パン屋になるゆめ
「夢や希望はなんだった?」
こう聞かれたら、なんて答えたくなるだろうか。「なんだった?」が過去形であるとすると、ここで主人公は、あなたの過去になる。今のあなたは、ある意味の部外者であり他人になる。子どもの頃の「パン屋になりたい!」と言っていた無垢なあなたは、今パン屋を目指し続けたり、パン屋になったりしているだろうか。
今の自分を介入させず過去の自分を表象することなど、可能なのだろうか?
よく言われる"賢い"人は、周りから羨望の眼差しを受ける。すごい人なんだな、と一目置かれたりすることもある。つまりは疎まれるのだ。しかしこれは相対的な話に収斂するので、"賢い"というのはここでは、ある集団の中において、思考が(一般に頭の良いとされる方向で)異常である、という一種の差別文句である、とすることもできる。この大衆社会において、異常性、というものは異常である側にしか認識が不可能である。大衆から取り残されている感覚、とでも換言できるだろうか。
対立する意見を聞いていると、やっぱり親しみのある方が正しいとか思っちゃうんだよね。人間って。こわ。
と、ここでもう一度自分に聞いてみよう。「夢や希望はなんだった?」と。出した答えは、正しいと言い切れるだろうか?ネットを探せば、人の脳が都合の良すぎるものである、などと言っているのが簡単に見つかるだろう。だいたいは成長するまでの自分がそこに介入している。そう、あなたはパン屋になりたかったし、スポーツ選手になりたかったし、両親になりたかったのだ。
結論を出すなら、観念的にしとこう。おしまい。
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