迷夢
迷夢
その日は夜勤と出張が続いてヘトヘトになったところに、追い打ちで飲み会が入ってしまい、いつもこない同僚が来たのがうれしくて、焼酎を2人で5合空けて、ベロベロに酔っ払ってしまった。ほとんど自分が飲んだと思う。1次会で帰ったから日付けを超えることはなかったけれど、どうやって帰ったのかは覚えていない。多分、一ヶ谷に電話をして迎えに来てもらったんだと思う。いつも起きた時に履歴が残っているから、今回もおそらくそうだったんだろう。
飲みすぎてどうやって風呂とかにも入ったか覚えてないし、身体はアルコールに侵されていてどうやって布団に潜ったかも良く覚えていないくせに、ふと目をさますと午前3時。喉が乾いて目が覚めたのだろう、軽い脱水症状のような感じだ。少しだけ重い頭を起こして、飲みすぎてこんな風に帰ってきたときに、いつも一ヶ谷が寝る時に用意してくれてる枕元のペットボトルに入った水をいっきに飲み干す。体温よりも冷たい水が喉を潤して余計に頭が冴えた。
ぼうっと窓を見て、カーテン越しに月明かりがこぼれた。明日は休みだし、午前中くらいは潰してしまうだろうなと考えを巡らせながらもう一度布団に身体を潜り込ませようと、した。
そうしなかったのは、人の気配がしたからだ。
「……一ヶ谷?」
誰かなんていうのは、もう分かりきったことだった。この2LDKの部屋に住んでるのは俺の他にもう一人居るから。一緒に住まないと言ってるくせに、入り浸っているほぼ同居人のこの男が、いつこの部屋に入ってきたか全然わからなかった。物音ひとつ立てず、暗い部屋の、おれの枕元に立っている。夢かと思った。暗闇で表情が良く見えないけれど、笑顔でないことだけは分かる。でも、多分、覚醒したこの頭が、夢ではないということを知らせていた。何故一ヶ谷が俺の部屋に? 俺のことを心配して? それとも——。
俺はもう一度名前を呼んだ。返答はなかった。まるで「自分はここに居ません」と言ってるみたいだった。自分はここに居ないから、お前は早く寝ろと、そういう雰囲気がした。長年友人をしている勘かもしれない。俺は一ヶ谷のそういうよく分からない意地というのを、意図は分からなくてもなんとなくわかってて、じゃあおとなしく眠るようにしなくちゃいけないので、布団に入って背を向ける。
「……」
「……」
「泣いてるの?」
「泣いてないよ」
暫くの沈黙の後、俺の問いに小さく一ヶ谷が答えた。きちんと一ヶ谷の声で安心した。もしも違う人間だったら、それはそれとして色々考えなくちゃいけなかったから。
「じゃあ、寂しいの?」
「寂しくないよ」
嘘をつけ。
一ヶ谷は嘘つきだから、本当は寂しいんだろって言ってやりたかったけど、しおらしい声になんとなく言い返すことはできなかった。
それ以上、何の音沙汰もなくなった。まるで幽霊みたいに立っているものだから気配がうるさくて目をつむってられない。多分、俺が眠るのを待ってるんだろう。じゃあこの部屋を出ていけばいいのに、と思うんだけれど、多分きっとどうしても眠ってからじゃないと、一ヶ谷は行動したくないのだろう。
だから暗闇に、独り言のように言い捨てた。
「……俺は寝てるよ」
「起きてたじゃん。早く眠りなよ」
「いいや、これは夢だと思ってる。これは俺の夢」
いつだったか、俺は一ヶ谷の夢を見ていた。2人で猫の宿に行った夢。あの時もおれは酔っ払っていて、それは俺の夢の中で、一ヶ谷といろいろ話をしていた。そう、あれもこれもおれの夢。現実ではあり得ない出来事。
「……そうだね、そうだよ」
「夢だから、どうせ明日の朝は覚えてないよ」
「とか言って覚えてるでしょ」
「俺が覚えてないって言ったら、覚えてないんだよ」
なかったことになる。これは夢だから。何もなかったことになる。俺はあの夢の中で怖気づいてしまったけれど、それはお前が大事だからだし。でも一ヶ谷は何をしたっていいよ。これは夢だから。側を離れないのだったら、それ以外全部許してあげる。
「ボクは何もしないよ」
「俺だってしないよ」
「……何もしないの? ほんとに?」
「俺が嘘付いたことあるか?」
「……ヨリは嘘つかないけど、隠すのが上手だから信用できない」
「じゃあいいじゃん。気づいてても、上手に隠すし」
「隠さなくていいのに」
「そうじゃないと、お前はこっちに来ないだろ」
だから、おいでよ。振り返って布団を広げてやると、うつむいたまま、恐る恐る一ヶ谷が俺より大きなその身体を滑り込ませる。おれよりも大きくて、細い身体が背中にピタリとくっつく。じんわりと熱を持っている。俺は振り向かない。その身体を抱きしめたりはしない。これは夢。夢だから。夢でも、一ヶ谷が傷つくことはしたくない。
背中に一ヶ谷の額が当たっているのがわかる。一ヶ谷は身体を小さく丸めたまま、布団の中から声を上げる。
「ヨリくん。これは夢だよ」
「うん」
「だから朝はいつもどおりにして」
「うん、わかってるよ」
「ヨリくん」
「なに」
「……あったかいね」
「うん」
「いい夢だねえ」
「そうだね、いい夢だ」
それじゃあおやすみ、と声がこぼれた。おやすみと返すと、すぐに寝息がきこえてきた。そこでようやく俺は振り返って一ヶ谷の顔を見る。寒くないように布団をかぶせて頭をなでて、額に唇を当てる。夢だからいいだろう。俺は明日には忘れてるから。今くらいは。夢と現実の間で目を閉じる。背中がやけにあつくて、眠りについたのは多分、夜が明けた頃だった。
朝起きるとおはよう、といつもみたいに一ヶ谷が俺を起こしに来てくれた。低血圧と二日酔いの頭で歯を磨いて、朝ごはんを食べる。いつもと同じ日常。
昨日のことは夢だから、お前はおれのベッドで眠ってはいないし、俺はお前にキスをしていない。全部夢だから。
夢だから許してね。
20180319
せさみ
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