昔のK-1が選手に大金払えたのは時代が良かったからだと思っている人達へ

これは先日K-1生みの親、石井館長がつぶやいた今の格闘技業界にこうあってほしいというツイートです。

このツイートに対しいくつか反論している人を見かけました。

その内容は「今と時代が違うし理想論を並べているだけ」、「PRIDEとの引き抜き合戦でファイトマネーを高騰させ、かつてのK-1を潰しておきながら」という内容で新生K-1ファンだけどかつてのK-1を全く知らないような雰囲気だったのでいてもたってもいられませんでした。

まず、かつてのK-1はいい時代(キックが稼げる時代)に旗揚げしたから大金を払えたんだという件についてご説明します。

K-1ができたのは1993年です。

石井館長の先日のツイートに文句がある人に一つ考えてもらいたいことがあります。

新生K-1でいうスーパーバンタム級からスーパーライト級までの階級の選手で90年代を代表する日本人キックボクサー5人あげてくださいと言われたときすぐに出ますでしょうか?

おそらく出ないでしょう。

だって90年代一斉を風靡していたのはK-1でそこに参戦する主なファイターはヘビー級かつ外国人だったからです。

何が言いたいかと言うと90年代も近年もキックボクシングで食っていくのは難しかったということです。

キックボクシングが波に乗っているときにK-1を作ってそれがヒットしたのではなく、K-1ができて波が生まれたという表現が正しいです。

だからキックボクサーだった魔裟斗は石井館長に自分の階級でK-1をやってくれと頼み込みました。そしてスタートしたのがK-1 WORLD MAXです。

もう一度言います。

元々食えないのを食えるようにしたのがK-1なのです。

K-1がなければピーター・アーツもアーネスト・ホーストもジェロム・レ・バンナも今の生活はできていない可能性が高いと言えます。

K-1が始まる前から空手で飯が食えるようにというプランを谷川貞治に話していたようで、どうやって食えるようにするかというのも石井館長の勝負だったわけです。

そしてかつてのK-1トップファイターは皆いい暮らしをしている今があります。

次に引き抜き合戦の末かつてのK-1のファイトマネー高騰が云々ですがまずK-1は3つの時代に分けて考える必要があります。

石井館長のK-1 1993年〜2002年

谷川貞治のK-1 2003年〜2011年

新生K-1    2014年〜現在

この内PRIDEと揉めていたのは石井館長が逮捕された2003年以降です。

つまり谷川貞治時代に引き抜き合戦、ファイトマネー高騰が起きたわけです。

当時のPRIDEの代表は今のRIZINの代表榊原社長ですが、石井館長がK-1の代表に立っていたときはイベントのノウハウなど学んでいたようで当時の関係を考えれば石井館長がいた頃のK-1からPRIDEが選手を引き抜くなんて考えられません。

ただ、一つだけ旧K-1が潰れた責任の一端は間違いなく石井館長にもあるというのは付け加えておきます。

結構感情的に書きましたが、結論として何が言いたいかと言うとかつてのK-1はキックが稼げる時代にできたわけではなくK-1が格闘技をやりようによっては稼げる競技にしたのです。

今の新生K-1、RISEでもやりようではできるのではないかと思うし、関わる人間がそれを諦めたら一生格闘家の地位向上にはつながらないと思います。

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