庵野秀明についてのノート

 ★以下の未完結の庵野論は、『シン・ゴジラ』公開以前に書いたものです。自分でも書いたことを忘れていたのですが、過去のファイルをサルベージしていて発見しました。約19,000字です。ものすごく実存的な庵野論で、われながら笑ってしまったのですけれども、今どきこういう姿勢でアニメーション作品の評論を書く人間は絶滅危惧種だろう、かえって貴重な面もあるかもしれない、とも思いました。この試論が終ったところから、『ヱヴァンゲリヲン新劇場版』についての批評を書くつもりでした。『シン』公開後に、この続きを書くかもしれません(ちなみに『戦争と虚構』所収の『シン・ゴジラ』論も、自分なりの庵野論になっています)。極私的な庵野論であり、ごく一部の人々にのみ推奨ということで(むしろマニアックなエヴァファンはこの手の実存的批評を嫌うでしょう)、有料記事にしました。

   庵野秀明についてのノート

 押井守は、戦後の大人たちがいかに成熟すべきなのかを、エッセイの中でたびたび語っている。たとえば『凡人として生きるということ』(二〇〇八年)では、若さに居直ろうとしがちな日本の「若者」の思い上がりを叩き潰し、むしろ「オヤジ」になれ、とアジっている。それはいっけんよくある傲慢な若者批判であり、オタク批判に思える。若者の感性や価値観が無条件に正しいなんてことはありえない、オタクたちも少しは俗世に塗れ、現実を見据えて大人になって成熟しろ、と。
 しかし、よく読んでみると、押井が主張するのはむしろ、オタクの否定ではなく「オタクでいいじゃないか」「オタクのままオヤジになればいいじゃないか」ということなのである。何かへの偏愛や情熱を持ち、それによって社会に繋がっている、そうした社会的オタクとして成熟すればいいではないか、と。
 たとえば対談『戦争のリアル』等でも、押井はミリタリーオタクとしての成熟を自己肯定している。こうした社会的オタクとしての成熟論は、映画人は九五%が凡人であり、天才である必要はないのだ、凡人でも構わない、という押井自身の劣等感やルサンチマンを乗り越えるためのものでもある。つまり押井が自分と和解し成熟するための言葉にもなっており、たんなる無責任な放言としては読めない。しかし、オタクであることを捨て去ったり抑圧したりするのではなく、オタクのまま社会的に成熟するとは、どういうことなのか。
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 庵野秀明が『新世紀エヴァンゲリオン』を制作したのは三五歳の時である。三五歳といえば、すでに結婚し(別に結婚ではなく事実婚や同棲、パートナーシップでも構わないが)、家族を持っていてもおかしくなかった。二〇歳前後で子どもを産んでいれば、シンジやレイ、アスカと同じ十四歳の子どもがいたかもしれない。そういう年齢である。そのことは、案外重要なことだと思う。
 庵野秀明は、戦後日本の厄介な「呪い」を背負った人なのだろう。オタクとして純粋培養された人。その矛盾を強いられた人。そういう感じがする。
強いジャンル意識。内輪向けのマニアックなパロディ。メタフィクション。実存的な内向性。陰惨な暴力。あざといまでのエロティシズム。大人になりたいが大人になれない、という成熟の不可能……。
 宮崎駿は、映画『風の谷のナウシカ』の製作中に、二〇歳ほど年下の庵野にはじめて会った時、「宇宙人だ」「こんな人間がついに現れたか」という感想をもったという。この国の戦後サブカルチャーのるつぼから産まれたホムンクルス的人間。純粋培養されたオタク的存在。宮崎の驚きは、まるで二次元から三次元へと飛び出した人間と出会ったかのような、新鮮な驚きだったのかもしれない。
 宮崎駿と富野由悠季の二人は、庵野の「師」であり、象徴的な「父」ともいえるような存在である。宮崎と富野はともに一九四一年生れであり、戦後的平和の「外」の空気(戦争そのものと敗戦後の焦土と廃墟の空気)を、かろうじて身をもって、皮膚感覚で知っている世代である。一九六〇年生れの庵野は、もちろん、戦後的空間の「外」の空気を知らない。虚構(特撮やアニメ)を通してのみ、戦争の空気にふれていた。そういう人である。
 庵野にとって、オタク的な人間がいかに社会的に成熟するか、という問題(そして戦争と平和をめぐる複雑なねじれの問題)は、作品内の重要なテーマであり続けてきた。
 年譜をたどると、山口県に生まれて、アニメ、特撮のマニアとして育った。幼少期に『宇宙戦艦ヤマト』から強く影響を受け、またウルトラマンシリーズの熱心なファンだった(特に『ウルトラマン』『帰ってきたウルトラマン』が好きだという)。
 一浪して大阪芸術大学(芸術学部映像計画学科)に入学。受験対策として、宮崎駿等の絵コンテで勉強した。同級生には漫画家の士郎正宗、島本和彦らがいた。また同級生の山賀博之らと自主制作映画グループ「DAICON FILM」(ガイナックスの前身)に参加し、その界隈ではすでに有名な存在だった。大学を中退し、上京して、宮崎駿(『ナウシカ』)、坂野一郎(『超時空要塞マクロス 愛・おぼえてますか』)、富野由悠季らに学んだ。当時の庵野の姿は、島本和彦のマンガ『アオイホノオ』でも印象的に描かれている。
 『トップをねらえ!』『新世紀エヴァンゲリオン』など、庵野のベースとなる世界観は、まさにセカイ系的なものである。たとえば押井守や大友克洋らの作品の中にある、個人と世界を繋ぎ合わせるための中間的な「社会」(ソーシャルなもの)の厚みが、庵野の作品では、きわめて希薄なものになっている。アポカリプス的な想像力の中で、個人の内面と世界全体の危機がダイレクトに結びついていく。
 マンガ評論家の夏目房之介は、コンパクトな名著『マンガと「戦争」』(一九九七年)の中で、日本の戦後マンガにあらわれる戦争イメージの変遷をたどっている。『新世紀エヴァンゲリオン』についての夏目の以下のコメントは、かなり的確に、作品の急所を刺し貫いている。

  《この作品には現在のマンガの「戦争」イメージと、浸食された身体のイメージがよくあらわれている。》(164頁)

  《『エヴァ』の世界では、「戦争」は自閉した個人のなかのトラウマのたたかいにまで退行しているが、重要なのは同時に外へ出たい、他者と出会いたいという願望が強く感じられることだろう。ここでは「戦争」というイメージが、たんに商業的な娯楽戦闘物として作品を成立させる必要以上に、外へ出る抗いと挫折のくりかえしの暗喩として使われている。》(170頁)

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