【追記&再編集!】飲食店女性従業員から見た岡村隆史のオールナイトニッポン炎上の解釈と感想(改)

 私SSSという名前のアカウントでツイッターをやっている者です。

 以前問題になっているオールナイトニッポンにおける岡村氏の発言と、それに対する藤田氏の記事の感想をnoteで書きました。藤田氏が該当記事の追記したことを受け、改めて記事を作成したいと思います。
※藤田氏の記事を多く引用。また私が取り留めもなく感想を書いているため長文です。

 本題の前に自己紹介と立場を明らかにしておきましょう。私は飲食店女性従業員です。コロナの煽りを食らいまして、ある程度貯金はあるものの食い扶持に困っている状況でございます。
 深夜ラジオに関しては時間が合えば気紛れに聞く程度の人間で、他の人よりは下ネタ耐性があるかと思います。岡村氏の番組のヘビーリスナーではありません。ですが、発端となった藤田氏とは解釈が違う為、記事を根拠にした炎上には疑問があります。

オールナイトニッポンの発言

 では、本題です。内容から確認していきましょう。発言はメールへの返事でした。メールの内容は

「コロナの影響で今後しばらくは風俗に行けないし、女の子とエッチなこともできないと思うので、思い切ってダッチワイフを買ってしまおうかと今真剣に悩んでいます」というものでした。 
 これはコロナによる外出自粛によって今まで行ってきた性的欲求の満たし方ができないことへの嘆きととれます。前提として、性欲があること、それを満たすこと、その為に風俗店を利用すること、もしくはダッチワイフの購入を検討することは何らおかしいことではないです。
 このメールに対する岡村氏の返答が

「今、面白くなかったとしても、コロナが収束したら絶対面白いことがある」
なんです。

 まず番組を聞いた人ならわかると思いますが、「絶対面白いことがある」から後に言い淀むような、言葉を探しているがあります。この間こそが、擁護派と批判派が絶対的にわかれてしまった1つの点だと思います。
 ラジオを聞き慣れていれば、もしくは聞き直せば、「あ、ここからボケに入ったな」とわかるような間です。これは書き起こしだけでは伝わらないでしょう。私はこの間を、小説で言うところの段落が変わったところだと感じました。
 「面白いことがある」までの発言はリスナーへの励ましの返信であって、それ以後は岡村さんのボケのターンだと捉えることができます。つまり、岡村氏の面白いことという表現が後ろの発言に掛かってくるか否かによって捉え方が違ってきてしまうわけです。

 発言を要約すると、《今苦しくても我慢すれば面白いことがある。だから我慢しよう》という励ます趣旨の発言の流れで、《風俗嬢にカワイイ子が入る》と言っていて、更にその根拠として《コロナによる収入減》が入ります。
 前提として現在、風俗を我慢している岡村氏の願望の根幹は《貧困で困った女性が風俗嬢になること》ではなく、飽くまで《カワイイ人が新しく風俗嬢になること》だと捉えられます。ここが例の記事のタイトルと解釈が乖離している部分です。風俗を我慢している人としてそうなってほしい、という願望的ボケであって、さらにその願望が叶う補足の理由として《コロナ》があるのです。

 まず《風俗嬢にカワイイ子が入ること》は風俗を我慢している岡村氏の願望でしかありません。稼ぎたい女性が風俗を選ばない可能性だってありますし、選んだとしても岡村氏がカワイイと思う人が増えるとは言い切れないでしょう。そんな岡村氏に都合のいいことが起こるとは限らないのに、その可能性を無視しているからこそ(下世話で不謹慎であることは置いておいて)ボケとして成立しているわけです。

 私はこの放送を聞いた時、ゲスな願望と予想だなぁ、と感じながらも女性蔑視だとは感じませんでした。岡村氏は風俗店の常連であり、だからこそ従業員に新しい人が加わることは、理由はどうあれ嬉しいことであるのでしょう。その理由が春になって人が動く季節だからとか、夏にお小遣いが欲しいからとか、理由は本来なんでもよかったのだと思います。ただその理由がよりにもよってコロナによる不況だったのが問題なのです。私は女性蔑視という性別の問題ではなく、自粛の影響による貧困問題の楽観視であると認識しています。

発言の問題点

 岡村氏の発言の問題は、
 コロナによる不況がもたらす自分都合の利点(カワイイ人が風俗嬢になること)を予想して口に出してしまったことで、
 その発言から、自粛による貧困が起こっている現状への能天気さと、それが原因で困っている人への無神経さが感じ取れてしまうことが炎上の理由だと思います。

 自粛の影響は人によって違います。岡村さんは放送で三か月と言っていましたが、三か月程度じゃどうにもならない人だっているでしょうし、そもそも自粛が明ける前に、稼ぎに出る以前の問題が起こってしまう人だっているかもしれません。現状は深刻です。飲食店は特に自粛が明けるまで耐え切れるかどうか危うい人たちがいます。しかしながら岡村氏の発言にはそういった深刻な人は想定されてません。そういう人が見えていないかのような発言は、コロナによる休業が死活問題になっている人が聞けば不愉快になることは当然です。岡村氏の発言は稼ぎの手段として風俗を選んだ女性に限定されてはいますが、その考えの根本を見るならば性別関係なく自粛で経済的悪影響を受けている全ての人の神経に障りかねない、というのが炎上を知った後に聞いた私の放送に対する見解です。

 ここで忘れてはいけないのは、その風俗業界も自粛の影響を受けているという点です。元々そこで働いていた人たちは今働けないわけです。自粛明けをしてすぐ客足が元に戻るとも限りませんから、営業が再開したら行こうという宣伝にとることもできます
 少し話が逸れますが、コロナ自粛によって無料公開されたものやタレントのネット配信を手放しで喜んでいる人は、岡村氏と何ら変わらないと私は思います。本来であれば、それはコロナが現れなければ無かったものだからです。

 岡村氏の発言の問題点に関しては上記の通りですが、発言の趣旨としては家にいるしかない人たちを励ますためのものであり、だからこそ、コロナの自粛が明けたことによって起きることを予想したのだと思います。そして岡村氏はリスナーであれば意図を理解してもらえる、と思っての発言だったであろうこと。そしてリスナーもやはりその意図を理解したからこそ、放送直後には炎上しなかったことを書いておきます。

藤田氏との解釈違い

まず内容に触れる前に記事のタイトルに

「岡村隆史「お金を稼がないと苦しい女性が風俗にくることは楽しみ」異常な発言で撤回すべきではないか」

とあります。私はまずここに疑問を持ちました。
「」内まんまのことは放送内で岡村氏のは言っていません。あくまで藤田氏が岡村氏の発言をそう解釈したことを、まるでそのまま岡村氏が言ったかのようなタイトルになっています。また、その後に続く太字の小見出しも

「岡村隆史「お金を稼がないと苦しい女性が風俗にくることは楽しみ」発言」

 となっています。
 解釈は人それぞれです。藤田氏がそう捉えたことは誰も否定出来ません。ですが、「」までつけてあたかも言ったかのような書き方は誤解しか招きません。他人の不適切な発言を批判する記事だからこそ、正確さを重視して丁寧書いてほしいというのが、読み手として求めるところです。かつて石田純一さんが「不倫は文化」と言ってもいないことを見出しにされたことと一緒です。記事を読んでもらう為の工夫として常套手段なのでしょうけれど、藤田さんの内容を読むと真剣に社会における女性の問題に言及しています。でしたら、繊細な内容だからこそ誤解を招き、煽るような題名は藤田さんの意図するところと離れてしまうのではないか、と思います。この見出しを見るだけで中身を読まない人がいることだって想定してほしかった。
 私はこのタイトルの発言を確認する為にタイムフリーを利用したのですが、それが無かった為に困惑しました。これでは、タイトル通りの発言が無かった、という理由だけで問題意識をもつことなく藤田氏の本当に伝えたいことが霞む可能性すら出てきます。何故なら、書き手に対する読み手の信頼問題に関わるからです。
 案の定、ネットでは「タイトルを鵜呑みにして怒っている人」と「タイトル通りの発言がなかったので怒っている人」で、対立が起きています。もっと良いタイトルは無かったのでしょうか?
 また「」内が藤田氏の解釈としても、私とはズレがあります。岡村氏が楽しみにしているのは飽くまで我慢の果てにカワイイ人が風俗嬢になっていること、というのが前述した通りの私の解釈です。

 ここから中身に触れていきます。当初記事に加筆される前はラジオの内容なのに「心の底から嫌悪感を生じる発言を目にしてしまった」と始まっていました。これには流石にいろんな人が、ラジオの発言を聞いたのではなく、その後に引用されているFLASHの記事だけを見て書いているのでは?とツッコミをいれていました。
ですが

「知人から発言があったことを教えてもらい、radikoで発言の該当箇所を聴き、以下の通り、各種報道で心の底から嫌悪感を生じる発言を目にしてしまった」

 と後日、特にアナウンスもなく加筆修正されました。(藤田氏のTwitterを確認しましたが加筆の件には触れてないようです。記事が書かれた時点で聞いていたかどうかはかなり重要だと思うのですが…)しかしこれはこれで、疑問が残ります。
 まず、藤田氏がラジオを聞いた上で書いているのであれば、聞いた直後に《各種報道で発言を目にするまでもなく》記事を書こうとしたはずでは?という点です。本来であれば、
《知人から発言を聞き、radikoで心の底から嫌悪を感じる内容を確認した》
 で状況説明は済むはずで、《各種報道を目にした》ことをわざわざ書くことに違和感を覚えます。上記の表現ではまるで、《発言を各種報道で目にしてからようやく嫌悪感を覚えた》ように読めてしまうのです。
 そして、その後に「岡村隆史の以下のラジオにおける発言である」と書いてFLASHの記事を引用していますが、岡村氏の発言として扱うには余りにもFLASHによる継接ぎと書き足しの多い記事です。本当に聞いたのであればこのような記事を引用することなく、ご自分で問題箇所を書き起こし出来たはずですし、その方がよりストレートに伝えられたはずです。というか、せめてそうして欲しかった。番組の切り抜きと書き起こしによって炎上が煽られることに懐疑的な考えを持つ私ですが、それすら書き手がしない記事は初めて目にした気がします。それが出来ないのであればせめて、『以下が岡村氏の問題発言を取り扱ったFLASHの記事である』と書いて欲しかったです。

※細かい話ですが、「心の底から嫌悪感《が》生じる」もしくは「嫌悪感を《抱く》」だと思うんですが、どうでしょうか?

「岡村は新型コロナウイルスの影響で仕事もなくなり、女性が貧困に陥り、性を商品化して売らなければならないことを「コロナが収束したら絶対面白いことがある」と表現する。また岡村は「短期間でお金を稼がないと苦しいですから」と女性の困窮状態を想像し、性の商品化を歓迎する」

 と書かれていますが、個人的には放送内容の温度とニュアンスからかけ離れていると思います。前述した通り「面白いこと」発言の後に区切りを入れるか入れないかで捉え方は違ってきてしまいます。
 また岡村氏は放送で「短期間でお金を稼がないと苦しいですから。そうなった時に今までのお仕事よりかは」と発言しています。つまり、《性を商品化して売るという選択肢しかない女性》ではなく《生活が苦しいから今までのお仕事ではなく風俗で働くことを選んだ女性》を想定しています。これだけでだいぶ伝わり方は違ってきます。
 あと前提として、性の商品化はいけないことだとは思いません。性風俗産業は飲食と同様、人間が生きていくうえで逃れることのできない欲に関わる仕事です。問題は飲食業界にブラックな会社が散見されるのと同様に性風俗産業もグレーゾーンがある点でしょう。芸能界だって去年闇営業が話題にされるようなグレーゾーンがある業種ですし、プライベートすら勝手に撮影され、ネット上にあげられたり記事にされてしまう芸能人は、「人生を商品化」している職業であると言っても過言じゃないんじゃないでしょうか?

「皆さんはどう感じるだろうか。
私は絶対にこういう発言は許してはいけないと思っている」

 どう感じるか聞いておきながら、「絶対」「許してはいけない」と強い言葉を使うのは、今回の件で問題を感じなかった人の感想や意見に聞く耳を持たないどころか、その感性を全否定する姿勢が見えます。私が通りすがりの読者なら、前述の煽りタイトルと意見の押しの強さを理由にここで読むのを止めています。

「現在、例えば10代の女性は「家にいてください」と言われても、性虐待や家庭内暴力を受け、家庭に居場所を失い、各支援団体に救いの手を求めている。
リーマンショックでも東日本大震災でも、人々のストレスが高まると、家庭内での虐待や性暴力につながる事例が多数報告されている。
今回も同様だ」
「支援団体が関わらなければ、岡村がいうように、路頭に迷っている女性を商品化し、性産業に利用するスカウトが声をかけていく」

 「岡村がいうように」とありますが、岡村氏は「路頭に迷った女性が性産業にスカウトされる」話はしていないです。
 岡村氏は飽くまで《今までの収入では苦しい程度》の人が、《頑張って稼いだら三か月程度で前の生活に戻れるレベル》の話しかしてません。しかも、スカウトではなく自主的に風俗を選んだ人を想定した話です。藤田氏の指摘するケースが見えていないように聞こえてしまう点こそが発言の問題である、というのが前述した通り私の主張です。
 岡村氏が言及した想定と、藤田氏が例えとして出したケースにズレが生じていることが、よりこの記事と放送を結びつけることに賛否を分けた理由だと思います。

「児童福祉関連の制度やシステムを改善、拡充して手厚くする方向性ではなく、性産業に従事するような構造が作り上げられてしまっている。
これを「福祉の敗北」などと批判する者もいるが、日本における性産業、性の商品化の需要は凄まじく、異常なほど女性の性的搾取に執着する構造が福祉の拡大や拡充を阻止している実態がある」

 性産業に従事すること事態は問題ではなく、そこに法整備が行き届いていない点が問題な気がします。そして生活に窮したからといって行き着く先を性風俗産業にだけ限定して問題視するのは視点が狭過ぎる気がします。
 そもそも、「児童福祉関連の制度やシステムの改善」といった「福祉の拡充や拡大」がされたところで「性の商品化の需要は凄まじ」いことは変わりないのですから、社会福祉と性風俗産業の両方の改善が必要なのではないですか?
 また性の商品化に関しては昨今BLが注目を集めている、というか隠れていた需要が露わになっています。またゲイビデオの中身がネットでやたらネタにされる風潮もあります。そのこと含めて、「性の商品化」の需要の中には女性も存在していることや、男性も「商品化」されていることに触れなければ、いつまでも男女の溝は埋まりません。

「専門学校生や大学生、大学院生たちからの生活相談も止まない。
日本の学費は先進国でトップレベルに高額で、なおかつ給付型奨学金(スカラシップ)がほぼ皆無である。
だから、家庭に余裕がなければ、性産業に従事して、学費や生活費を稼がなくてはならない環境が広がっている。
近年は性産業の門戸も広がり、セックスワークに入職しやすい「簡単、安全、高収入」というイメージ戦略もとられ、ハードルが大幅に引き下げられている」
「セックスワークへの誘導はするが、学業支援、生活支援、社会保障を整備しない社会だ。
日本社会は女性たちに性的搾取を強いてきたし、21世紀に入っても、このような人権無視の環境が広がっている。
困窮女性に対し、福祉や生活保障を充実させて解放するような方向性には一貫して動いていない」

 ラジオの内容からかなり遠いところまで来ました。
 学費を含めて学業にかかるお金が高すぎる話と性産業の話はまた別の話だと思います。当然、繋がってくるケースもあるのでしょうが、生活費に困ったからといって選択肢が性風俗しかないわけではありませんし、前提として学費は予め提示されています。もちろん今回だったり家庭の事情だったりで支払いが滞るケースもありますが、学業を辞めるか、稼ぎを探すか、という選択肢は自分で選べるものであって、必ずしも性風俗に直結するとは限らないですし、逆に行き着く先が性風俗以外である可能性もまた視野に入れるべき問題です。
 セックスワークの誘導と言いますが、社会構造の不備とは関係なく、性産業側からすれば商売なので求人するのは当然だと思います。あとハードルが引き下げられているのは性産業に限らないと思います。人手不足なのか、バイトを探せばやたら日雇い派遣の登録サイトに行き着きますし、最近では《LINEバイト》や《タイミー》《UberEats》といった気軽に仕事が探せたり、面接無しで隙間時間にお金を稼ぐ手法が広まったりしてます。いろんな手間やハードルが省かれたり、人が同じ店舗に固定されたりしない背景には、人間関係の問題と、学生の時間を搾取するブラックバイトがあるのではないかと個人的に見ています。
 それに学生には当然男性もいるわけです。学業にかかるお金の話は女性だけの問題ではありません。
 というか、性的搾取問題以前に入試の段階で女性が裏で不正に落とされるような、就学の時点で女性差別がなされているところから改善しないといけないんじゃないですか? 
 学業の問題や、育休問題から始まり、社会で女性が働きやすくなって職業の選択肢が増え、賃金の格差が無くなることが重要であって、それは性風俗産業とその利用者だけの責任じゃないと思います。

「誤解してほしくないのは、生活困窮者支援をするなかで、今回の緊急時だから女性が「性の商品化」をされているのではなく、日常的にそうなっている社会構造があるということだ。日常的に問題視されてこなかったものである」

 仮にそうだったとしても岡村氏の言及した範囲は今回の緊急時の後の話です。この事を考慮こそすれ、あの発言の問題にコロナ以前の話を持ち込むのはちょっとどうかと思います。誤解してほしくないのは、岡村氏の発言はコロナによる外出自粛を受けて出費をしようとしているリスナーに対する発言だった、と言う点です。(ピンキリなのでしょうが、ダッチワイフのクオリティとお値段に目玉が飛び出そうになりました)

「岡村隆史を含めて「性の商品化を待ち望み、女性の生活困窮や貧困を支援、縮小に向けて取り組むのではなく、待ち望む下劣な購入者たちが市場で待っている」
「このような女性の性を購入する人々の問題を「見える化」し、改めて社会福祉や生活保障をしていく社会への転換を図るべきであろう。
止むに止まれず、10代の女性、学生、シングルマザーなど生活に苦しむ人たちが性を売らなくても生活が可能な社会への転換こそ必要である。
岡村がいうような野蛮で下劣な社会のままにしておくのはもう止めていこう」

「性の商品化を待ち望むこと」と「女性の生活困窮や貧困を支援、縮小に向けて取り組む」ことは、両立すると思います。岡村氏始めとする風俗店利用者は風俗店の利用が目的であって、そこに従事する女性が生活的困窮や貧困していることは求めてないと思いますし、そう思っていると断言するにはラジオの発言は証拠としてはだいぶ脆い気がします。何故なら人によって解釈が違う発言だからです。
 客商売する者としては、その店で働くと決めた以上は従業員の事情はお客様には関係なく仕事をするべきで、逆に言えばお客様側にもあまり深入りしてほしくない事であります。(実際そこそこお年を召された方が結婚に関して無神経な質問をしてくる問題があります)
 だから根本としては店の利用者は店の事情とは無関係であり、注視すべきは仕事環境と、社会がどうして貧困を助けられないのかという問題です。性風俗産業は受け皿の1つでしかありません。
 社会問題が解決しようがしまいがこの世の欲求の総量は変わらないですし、性風俗の利用者が減るとも思えません。《法を守った上で商品化された性》の購入者たちまで下劣だと糾弾するのは、無理があるのではないでしょうか?
 そして見える化すべきは、ちゃんとした性教育と合法的な性的欲求の満たし方の手段とその周囲であって、利用者の問題だけじゃないと思います。どう社会を変えたところで人間の欲は無くなりませんから、あるとすれば満たし方の問題です。あと何度も書きますが、性を購入してるのは男性だけじゃないですし、止むに止まれず性を売ってる男性も存在すると思います。

 また「岡村のような力がある大人たち、力ある社会の構成員たちは女性の福祉拡充、生活支援を望まないのだろうか」と記事には書かれていますが、岡村さんが望んでないとは思えません。なんだったら存在していない伴侶が見え始めている岡村さんは女性と一緒に生活していきたい人なのだと私は思っています。
 それから、芸能人は社会的に力を持っているでしょうか?吉本に関しては去年の闇営業が世間の注目を集めた際、契約書を交わしていないことが話題になりました。仕事に対して満足な給料が得られているのかも疑問ですし、現場の送り迎えがなかったり、海外の仕事ですら現地集合があったりします。普通に異性と関係を持ちたくとも週刊誌に撮られ、明かしたくもないプライベートが大々的に公表された挙句に駄目になってしまったり、破局の結果、相手に写真を売られてしまったりする職業です。個人的な性の問題だって暴露されかねないのです。
 以上から社会的に人権や補償が充分にされているとは思えません。芸能界だってグレーゾーンの中にあります。人生やキャラクターを売っている彼らだって、当たれば稼げるというだけです。しかも疑惑と世間の怒りを煽るような記事を書かれれば、その果てに簡単に仕事を失い消えてしまうことは、去年の騒動で多くの人が知ったはずです。モラルで守られているか怪しい人たちにモラルを守れというのは、芸能人の不倫どころか、ただの恋愛すらスキャンダル(醜聞)として話す一般人を見るに我儘が過ぎる気がします。

 藤田氏は話の内容である風俗に着目し、女性の貧困問題に話を発展させました。しかし前述した通り、私は岡村氏の発言を性別関係なくコロナ自粛による貧困の問題であると認識してします。
 藤田氏と私で岡村氏の発言に対する解釈や受け止め方に大きな違いがあるので、始まりからして違うのですが、それは致し方ないことです。
 ですが例え藤田氏の言うことが、岡村氏の冗談から地続きの現実であったとしても、1つの解釈によって本人が意図するところではない範囲まで話を膨らませ、その膨張した責任を丸ごと押し付けるような記事の書き方には疑問を持たざるを得ません。岡村さんが責任をとるべきは範囲は人によっては酷く不快なものとして受け取られかねない発言をしたことのはずで、根本的な社会問題ではないと思います。全体的に、怒りが迸るあまり岡村氏の思想を決めつけ、悪い方にしか受けとらず、書きたいことを書き連ねたように感じました。
 そして、前述した通りタイトルを含め、私は藤田氏を書き手として信頼することが出来ませんでした。なので、この記事以降の記事に関しては目を通していません。
 また性と貧困の話になった時にどうして女性に限定されるのかがわかりません。性風俗産業に従事している男性だっています。それこそ芸人をやりながらAVに出ていた男性芸人さんがいるくらいです。また性的搾取をする側にも女性がいることも触れなければ公平ではないと思います。痴漢と痴漢冤罪の話と同じです。どっちか、ではなく、どっちの話もする必要があるのです。
 あと藤田氏は、岡村氏の発言がコロナによって深刻なまでに生活が苦しくなっている人たちに寄り添えないものであったという問題点を抱えているのと同様、好きで性風俗産業で働いている人や、性風俗産業働くという選択肢すら無い人たち(もちろん性別問わず)がいるという視点を忘れている気がします。
 世の中にはお金を貰わずとも性的な事に関わる人や、お金を稼ぐ選択肢すら持ち合わせない人だって、存在するのです。

まとめ

 初投稿から目を通して頂いた方も含めまして、貴重なお時間を頂戴してしまったように思います。
 誤字脱字ありましたら申し訳ございません。そして私の感想に過ぎません。
 私は炎上騒動を嗅ぎつけたただの野次馬でしかありません。ですが、野次馬なりに問題の放送を確認し、内容と記事にズレを感じた為筆をとった次第です。
 解釈の違いや双方への反論がある中、否定的意見が群れをなし、別番組という場外乱闘にまで発展しました。野次馬ながらに、特定のジャンルや個人が1つの解釈によって悪と決めつけられ、賛否両論の戦いの中で踏みにじられてしまう人間の恐ろしさを見ました。最終的にはあれだけ燃やされておきながら誰も触れようとしなくなるのではないか、という恐れから、ここ二週間ほどリアルタイムで放送を聴いています。
 問題提起という意味で、藤田氏の記事は効果を絶大に果たしたと思います。ですが記事の読者たちが、反省し変わろうとしている岡村氏を叩いているのを見て、生活に困窮している人たちにとって何の利益になるのかという疑問が強く残りました。根深い社会の闇にこの炎上が役に立つのか、私にはまだ判断できません。ですが、自分の中で根拠を持つことが大事だとわかりました。願わくば、擁護派も批判派も自分の意見以外の存在も許しながら、今後の放送を聞いて自分の中で落とし所を見つけて欲しいです。

 最後に、岡村氏は確かに不用意な発言をしたのだと思います。ですが、芸人は冗談を言うことが仕事ですし、冗談であるからこそ、誰もが不快に思わないなんて無理という大前提があります。
 また、今までの活躍において人に与えてきたものがあることも確かです。岡村氏含めナインティナインが誰にも代えられない大切な存在である人も世の中にはいることをどうかわかって頂きたい。馬鹿だと笑う方もいるかもしれませんが、
 自分の人生に希望が見えなくとも、その人がいつも通り輝いて見えるそれだけで、生きている世界に価値を見出せる人がいるのです。社会が寄り添ってくれなくったって、その人が生きているから死ぬことを考えなくてすむ人がいるんです。芸能人とは誰かにとって家族すら埋めらない超個人的な隙間を埋めてくれる存在であることを、頭の片隅に置いていただければ幸いです。(今年活動休止する再推しが戻ってくるまで死ねない人より)

 余談ですがこれらの内容をまとめるに至った最後の一押しはツイッターにて岡村氏の引退を望む声を上げているアカウントの中にジャニヲタが多いという指摘を見てイラッと、いや、ブチッときたからでした。誤解されがちですが、芸人や二次元も好きな兼業(?)ジャニヲタがいることを知ってほしいです。(実写化作品が発表される度に、キャスティングの段階で叩かれてるの見て悲しくなる人です。)

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