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気持ちを食べるということ
兄は昨年辺り(ちゃんと覚えてない、もっと前からかも)からチョコ、厳密にはカカオアレルギーになった
ボンボンショコラなどを食べたり、洋菓子店を巡ったり。大切な人からチョコたっぷりのケーキが届くのが大好きだった兄には、とてもキツい出来事だったのではと思う。
それでも何かとチョコケーキを選ぶ我が家。決してお兄ちゃんを軽んじているわけではなく、「チョコのでかいあれ、それでいいよん」とのことだ。
わたしは普段実家にいないから、わたしが喜ぶように選んでいるのでは?と感じつつ、わたしは「ありがとう!」だけを兄に伝える。
いつまでも「どの部分がいい?」と聞いてくれる母。
わたしはいつもド真ん中を選ぶ。
そのせいで母は真ん中を少し大きく切る癖がついた。
父は後で食べるという。一緒に食べることに意味があるのに、この人はいつまでもわかってない。
でも父にも父なりのタイミングがあり、美味しくケーキを食べている。夕食に度々「議題」がある我が家はASD(アスペルガー症候群)を持つ父にとって置いてけぼり三昧、自分の話が出来ず居るだけで大変なことだと思う。そりゃ食卓につくのも遅くなる。
兄はお気に入りの紅茶1人分だけ淹れて飲んで、わたしにいろんな報告をして部屋に戻る。わたしは兄のお陰で好きなことがどんどん増える。
それでいいみたい。
それがいいみたい。
でも私はみんなでチョコケーキが食べたい。
チョコじゃなくても良い。
欲張りだろうか?
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