますって言ってもいい??」と聞く希に「うん?いや、それは俺から言うから」って言う夏彦くんの往生際の悪さに笑ってしまった。
でもあのテンパった夏彦くんに対して希のほうが少し余裕そうなやりとりに、こうやって夏彦くんは希に飲み込まれていったんだろうな、と思った。(北斗くんのあのテンパった口調のお芝居、大好きでした。)

石巻まで必死に走るシーン。
小説を読んだときは希が心配で居ても立っても居られないんだと思っていた。もちろんそれもあるんだろうけど。
走る夏彦くんは必死の形相の中にもたくさん複雑な感情を抱えていたように思う。
まさか、子どものことがバレちゃうかも、なんて思ってないよね、、
一瞬、怖い考えが浮かんでヒヤリとした。
でもやっぱり私は、あの原動力は希への気持ちの表れだったと信じたい。
未来が不確定になって改めて思い知った、愛がそこにはあったはず。

小説を読んだとき、風美の存在は必要なんだろうかと少し疑問に思っていたのだけど、映画を観て、夏彦くんが罪の告白をするために必要不可欠な存在であったと気づいた。
誰にも言わずに胸の内に仕舞い込んでいた自分の罪。本来であれば希のお腹が大きくなるにつれて嫌でも向き合わなくてはならなかった。
しかし震災によって希は亡くなり、妊娠を知っていた希の母親も亡くなったことで、彼の罪を知る人は彼だけになってしまった。(路花が知っていたのかどうか、すごく気になる。)
それを風美に告白することで、夏彦くんは少しだけ自分の罪と向き合うことができたのではないかと思う。
苦しくて後悔と後ろめたさでいっぱいの表情がたまらない。

真緒里に路花との関係性を聞かれて「・・・俺の妹。」とぼそっと答えた夏彦くん。
この少しの間と口ごもり方が最高に上手かった。
本当の妹ではないし、の間だけではない。
後ろめたさ、贖罪、気まずさ、たくさんの感情がぎゅっと詰まった一言だった。
そしてやっぱりあの目。
勉強やギターを教えているときはまだ光の宿っていた目が、あの答える瞬間に光を失い、伏せられ、居心地悪そうになる。
何気ない場面なのに、路花への気持ちが前向きなものだけではないことが明らかに伝わってきて。
これはお芝居の成せる技だと思った。
小説の文字だけでは伝わらない行間の感情。
夏彦くんはきっとそれが多い。
それだけたくさんの感情を隠しているずるい人だから。

夏彦くんが希のフィアンセだと本人たちが認識していたとしても、法の上では夏彦くんと路花は他人で、離れ離れにされてしまったことがやるせなかった。自分なりに考えてなっちゃんを探し求めて大阪まで大移動してきた小さい路花は健気で愛おしくて。
大切な人を失った者同士、心の穴を補い合って生きていってほしかった。
だけど、夏彦くんの心の中はきっとこんな綺麗事ではないんだろうな。
希を幸せにできなかった代わりに希の大切な妹を助けなきゃ、という義務感。
路花には頼れる人が他にいない、という事実。
自分の罪を少しでも軽くしたい、という贖罪の気持ち。
助けてあげたいと思う、純粋な気持ち。
彼の心の中を最も占めていたのはどんな感情なんだろう。
少なくとも夏彦くんは路花に頼られたら断れないと思う。何も言わず受け入れることしか出来ないと思う。
そんな後ろめたさを抱えてますよ、という顔を、二度目に引き離されるときにしていたな。

未成年のうちは誘拐とまで言われて大人たちに引き離されてしまうのに、成人したら会う会わないは自由なんだなと、キリエとして生きる路花と夏彦くんの再会シーンで思った。
いや、当たり前なんだけれども。未成年の無力さを感じた。
高校生の路花と引き離されてから夏彦くんはどう生きたのか。
路花のことをどのくらい気にして生きていたのだろう。
夏彦くんの空白の年月が気になって仕方がない。

どんどん丸まっていく夏彦くんの背中。
最後は解けてない靴紐を結び直すまでして。
ああ、やっぱり夏彦くんは路花を直視するのが怖いんだろうな。
でも意を決して「もう一回顔を見せて」って言った夏彦くんは自分の弱さと向き合って葛藤してる気がして、少しだけ讃えたかった。
最後に路花を抱きしめて「ごめん。」と言った夏彦くんの顔を見たとき、希と路花のキャスティングが一人二役だった意味を知った。
そっか、夏彦くんは路花に希の面影を重ねてたんだ、と気づいた。
だから余計に気まずくて後ろめたくて怖くて。
希がそこにいるように感じることも、路花に自分はお姉ちゃんの代わりなんだと思われることも、彼があれほど居心地の悪そうな顔をしている理由なのか。
私はここまで読みきれてなかった。
(読み直したらちゃんと書いてあったのだけど)
全てが腑に落ちて、映画ってすごいと感動した。
こんなありきたりな言葉でしか表せないのが悔しいくらい、180分の中で最も視界と思考が開けた気がした。

路花はきっと気づいていたと思う。
夏彦くんのずるさに。
だけど気づいた上で許してくれているのだと、「ずるいよな」の歌詞を見て思うのである。

おわりに

なんだかダラダラと語ってみたけれど、結局言いたいのはずるくて弱くて人間味溢れた夏彦くんが救われてほしい、ということなんだと思う。
私は『キリエのうた』は、不器用ながら今を生きる人たちの物語だと思っている。
やるせなさや苦しさ、もどかしさなど、たくさんの感情を抱えながらも生きていく。
私は夏彦くんに一番共感したけれど、路花や真緒里のような人もこの世の中には確実に存在しているはずで。
彼らはきっと私たち。
同じ世界を生きている。

この物語に触れた後、言葉にできない感情が溢れて苦しかった。
言葉にできないのに語りたかった。
小説と映画からたっぷり時間を経て、ようやく少しだけ言葉にできた。
でもまだまだ昇華しきれない。
寝る前に目を瞑っているとき、お風呂に入っているとき、ふとした瞬間に彼女たちのことを考えてしまう。
正解はないはずだけど、正解を求めて彼女たちに会いたくなる。
『キリエのうた』は私にとってそんな物語。

余談として、映像の素晴らしさを感じたシーンを2つ。
まずは序盤キリエとイッコがご飯屋さんでいただきますをした場面。
キリエが手のひらを合わせたいわゆる"いただきます"ではなく、お祈りのポーズでいただきますをしたとき、うわあ、キリエがいる!と鳥肌が立った。キリエはそうするよな、と。
物語に大きく関係していない、些細な仕草まで間違いなくキリエで。それはイッコも夏彦くんも同じで。
キリエが、イッコが、夏彦くんが、そこには生きていた。
もうひとつは、るっちゃんが教会でひとり見上げる場面。
セリフもなくただ見上げているだけなのに、その表情と鳴り響く音楽でるっちゃんの気持ちが流れ込んでくるように思えて心が震えた。
演技に必ずしも言葉はいらないのだと思った。

そして最後に。
北斗くん。私はやっぱり北斗くんの演技が大好きだ。
表情も声も話し方も仕草も、北斗くんが全身で演じた夏彦くんは複雑でまさに人間味溢れてて素晴らしかった。
ただただすごかった。
北斗くんのカケラも感じさせない、ずるさと気まずさでいっぱいの夏彦くん。
たった1回しか映画館で観られなかったけれど、絶対に忘れないように焼きつけておこうと思う。
北斗くんのおかげでこの作品に出会えて、またさらに北斗くんを好きになった。
この幸せなループがもっともっと続くといいな、と思う。
大好きな監督のもと、複雑な役をあんなにも繊細に演じきった北斗くんに、尊敬と祝福と絶賛と感謝の拍手を。

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