薄明


「こんにちは、桂さん」
唐突に話しかけるのは確かに悪いことだとは思うんだけれど、しかし登場が唐突になってしまうので、唐突に話しかけてしまうのは慣れていってほしい。そう思いながら、帰宅途中の、マスクをした大柄の男に声をかけた。確か南方先生はまだ事務所に居て、日輪さんと桂さんで調査をし、夕方なのでノーリターンで帰宅している。ということをおれは良く知っていた。というかそれを見ていた。もうすぐ日輪さんは部屋に帰ってきてしまうんだけれど、南方先生が居ない時って珍しいので思わず身体が動いてしまっていた。いい機会かなと思って。一度ご飯も一緒にしたし、桂さんのこと、ちょっとだけわかってきたので。
「多分、本当はこういうことすると南方先生に怒られちゃうんですけど。ちょっと桂さんとお話してみたくて」
話しかけてしまいました。とニッコリ笑うと、怪訝な表情を向けられる。おれが誰かというのは一応わかってくれているみたいで、おれが誰かとわかっていて、多分そういう顔をしたんだと思う。恐らく、無意識に。
「えーっと……そんなに警戒しなくても、別に食べたりはしません」
「……いやあ、あの、すんません」
自分の眉に皺が寄っていたのに気づいたらしく、平謝りをされる。警戒をするようにともしかしたら南方先生に教育をされているのだろう。夕方の伸びた影が帰路を示していて、桂さんの身体の向きはそのままだった。立ち止まってはくれたけれども、多分早く家に帰りたいんだろう。おれだって帰りたいよ。
おれが自分の不注意で「ここ」に居なかった頃、桂さんは随分おれのことを探してくれたそうだ。それはとてもありがたいことだったけれど、おれが思うに、それは南方先生が居なくなった時の予行練習だったのではないかと思う。南方先生は多分、きっと肉体が滅んでも精神はずっとずっと生きれてしまうので、置いていくなんてことは多分きっとないと思うけれど、もしそうなってしまった場合、彼はそうせざるを得ないのだ。身体が勝手に動いてしまうタイプの人間なんだろう。
「そう、改めて御礼をと思って。おれの故郷に行ったり、おれのことを探してくれたり、なんだか関節的にお世話になった、ので」
これをどうぞ、と何もないところから紙袋を渡す。その行動自体には特に何も言われなかったが、汚れや皺ひとつついていない黒い紙袋には、また眉を顰められる。変なもんじゃないですよ、とひとこと添えて突き出すと、桂さんは恐る恐るそれを受け取る。中身はGoogle先生に「新婚さんへのお祝い」を聞いて出てきた「有田焼の皿」だ。最近日輪さんと探偵をしていて、その報酬をいくらか日輪さんから貰い、そのお金で買ったもので、そもそも現地の佐賀に出向いて買ってきたものなので、全くもって面白みのないただのお祝いである。
「中身は帰ってから南方先生と見てください」
「……どうも」
「やだなあ、御礼なんだから喜んでくださいよ」
「……はあ」
会話をするなとでも言われているんだろうか。南方睦実が居ない時の桂司郎はやけに無防備だと感じた。南方先生の圧が感じられないからそう思うのかもしれないし、おれの知る限り「何も知らない人間」だからなのかもしれない。
「別に俺……何もしてないです」
「捜してくれたこととか、付き添いでも、おれの何かしらに関わってくれたので。ご足労かけました」
「いえ……」
「ところで桂さんは南方先生のこと、好きですか」
紙袋を空けて生返事をしていた桂さんははっと顔をあげてちょっとだけムッとした顔をしたような気がした。それは些細な変化で、多分きっと南方先生には随分違うように見えるんだろうな、というような。でも、多分桂さんは自分でもわかってないんだろうなと思う。自分がそういう顔をしているってことに。
「なんでそんなこと言わんとあかんのですか」
「意地悪で聞いてるわけじゃなくて、確認、なんですけど。……好きですか?」
少しだけ考えて目を泳がせた後、まっすぐおれの目をみて、桂さんは言う。
「……好きです」
「おれもね、南方先生好きですよ」
桂さんは、おれにもわかるくらい顔を顰めて、何いってんだこいつって顔をした。
「でも南方先生は桂さんが好きですし、おれは日輪さんのほうがもっと好きなので、大丈夫です」
「はあ」
「あなたの南方先生を、誰も取ろうってことじゃないから、安心してくださいよ」
納得のいっていないという感じだろうか、おれよりも背が低いのに大きく見えるこの男は、その身体の大きさに似合わず肩をすくめて小さくため息を吐いた。最近ため息をつかれたりすることが多くなっているなあと思う。納得してないって顔も、良くされる。恐らく自分のコミュニケーション不足の結果というのは、わかっているんだけれど。
「南方先生のことが好きなので、南方先生が好きな桂さんのことを好きになりたいんですよ」
「は、はぁ」
「おれは、好きなものを増やしたいと思って」
好きなものを増やそうと思った。そうでなくてはここに居る意味がないような気がして。だからせめて、日輪さんの周りの人物を、好きになろうと思った。もともと(そういうシステムというのもあるけれど)人間のことは好きなので、人間のことを嫌いになることはないのでそれは良かったなと思う。
南方先生は、嫌いなものを減らしたい、と言っていた。覗いてしまった会話の1つなので、おれがそのことを知っているとは思わないだろうけど、桂さんも今そのことを考えているのだろうか。
「……別に、嫌いじゃないです、久那さんのことは」
「えっと……ありがとう、ございます」
彼には序列があって、優先順位があって、それに従っての言動なんだろうなというのは分かる。だからおれのことを「好き」とは一生言わないだろう。彼には彼のテリトリーがあるし、彼のルールがある。それはきっと南方先生が中心になっていて、おれはそれを少しだけ羨ましいと感じていた。そういう風に言い張れるまで、色々なことがあったのだということを、おれは知っている。それはおれと日輪さんが色々なことがないってわけではないのだけれど。けれどその色々の部分を含めて、おれはとても、彼らのことが眩しく見える。
大きな身体の人間の形をした獣がふたり、肩を竦めて立っている姿は、端から見るとどう見えるんだろう。背丈こそ似ているけれど、体つきも、髪の色、目の色、言動、言葉の端々に見えるその方言や、彼の考えひとつ、どこも似てやしない。
喋れば喋るほど、話せば話すほど、みんな違う人間なんだというのがわかる。そんなの当たり前で、生きている時だってそんなことは気にも止めていないくらいに、寧ろそうであったほうがいいと思うくらいに自分とは別だと感じていたはずなのに。日輪さんと話していてもそうだ。南方先生と話をしていても。桂さんとも、明松さんとも、淪さんとも、清花さんともそうだ。おれとは違う。だからおれとは違う道を選ぶ。それぞれが悩む。答えが見つからなくて、もがいてる。
「似てるって言われませんか」
「俺と、久那さんが?」
「そう。おれは全然似てないと思うけれど」
「俺もそう思います」
「でしょう?」
「けど、久那さんと喋るのは、別に、あの、嫌じゃないので」
「おれも桂さんと話すの、好きですよ」
「ありがとう、ございます」
「こちらこそ……」
「あの、久那さん」
「なんでしょう」
「……」
桂司郎が何かを言いかけようと口を開けて、それを止めてを繰り返すうちに日の高さも随分と沈んでいく。おれがまだ探索者と呼ばれていた、南方先生がまだ人間だった、何もなかったあの頃の、おれと彼で猫の宿に行った時の南方先生に、今の桂さんはとても良く似ている。ずっと側に居ると似てくると聞くけれど、こういうことなんだなと認識した。
彼が聞きたいことは、恐らく南方先生のことなんじゃないかと思うんだけれど、どうやって言葉にすればいいかわからないのかもしれない。現状、おれが日輪さんが前認識していたところの「幽霊のようなもの」で、おれが死んでいるっていうのはわかっているのだろうけど、南方先生が桂さんにどういう話をしているのか明確でないので、聞かれたことを南方先生の管轄外で答えるのは憚られる。あの人怒ると怖いし、きっと桂さんのことをとても大事に思っているし、おれだって、それなら桂さんのことを尊重してあげたいと思うし、何よりおれはあの人が困ることはしたくないから。
「久那さんは、」
「うん」
「……」
「……考えがまとまってからでいいですよ。おれは結構、いつでも暇してますから」
「……すいません」
「いえ、こちらこそ」
どこにも居ないけど、何処にでも居るので、考えがまとまったら呼んでくださいね。
そう言うと桂さんははあ、と生返事をした。
伸びた影は、暗闇に消えていた。

20180323
せさみ

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