娘に音楽を習わせたかった

こんばんは。今日からヤマハに通い始めた娘の父です。
初回のレッスンの質が高く感動していろいろ考え事をしていたところ、なぜ娘に音楽を習わせたかったのかが言語化できたので、記録がてら久しぶりにnoteを書いています。

結論

世の中のコンテンツのうち大きな割合を占める音楽の解像度が高まることで感動できる回数が増え、その結果幸福を感じる確率が高まるからです。

どういうことか

なるほどと思っていただけた方は閉じていただいて大丈夫です。ご精読ありがとうございました!
恐らく自分の表現力の弱さから、あんまり理解してもらえている気がしないので、段階を踏んで分解していきます。

①音楽は世の中に溢れたコンテンツのひとつである

これはまあ納得していただきやすいんじゃないかと思います。
音楽は歴史が長く広く愛されているコンテンツです。最近は動画もよくみますが、動画コンテンツにも音楽が含まれていることは多いですよね。

②物事の解像度が高まると、感動できる回数が増える

これはちょっとだけ説明があったほうが理解してもらいやすそうです。

まずここでいう物事とはなにかというと、音楽はもちろんそうですし、他にも例えば料理とか、魚釣りとか、家電製品とか、ワインとか、そういうものを指しています。
これだけだと分かりづらいので、解像度の説明もします。解像度は「テレビ画面の粗さ」みたいなイメージです。解像度が低い(荒い)ほどぼやっとした見え方になりますし、解像度が高い(細かい)ほどテレビに写ったものがくっきりはっきり見えるようになります。

つまり物事の解像度とは、料理でいうと解像度が低いほどいろんな料理を食べても「うまい」「まずい」としか感じないし、逆に解像度が高いほど味の細かい違いが分かったり、その味を再現するための方法が頭に浮かんだりして、いろんな料理を食べるとその違いがよりくっきり分かるようになります。
「このピクルスには少しカルダモンが入ってますね」って言えるとかは料理についての解像度が高いじゃん、ということになります(ウザいかどうかは別問題)。

物事の解像度が高まると、「ここでこんな工夫をしたんだ!」とか「この解釈は面白いな、自分も真似してみよう」とかいうふうに感動することが増えると思います。
少なくとも「うまい」「まずい」とだけ感じる場合よりは、感動の回数は多くなるはずです。

これらをあわせて、物事の解像度が高まると、感動できる回数が増えるという表現になりました。

③感動すると幸福を感じる確率が高まる

まず幸福を感じるときからいきます。ここは下手すると気持ち悪い内容になるので、科学的アプローチで説明します。
人は、ドーパミン・セロトニン・オキシトシンが十分に分泌されているときに幸福と感じるらしいです。

ドーパミンは快楽や報酬・動機付けに関与する神経伝達物質です。なにかを達成したときや、新しいことを経験したり発見することでも分泌されるようです。
セロトニンは気分の安定や幸福感に関与する神経伝達物質です。行運動、食事の際の咀嚼、意識的な呼吸などを一定のリズムの運動を行うとか、他者とのつながりによっても分泌されるとのことです。
オキシトシンは「愛情ホルモン」や「絆ホルモン」とも呼ばれ、社会的な絆や信頼、親密さに関与する神経伝達物質です。他者と深い共感をするとか人間関係の深まりを伴う経験によって分泌が促進されるようです。

ここまでは生成AIに聞いたり検索して出てきた内容です。
ここからはまあ普通なんですが、これらのドーパミン・セロトニン・オキシトシンは、感動すれば何かしらが分泌されるはずです。
誰かのアウトプットを観たり摂取することで新しい発見があればドーパミンが、習慣的にコンテンツに触れることで安心した気持ちになればセロトニンが、親密な人と「わかる〜」って言い合えればオキシトシンが分泌されます。
なので、感動の回数が多いほど幸福を感じることができるはずです。

「幸福を感じる」と断定せず「幸福を感じる確率が高まる」と表現したのは、感動することで自分を鼓舞するタイプもいるので、必ずしも直結するわけではないなと考えたからです。
ただし、感動をして「いやいやもっと自分も頑張らねば」と奮起した場合でも、その瞬間は幸福を感じていないかもしれませんが、いずれ自身が成長したときには達成感でドーパミンがドバドバ出てハッピー、という道を通ることになるとは思います。

まとめ

これらをまとめると「世の中のコンテンツのうち大きな割合を占める音楽の解像度が高まることで感動できる回数が増え、その結果幸福を感じる確率が高まる」という表現になりました。

そういう感じで、娘にはやっぱり幸せになってほしいんですよね。そのためにできることはなにかなと考えたときに、自分自身が幸せを感じる瞬間が多い音楽がやっぱり頭にあって、それを言語化するとこういった内容を考えてたんだなという気付きでした。

必ずしも音楽でしか幸せになれないと言うつもりは全くありません。「世の中のコンテンツのうち大きな割合を占める音楽の解像度が高まることで感動できる回数が増え、その結果幸福を感じる確率が高まる」のコンテンツの対象は、料理でも、魚釣りでも、家電製品でも、ワインでも同じことが言えると思いますし、推し活だって歴史だってガンダムだってなんだっていいんです。

仮に様々なコンテンツの解像度が高ければ、目にするものすべてに感動できて、外から見ると息してるだけなんだけど本人はずっと幸福、みたいな状態にだってなれるんじゃないかと思っています。
娘にはそんな感じで、世の中の物事にたくさん触れて詳しくなってあわよくば好きになって、目にするものすべてを感動の種に感じることができれば嬉しいなと思います。

ちょっと主語が大きくなってきたのでおわります。

ご精読ありがとうございました!

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