あの少女は幻想ではない
(この文書は嘘とほんとがないまぜなのであんまり真面目には読まないで欲しい)
読書感想文なんて大嫌いだったからこんなことをするつもりは無かったのだけど、読後の感覚があまりにも切なくて、誠実な彼彼女たちに対して私ができることが唯一これなら、するしかないのだろう、と、指針はおろか結末の行方も何もあったものじゃないまま、スマホを手にしている。何を書くかなんて私ですら知らない。感想文というより自分を語る文章になることも目に見えている。嫌な話だ。それでも、自意識の確立、自分の中の少女性を求めて出会ったこのバンドに対して、表明できる方法は自伝に近い文というのも、まあ仕方はないのだろうな、と思い込むことにする。読みやすさも伝えたい感情も最早検討していない。それでもひとまず、形にすることから始めていこうと思う。だから文書のクオリティは求めないで欲しい。なんせ私も終わりが分かっていない、すべては見切り発車だからだ。
『水色自伝』をわざわざ購入したのは、私にとってのアーバンギャルドが、私に横たわる僅かなサブカルチャーの知識の入り口に絡んでいたせいもある。本文を読んでも結局何者なのかわからないまま、掴めない人間として終わったてまきゅん、が言うように、注釈部分がサブカルチャー入門としても活用出来る色濃い自伝だ。文字が好きなくせに近頃現実に潰されていた私にとって、サブカルチャーに浸ってみたいのだと死に物狂いだった10代を、今一度振り返ってやっても良いんではないかな、ちょうど自粛のGWもやって来るのだしな。なんて、それぐらいの、本当に軽い気持ちだった。これは全て後付けかもしれないが。
何せ購入してポストに投函された翌日、私はその本を視認した。弊社からすら不要不急の外出は控えろ、と窘められてしまったこの時世、外に出て梱包材付きの茶封筒を手にするまでには間が必要だった。必要な何かのついでに覗くぐらいの気持ちでないと、それを確認することすら罪悪感が湧いた。妙なところで生真面目なものだ。
視認してからも読破には時間をかけなければならなかった。赤と白のカバー、どことなく危険な印象を持たせる表紙を開けば、すぐさま出てくる注釈の山。てまきゅんのターン。解説的な文書と、語り手から受け取る情報、どうも私が読むにはそれらを嚥下する場所が違うので、ひとつひとつスイッチを切り替えて読み砕いて、時には疲弊し、時には嫌悪し、時にはずっと近くに思わされ。遠い過去となったサブカルチャーに密接した名詞を皮膚を掻き毟りたい思いで確認しながら、最終的に私の中にあったアーバンギャルドに抱いていた幻想は、言葉通り本当に、ただの幻想だったのだな、と思わされるに至った。結論としてはこうなる。
私の10代は東京生まれ東京育ちの人間からしたらチンケなもので、山と川と田んぼに囲まれたドのつく田舎で消費されていた。そもそもそんな場における暮らしの中には、娯楽的な文化が根付いていなかった。日々を生きること、自分のなすべきこと――それは仕事であったり、当時の私からすると学業であったり、実家の手伝いであったり――をこなすことだけで1日が終わる。テレビは両親や祖父母の好みが優先され、学校の話題も人間関係の噂が多かった。田舎に湧く話題の乏しさを自覚したのは、そこから少しだけ距離を置けた頃だったが。一応釈明するが、田舎生まれの人間を批判する気はさらさらない。私自身がそうだったし、話題が固まる理由も十分体感しているので。
唯一私が恵まれていたとすれば図書館が徒歩圏内にあったことだが、これも自分の好み、気まぐれでしか掘り下げられない世界であった。自分が選ぶだけでは、新たな扉を見つけたってそこそこ隣接したものが多くなる。サブカルに染まる人々の言う作家、活動家、それらの本を手に取る機会は無く、そもそも名前すらも知らないままだった。そもそもサブカルチャーという単語を理解したのも、アーバンギャルドを知った高校の時分だ。私の世界はずいぶん狭いままやってきて、無理やり自分の住む街から抜け出すようにしたその高校で、ようやく人並みの形を得たのだ(奨学金を借りて往復3時間の私立に行った。通学の不便さや金銭的な問題、あとは周囲の目もあるなどなど猛反対されたし、今でも両親には根に持たれているのだが、とにかく緑塗れで知った顔しかない土地から飛び出したかったのだ)。よこたんは自分の生まれを田舎者だとしていたけれど、こちらからすれば、習い事をせっせとこなす環境なんて、それこそ暮らしの傍に自然と文化のある人間の――余裕のある家庭のすることだった。アーバンギャルドに所属する人間はすべからく、触れる場所に恵まれている方々だと思わされた。悲しいことに。私の受け取り方が卑屈極まりないせいで、こんな薄い形でしか読み解けなかったのだ。
私がアーバンギャルドに出会ったきっかけ。高校の放送部の活動として、昼休み中に音楽のリクエストを匿名で募った際に、名前があったのだったか……多分そう。この活動は知らない文化を体感するには貴重なものだった。音楽のジャンルが突然広がっていったという意味では非常に大きい。なにせ「トラウマ」テクノポップとまで銘打ったバンドにまで出会ったのだから。
新たなものを摂取するのがとびきりに嬉しかった私は、わざわざそのリクエストされた曲を探し求め、両親を無理やり説得し、車で20分程度はかかるレンタルショップでそれらの曲を借りていた。月に1度あるかないかではあったが、私にとっては随分な遠征だった。レンタル料は、ほとんど使われずに保管されていた部費から捻出していた。この行為がなんらかの権利の侵害であるかは、正直今も分からないのだが、止められなかったせいで続けてしまった。流行曲やジャニーズ、何かのテーマ曲、おそらくアニメソング(私が所属していたグループはオタク系ではあったが、なにせ視聴出来るチャンネルが少ない為範囲の狭いオタク……ヲタク?だったのだ)。熱心な際はその曲を焼いたCD-Rを添えて投函されていたが、いわゆるヴィジュアル系であったり、テクノポップと言った楽曲は異彩を放っていた。というかリクエスト時のペンネームの癖が一際強かったので、アンケートボックスをひっくり返した時点で分かった。色ペンを使っているものが大半だったのもある。
明らかにキワモノ、という雰囲気で綴られたバンド名とリクエストされた楽曲は、レンタルショップで見つからないものも多かった。高校生のアンテナの広さは恐ろしいものだ。もしかすると、このリクエスト場が、彼ら彼女らが匿名で出来る知識のマウントの場として活用されていたのかもしれない。これは穿った見方かもしれないが、本当に熱心だと連日コメントを添えてCD-Rが投函されるのだ。どうにかこうにかその曲を聴きたい、そう思わせるまでの熱量を受けると、少しだけ恐ろしくもなったりしていた。その曲はちゃんとかけたのだったかな……。
なにせ学内でかけるからには、ひとまず試聴しなければならない。教員や下手をすると教育委員会のゲスト等、外部の方も聞く可能性がある。あまりにマニアックな曲をかけすぎると、メジャー曲が好きな生徒からも批判が飛んでくる。ちょうどいいバランスを保つ為、放課後の部室、スクールバスを待つ間に、同じく暇つぶしをする部員と共同で、楽曲審査の作業を行うことにしていた。
審査といっても、歌詞カードを眺め、小さな白のコンポにレンタルしたディスクを吸い込ませ、これはセーフ、これはアウト、といった投票をするのだが、選定の基準は色々だった。歌詞が過激だとか、昼に流すには暗いとか、そのぐらいの軽い流し。アーティストの方々からしたら非常に残酷でもあるかもしれないけれど。その中でアーバンギャルドの楽曲はといえば、まあ、勿論アウトだった。まず音が賑やかすぎる。血とか言うし。そもそもジャケットの印象とかマズくない?借りて来る係の私も、概ね賛成であった。なにも知らない人間に昼食と共に浴びせるにはあまりに過激だった。その曲は奇しくも「セーラー服を脱がないで」だったのだけど……うちの制服はブレザーだったな、そういえば。
そんな批判一色の中、私はといえば密かに、面白い曲だなぁと感じていた。リクエストをした子が望むような採用は出来なかったが、その出会いに対しては肯定的だったというべきなのだろうか。慰めになるかは分からないが、ラジオ活動の際にインスト曲をBGMに利用するといった形を取ることにした。私の独断だったかな、確か。(後日この文書を読み返して再度考えたが、そもそもアーバンのアルバムにインストがあったのかどうか定かじゃない、ただ罪滅ぼしだとインストをかけたのだけは強く覚えている。似た雰囲気のチップチューンとかをかけたのかも。当時利用していたラジオ用の音源はすでに私の手元から全て消えている、遡れない、確認のしようがない……)ちょうど思春期真っ盛りの時期だった私にとって、「少女」を前面に押し出すその曲は、ひとつの憧れ、もしくは嫉みを抱くような、そんな印象を持ったのだ。そのまま捨て置くには勿体無い。でも、認めると自分の中でいやに熱っぽいものが放出される予感があった。自覚したくない種類の熱だという直感があった。
選評会を終え、私は自宅で少しずつそのバンドを調べることにした。まず、ごねにごねて高校入学祝に買ってもらったWALKMANに、ひとまずアルバムを突っ込んだ。録音で、だ(当時自由に使えるPCなんぞ無かったので、録音用のコードを買って、CDコンポに繋ぐ作業をしていた。せっかくのWALKMANだというに。実にアナクロ)。アンテナが二本立てば良い方の太いガラケーには、悲しきかなフィルタリング機能が付けられており、インターネット接続が出来るものの非常に重い鎖のついた状況だった。少しずつバンドの形を理解しようとしたものの、得られる情報は僅かなものだった。
当時はSNSも活発になっていた時期だった。ガラケー一辺倒の中にスマホが流入し出した頃、私はといえば勿論ガラケー、しかもフィルタリング制限をクリアした「一応健全」なサイトしか開けなかったものだから、まずアルバムの情報をかき集めるのも一苦労だった。青いアイコンも緑のブログサイトも、橙の出会い系も、果てはショッピングサイトもブロックされていた……はずだ。記憶が正しければ。わずか3.2インチの画面の極小サイズの文字で読めたのは、誰かの個人サイトの感想文、そんなものだった。あれはあれで良い文化だったが、今思うと随分怖い文章だったような気もする。熱量が高すぎて。
サブカルチャー、という単語を理解し始めたのもこの頃だ。未だにこの単語が何を指すか、曖昧な感覚ではあるのだけど。私が当時理解していたのは、サブカルというよりはアングラ、だったのだと思う。今もそちら側への理解が強まったぐらいで、たいした知識は付かなかった気がするが……好きだ。好きだったのだけど……それに触れようとするには制限ばかりで、ようやく土地や環境から自由になれた頃には、若さと勢いが抜け落ちていた。追いかける為の熱量が尽きていたのだ。わずかに知った本を読んで、遠出した際のショッピングモールの片隅にあったヴィレヴァンで、漫画のタイトルを眺めるぐらいが、当時の限界だったのだ。ああ待てよ、辛うじてそういった漫画や書籍は手に出来たが……結局齧った程度で、でもその齧りにすらいちいち必死で、わずかな異文化に喜んでいたのである。都会育ちからするととんでもない鈍足ぶりだろう。
今だって日々こなすので精一杯だ。それだけで私の活動労力は尽きる。だからこそ私が生まれた一家は田舎町にあるのかもしれないが……まあこれは完全な愚痴だ。話題が逸れすぎた。
私にとってのアーバンギャルドは、都会的、前衛的、まあ楽曲の言葉をそのまま借りた形だった。ピコピコと鳴る電子音、突然響く男のシャウト、詩に似た歌詞、透き通る女の声、過剰、過剰、過剰!その中にあるぐるぐるとしたポップな感触は、少女の抱く熱。当時少女と言えた私からすると、都会的な少女、という遠い形の楽曲は、ファンタジー小説さながらの幻想に近い印象だった。文字を辿ってたまに見かける、私では得られない心の動き。恋も知らない、愛なんてまっぴら、そもそも化粧だってしていない、自分の魅せ方も認め方も何も分からない。唯一詩のような歌詞に慰められたと言えば聞こえがいいものの、つまりはほとんどそれを恨んでいたのだ。輝かしい若さと知識、感性、それを当たり前のように提示する都会という環境、文学的表現でありながら過剰なまでの攻撃性。過去にあった学生運動を思わせる歌詞と照らし合わせて、ああああいうリビドーを持つバンドなのだろうか、なんて適当な言葉で押し込め、当時の私はそれ以上の理解を放り投げた。根暗であり、休日に外に出ることもできず、義務である登校だけは必死にこなす私に、制服を着ながら女に至る過程に対し戦争を当てがい語るような強さ――発想でもいいが、そんな回路は存在せず、それこそが遠い幻想で、画面の向こうで、雲の上の世界で――自分とは交わらないものなのだと切り捨てていた。そこまで過剰に反応した歌詞を書いていたのがそもそも女性ではないと知ったのは、多分成人してからだったと思う。当時もっとしつこく調べていれば、妙な思い込みも解消されていただろうにな。
まあ、言ってしまえば彼らの言う少女に、少女性に、こーんな私は含まれやしないのだ!という勝手な被害妄想故の判断だったのだが。これは今も少しだけ残っている。成人してどうにか化粧も覚えたが、誰かが自分を笑っているなんて外見に関する自意識の過剰ぶりは未だに治らず、恋も愛も心中したいほどの熱も持たず。そもそも未だに恋をしに行けてない。アーバンリスナー(熱意的にも年齢的にもギャルは名乗れない)の私は彼らの世界の真逆に立っている、ずっとそんな感覚がある。
溶け込めないという苦しみからは程遠い「好き」を貫く者ばかりが集うサブカルチャーへの憧れ、それに存分に触れられなかった燻り、その他諸々ねじれにねじれた感情が、知らなきゃよかったという八つ当たりまみれの恨み節が、入り口になったアーバンギャルドに向いてまともに向き合えた試しが無い。なんつーはた迷惑な話だろう。自己嫌悪が止まらないな。そのくせ曲はちゃんと聴いているのだから、熱心なのか冷めているのか……いや普通のファンとしては落第点だと思う。ライブに行ったことがないのだ、私が行っても周囲の熱心なファンとの差で挫けそうだと思っているから……言い訳ではあるかもしれないが。
長々呪咀めいた文言を綴ってしまったが、つまり私はメンバーに対して大きな思い入れが無い。そういう感情を抱く為の情報を得る機会が極端に少なく、アーバンギャルドに触れる機会が曲のみだったから。パーソナルな情報も、ライブの様子も、彼ら彼女の思いも知らなかった。それこそ苦い思いで語られていた闖入者の話題も、メンバー脱退、加入へ対する思いも、読む分にはとても苦しいが、何せリアルタイムでそれを追いかけてはいなかったので……私は曲に対してだけ異様に執着をしていた。彼らの都会的な空気を感じ取ったら、対極のような泥臭い私は、唯一である曲すら嫌になってしまうと言う予感があったのかもしれない。自分でもその辺りは答えが出ない。嫌になるのが嫌だったのに、自分と真逆だろうに、何故か聞いていた。少女を終えた今も時折聞いている。
実際のところ自伝を読むまでに興味を持ち、それらを読み彼も彼女も人間だった、と思えるまでには至っているのだが。私が当時思い知った遠い幻想は、案外と泥臭い場から生まれていたのだなと、当然と言えば当然の気付きを得たのだ。繰り返しになるが、都会的、電子音の連なる曲、そう言った情緒のある歌詞を語るのだから、さらりと、苦しみなんて何もないまま歌っているだろうよと私は長らく思っていた。思い込もうとしていた、が正しいだろうか。随分勝手な視聴者だが。綴られていたように傷だらけで生み出された今のアーバンギャルドがスクラップアンドビルドを繰り返す様を、もしリアルタイムで追っていたとしたら、私はもう少しだけ三名に対する印象を修正出来ていただろうに。
少女という幻想、アーバンギャルドという幻想、それらが払拭され、今の三名が確かに人間で、それぞれの思いがあってバンドを続けている。当たり前を自覚させる文書だった。いや、もしかすると幻想として確立させていた方がアーバンギャルドは美しいのだろうか……?とっくに少女ではなくなった私、青春にトラウマ(というより、自身への嫌悪を自覚させたというのか)を与えた曲。それが血みどろになりながら作られたのだと知った今、アルバム一枚を消費する為に曲を聴くのも、少し恐ろしい気がしている。私にとって遠いと思い込んでいた、アリスのような少女が、実は自分とそう変わらない、地続きの場所に居たのだと分かってしまうから。今更自覚させるなよ!どうして幻想でないなんて思わせる!と叫べるなら叫びたい。残念ながらそれがてんでお門違いだと分かってしまう。私は少女の強さを持ち合わせてはいない。
随分勝手な締めくくりだが、個人的にはけいさまがアーバンギャルドに加入する経緯が、私の脳内で『運命宿命……』というメロディと共に緩やかに展開されたのが印象深かったりもするのだ。どこからともなく湧いて来る自信。よこたん加入時のエピソードでもそう。今の3人は、集まるべくして集まった……と思える関係、であるのなら、アーバンギャルドは私に、また新たな幻想を、時には痛みを伴って与えてくれるだろうと、期待してしまうから。
結局私はアーバンギャルドに、トラウマを与えて傷付けて欲しいのだろうか?どうなのだろう、少女でなくとも、都会的でなくとも、あるいは真正面から向き合えないと知っていても、次の曲を待つような変な輩なので。分かっていない、ファンというにもおこがましい、そんな人間も刺してくれるような景色を、私は期待している……のかもしれない。
お粗末な自分語りだが、そもそも感想文が大嫌いで、被害妄想逞しくて、意図を汲み取れない愚か者の文書だ。これを最悪のケースと認識してくれれば重畳である。多分。認知……は、いやまっぴらごめんだな。しないでくれ……KEKKONなんて死んでも無理だ。私は貴方たちの言葉で勝手に傷だらけになる。それで捨て置かれたような気持ちになって、もう流行らない自傷する気分で、貴方たちを消費していたい。少女でないと切り捨てた過去の私を、傷付けながら今をやり過ごしたいのだ。眩しいだけではなかった幻想の都会、「そこで生まれた私」なんてものを妄想する隙を与えないように。自分を真逆と自覚しながら、都会を遠い夢のままだと思い込む為に。