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内気で体が弱く、やることが全然続かない自己肯定感0の人間がウエイトリフティングと出会い自分に自信を持てるようになり学生日本1になった話

はじめまして!
ショウゴと申します!

僕は高校、大学の7年間
ウエイトリフティングを
やっていました。

その中で、腰痛による怪我での挫折を
多く経験してしましたが
乗り越えて学生日本1になることができました。

普段、その経験を元に

ウエイトリフティング
パワーリフティングの
競技力向上のための筋トレ情報や

腰痛の予防、改善法などの
情報を発信しています。

僕のことを知らない人ばかりだと思うので

ウエイトリフティングとの出会いから
学生日本1になるまでの話を
自己紹介を交えて書きます!

この記事を書いている現在は30歳

子供の頃の僕は

喘息持ちで
走ったり運動することができず

内気のあがり症で
小学校の頃は人前で
発表することができなかったり

みんながやってるから
「とりあえず僕も!」
と始めるものの全然続かなかったりと

「どうせ僕なんて」と思っていた
自分のことが嫌いな
自己肯定感0の人間で、

何も目標がなく、
何となくで生きていました。

そんな気弱な僕が、
ウエイトリフティングと出会い

「体を鍛える事で自分でも強くなれる!」
「鍛える事が自信につながる!」
「継続する事が大切!」

と思えるようになり、
今の自分の軸になっているので

その過程の全てを、
包み隠さずお話ししたいと思います!



継続する事の大切さを知った中学時代

漫画スラムダンクのキャラ
【三井寿】が好きだった僕は

仲のいい友達が入った流れで
バスケ部に入部しました。

なんとか続けていましたが
喘息の影響で走り込みなどができず
ついていけませんでした。

そこで「好きだから」だけでは
続かないものもあるとわかりました。

結果幽霊部員になり、好きだった
【三井寿】とは真逆の

「先生、バスケ辞めたいです。」

と辞めてしまいました。

それからは部活に入らず
毎日ダラダラと過ごしていました。

そんなある日
陸上部の先生に呼び出され

「卒業まで1年あるけど砲丸投げせえへんか?」

と誘われました。

この出会いが自分を変える最初のきっかけでした。

砲丸投げとは、
砲丸を遠くまで投げて距離を競う競技。

記録で自分の力が分かる点が
自分に合っていたのかもしれません。

砲丸投げは1年間続けることができ
さらに県大会まで行くことができました。


ウエイトリフティングとの出会い


中学3年生の卒業前
陸上部の先生に呼び出され

「 お前に見せたいものがある! 」

と近くの高校まで
連れて行ってもらいました。

それがウエイトリフティングとの出会いでした。

バーベルを頭上まで挙げるスナッチ
肩から頭上に挙げるジャーク

漢たちがうなりながら
デッドリフトとスクワット
をやっている。

「 これや!! 」と

ものすごい衝撃が走って
生まれて初めてここまで

「 やってみたい!!」

というものに出会えました。

ウエイトリフティングとは
2つの種目の合計記録で勝負。

チームでおこなう競技とは違って
自分との戦いでキツイけど
やればやるだけ強くなれる。

「 砲丸投げをやれたのなら素質あるぞ!」
「やってみないか?」と
グイグイ誘われました。

それに対して僕は

「やります!」

と即答しました。

そして高校に入学し、
ウエイトリフティングを始めました。


挫折を乗り越えた高校時代

1年目は種目のフォーム練習

スクワット、デッドリフトの
練習を徹底しました。

そして始めた1年目から僕は
なんと、全国大会に出場。

ですが、結果ボロボロで
その時、ライバルとの差を感じました。
(YouTubeにボロボロ具合が残っています)

「このまま負けて終わるのは嫌だ。」

そこからの僕は、

勝つためには何が必要かを考え
他に負けないパワーをつけるために
さらに、練習を徹底する事にしました。

基礎練習の成果もあって、
その後記録は伸びましたが

負担が強過ぎて
腰の怪我、尾てい骨の疲労骨折
さらに失敗癖がついてしまいました。

そんな中臨んだ、
2年目の夏のインターハイ予選

僕は、記録なしの失格になってしまいました。

悔し過ぎて同期たちがインターハイに行っている間
僕は1人残り練習していました。

同じような失敗は
できなかったので

怪我をしないように
気をつけて練習に取り組みました。

そして3年目のインターハイ予選を
優勝してインターハイに
出場出来るようになりました。

「インターハイ出場の夢が叶う!」

すでに上位争いができる記録だったので
試合までにもう少し記録を伸ばせれば
優勝を狙える!

と思い練習に励みました。
ですが高重量での練習を
詰め込みすぎた結果

インターハイの1月前

BOXからのスナッチの失敗で
バーベルを持ったまま指を
BOXに挟んでしまい

左手の親指を
開放骨折という骨が出てしまう
骨折をしてしまいました。

積み上げてきた努力が
全て崩れたと感じました。

ですが周りの励ましや
インターハイで記録を残さないと
大学に行けないということで

「どうせ出るなら
ハンデがある状態でも
勝ってやる!」と

手術を終えて
試合までの1ヶ月で

左手は親指以外の
4本だけで握る練習をしました。

その結果、
インターハイ4位入賞することができました。

悔しさしか残りませんでしたが
その時に出せる100%の力を
出し切れた思います。


怪我を乗り越え日本1になった大学時代


大学入学後は、
高校時代の練習方法
を続けていました。

ですが、
思うように記録が伸びず

さらには、
高校時代に患った
腰痛に悩みながら

2年生まで高校時代の記録のままでした。

そして2年生の、とある試合。
ジャーク3本目の引き始め、

ビキッ!!

と腰から大きな音が鳴り、

歩けなくなるほどの
怪我をしてしまいました。

診断の結果

【腰椎分離症】
という腰骨の疲労骨折でした。

その頃の怪我の乗り越え方は
別で書きたいと思います。

痛みがなくなって
記録を戻した頃には

3年生になっていました。

そこからは
何をどう進めればいいのかわからず

ただ練習をするだけの日々でした。


突然の出会い


3年生後半のある日

OBの先輩が
練習を見に来ました。

そこで先輩に

「その練習は何を目的にやってるの?」

と聞かれ、
僕は答えることができませんでした。

その日の夜、
先輩に食事へ誘われ

そこで僕に必要なものは

・失敗しないメンタル
・怪我の悪化を抑える体作り

だと、やるべきことを教えてもらいました。

今後僕は主将になることが決まっていて、
今のままではダメだと思っていた僕は

強くなるためには
この人に教えてもらうしかないと感じ、

「僕の練習を見てください!!」

とお願いしました。

そこから先輩からの
指導のもと

メンタルの強化
怪我の悪化を抑えるトレーニング
を始めました。

先輩から教わり始めると
自分のやることが明確になり
悩むことが減りました。

常に怪我のことを考えながら
高重量低回数で、練習していたのを

怪我のリスクを下げるために
重量を下げて回数を上げ

回数の記録をあげて行き
筋肉量を増やすという練習。

その中で、疲労があっても
1本1本を失敗しないよう丁寧に行い、

どの種目でも試合で挙げるような
イメージでメンタルの強化をしました。

その結果

スクワット、デッドリフトの記録が伸び
スクワット240キロ→280キロ
デッドリフト230キロ→270キロ

階級を上げるほど筋肉量が増え
種目の記録も最終的に
スナッチ125キロ→140キロ
ジャーク165キロ→178キロ

まで伸びました。
さらに、


目標としていた
学生日本1位になり

県代表として、
国体出場

日本代表として、
海外試合と

目標としていたことが
次々と大学最後の年に
叶えることができました。

怪我で悩んでいた
大学3年間とは
打って変わり

競技歴7年間の中で
1番楽しい年になりました。

僕が、記録が伸びず怪我に悩み
強くなるためにやったことは

・高重量のみの練習を辞めて
 中重量で本数をこなし
 体幹強化・メンタル強化

「これだけ?」と思うかもしれませんが
「もっと早く気づいていればよかった‥」
と思うくらい大きな成果を得られました。


あなたへ

内気でメンタルが弱かった僕でも
ウエイトリフティングと出会い

いい指導者に恵まれ、
学生日本1位になれました。

ですが僕は、
今でもまだまだメンタルは弱いと思います。

1人では絶対に失敗して
ここまでは来れなかったと思います。

そんな僕でも、
何かがうまく行く時は

必ず正しい方向へ
向かわせてくれる人がいました。

もしあなたが同じような状況で
心が折れそうなら

「この人だ!」

と思える人を見つけてください。

僕は競技歴7年のうち、
3年ほど1人悩んで失敗してきたので

「同じように悩んで欲しくない!」

と思い、発信を始めました。

もしあなたが、僕と同じように
1人で悩んでいるなら

ぜひご相談ください!
僕でよければ力になります!

ウエイトリフティング
パワーリフティングをしている方で

筋トレ、増量、減量やマインド等の悩みを

共有できる場所を作りたいと思い
日々活動しています!

公式ラインにて受付をしておりますので
ぜひ活用してみてください!


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