あとのまつり

タンサクシャの二次創作です。実際の登場人物とは一切関係ありません。
※【仰ぎ見る遡行】ネタバレ含む


「南方先生、お元気そうですね」
 何もない空間から突然声がして、一瞬だけ驚いた後すぐにその声の主の姿を探す。ほんの数ヶ月だけ、瞬きもしない間の自分の部下の声のはずなのに、それは酷く懐かしく、そして少し心が震える。声の正体を、僕は姿を現す前から知っていた。知識としては十分すぎるくらいにその存在を認識していたし、何よりも知人だ。だからかもしれない、彼の姿と少し違う姿を見ても、突然現れたことに驚いただけで、彼の存在自体には無感動だった。
 そこに居て欲しいと願うと、彼はそこに現れた。造形こそクリスマスに消えてしまった彼と同一の姿だけれど、けれど寂しそうな瞳はそこにはない。似合わないだろうと思っていた黒いスーツに身を包んだ久那誉礼は、にこりと微笑んで会釈をする。
「そっちも……えっと、久那さんでいいんですよね」
「いいですよ。先生と違っておれはSAN値保ったままこちら側に来たから。まあ今はこんな姿になったもんで、晴れてSAN0ですけどね」
「はは、クトゥルフジョークだ」
 彼もやっぱり、こちら側の人間になったようだ。それはその出で立ちからも明らかだったし、顔つきも纏う雰囲気も何もかもが違う。生きることを諦めていたような挙動からは程遠い、まるで違う人間がそこに居る——実際はもう人間じゃないけれど。
「久那さん、なんか楽しそうですね」
「そうですか?」
「うん。なんかここに居た頃よりうんと生き生きとしてる」
「あー……まあ、正直楽しいですね」
「素直」
「意地張ってても人間以外には心読まれてますしね。案外楽なもんですよ、心見透かされてるのって。死んでからのほうが正直楽しい……——死んでからの方が楽しく生きてるって、なんか語感がすごいな」
「生きてるときは死んでるようでしたけど、それと同じでは?」
「それもそうだ」
 久那誉礼は笑う。そんな姿探偵事務所に居た頃は一回もしなかったくせに。と、思っていることもきっと今の彼にはお見通しだろう。その代わり彼が考えていることもなんとなくはわかるし、その件に関してはこれでおあいこなところはある。けれどわざわざ話しかけてきたってことはお喋りをしたかったんだろうと思い至り、僕は口を開ける。
「——で。何しにここに来たんですか」
「おや。友人の顔を見に来てはいけなかった?」
「別に来ちゃ悪いわけじゃないし、あなたたちみたいなのは理由もなくこの世界に来てしまいますけど」
「さすがクトゥルフ神話技能100! いやあ、面白いことないかなあって。最近の世界、どうですか?」
 ニャルラトホテプの化身。人間側に干渉することが存在意義みたいなところがある。彼は事務所に居た時はいじられキャラだったけど、本当はいじるほうが好きだったのではないだろうか。興味に満ち満ちたその瞳があまりにおかしくて仕方がない。あんなに生きてることに興味がなかったくせに、人間やめた途端にこれだからなあ。
「ここ最近のニュースはひとりのユーチューバーが世界滅亡カウントダウンして類を見ない大炎上したことくらいしか」
「あー……それは実にこの目でその様子を見ておきたかったなあ」
「結構愉快なもんですよ」
 人間のすることって面白い。それは人間をこえてしまったからこそ実感することだった。人間はあまりに無知で愚かでどうしようもないけれど、それでも人間として生きることを止めない限りはその生を全うする。神々に踊らされていることを知らないでそのゲームの中で命を全うするのだ。あまりにおかしい、あまりに。あまりに。
「先生は大分穏やかになりましたね」
 久那誉礼の姿をした彼のような者は随分穏やかそうにそう言った。それはこっちのセリフですよと皮肉を零すと彼はにこりと笑う。もう久那さんと呼ぶこともためらうくらい、違う人物のように見える。
「僕の方は図書館で一度整理しましたから。年末大決算」
「そりゃあいい。イス人も来放題ですね」
「やめてください、そんな食べ放題みたいな言い方」
「冗談ですよ、冗談」
 口を滑らせても冗談を言わなかった彼が冗談を言っている姿があまりに似合わなくて笑えてきた。後悔をすると彼の存在を否定することになるから今までそれはしてこなかったけれど、でもこんなに楽しそうなら後悔する暇も与えてくれないっていうか。この姿は啓秀にも淪くんにも見せたほうがいいかもしれない。ウジウジ悩んでいるほうがバカみたいだよって一度確認してもらわないと。
「ねえ、南方先生。おれは楽しかったですよ」
 目を細める久那誉礼が、一瞬生前の姿に見えた。瞬きをする間に、それは掻き消えてしまったけれど。
「別に今更社交辞令はいらないですよ。あなたが楽しかったのは研究所の探索くらいだったじゃないですか」
「それでもですよ。それでもおれは、あの女に操られて作られた存在だったとしても、探偵にもなれない中途半端なおれを許してくれたあの場所が楽しかった」
 それは嘘だろうと頭ごなしに否定しようとして、僕はそれをするのをやめた。きっと楽しかったってのは嘘なんだ、それは何も楽しくなさそうな彼の顔を思い出せばすぐにわかる。でも楽しかったという彼の言葉を否定することは、彼の選択を否定することと同じだから。彼はこれでよかったんだと思っているし、僕も、あの場にいた全員がこれでよかったのだと思っている。思っていないとやるせないってのは確かにあるけれど。でも確かにあの場所には「久那誉礼」という人間が居て、いろんな話をして、いろんな人に会って、いろんな場所に行って、そうして生まれた絆だと思う。それを彼も大事に思っていてくれるなら、僕はそれが幸せだと、そう思うんだ。
「久那さん、また宿にでも行きましょうよ。あの猫の宿。いまなら招かれなくても行けるでしょう」
 僕の言葉に彼はうーんと唸った。
「それって浮気になりません?」
「浮気?」
「だって南方先生は配偶者が居るんでしょう?」
 この人、こちら側に来ても童貞みたいな挙動取るの? それがおかしくて思わず笑ってしまった。
「ニャルラトホテプ相手に、浮気?」
「そりゃそうですね! ああ、そういう設定もいいかもしれない」
「ねえ、楽しんでるでしょ」
 久那誉礼は生前一回も見せたこと無い笑顔をみせて、あの頃寂しそうだった瞳を細めて言い放つ。

「案外楽しいんですよ、死ぬのって」

20171226
せさみ

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