「奇形の村」01
セレファイスに魔術師がやってきたのは、数年前のことだ。
恒久の日々を過ごすセレファイスの人々にとって「変化」というものが起こったのはいつぶりだっただろうか。なぜなら変化のない永遠がそこにあり、人々は不死であり、時間による劣化はないからだ。
セレファイスには時間の概念は存在しない。日は昇って沈み、夜がきて朝がくることはあるが、それに意味はないからだ。時間とは変化のことである。だからこそ、その場所に訪れた『新しいもの』に対して人々は興味を持った。
しかも魔術師は少しの助言と何日間かの薬だけで人々を良い方向へと導くらしい。眠れなかった者も眠れるようになり、痛みは緩和し、症状が良くなる。これは魔術に違いないと、真偽を確かめるべく外からやって来る者も居た。そうして評判がまた評判を呼ぶ。
大理石に敷き詰められた道の奥、中央の薔薇園の横に、その場所はあった。古びた小さな一軒家だ。人々はそこを『診療所』と呼び、身体を悪くしたり良くないことが起きるとそこに訪れるようになって、それからまた数年の月日が流れていた。
「それで、今日はどうしましたか」
「……お恥ずかしながら、スパナを落としてしまって……」
「どこをどうしたら手にスパナが落ちるんですか?」
「いやあ、猫がおったから触ろーって手を伸ばした拍子にビビらされてスパナが吹っ飛んでんか。そしたらバーンって跳ね返ってな」
「それは……痛かった、ですね」
「湿布とかないん? チカゲ先生」
今日の診察はこれで4人目。風邪、腰痛、腰痛、そして怪我。チカゲ先生と呼ばれた白衣を着た男は慣れた手付きで机上にあった瓶から塗り薬を取り出し、真っ赤になった手の甲の患部にそれを塗ってガーゼをあて、細く白いテープで固定した。それから小分けのケースに薬を移し替えて『7日分』というメモ書きを貼り付け、患者に手渡す。
「しばらくは安静ですね。今日から1週間は手を使う仕事をお休みしてください」
「えー!」
帽子をかぶった猫目の青年は、立ち上がってチカゲに縋るようにどうにかならないのかを訴えたが、彼はそれをあしらうように次の患者を呼ぶ。
「次の方どうぞ」
「ぱっと治せへんの!? 魔術師チカゲ先生なのに!?」
「おれは医者ですよ、魔法なんか使えませんって何回も……」
扉越しに現れたのは腰の曲が曲がっても背の高さがわかるほどの老人のようだった。老人の患者は一度入っていいものかと身構えたが、どうぞという部屋主のジェスチャーに怪訝な表情を浮かべながら、恐る恐る入室してくる。ちらり、と帽子の方を見て、もう一度チカゲを見た。
「このひとは気にしないでください。今日はどうされましたか?」
帽子の男は部屋の隅で診察の様子を伺っている。見慣れた光景なのか誰もそれに口出ししないし、チカゲ自身もそれをさほど気にしていなかった。
長身の老人は、老人には似つかわしくないようなハキハキとした声で答える。
「長旅で使いすぎたのか、腰が痛くてたまんないんだよ、よかったら塗り薬をわけてくれないかと思ってね」
「まずは腰を診てみましょう。それからどのお薬を渡すか決めますね。どの辺りが痛いですか?」
備え付けられた寝台に横になるように指示をし、患者がそれに従ってうつ伏せになる。骨の位置や患部の確認を入念にしたあと、先程と同じ瓶に入った塗り薬と、少量の粉薬を処方して患者に渡した。チカゲが薬と身体の状態を説明しようと口をひらきかけたとき、遮るように老人が話しだした。
「あんた、噂の外国から来た魔術師さんなんでしょう? 隣にいつも妙な話し方をする帽子のあんちゃんが居るって言うからすぐ分かったよ」
「はあ」
「誰が妙な話し方やねん」
「ヒデタカさん」
静止するようにチカゲが声を上げる。ヒデタカは不機嫌な猫のようにそっぽを向いた。
「魔術師先生はどんな病気も治せるって評判じゃないですか。ひと目お会いしたいと思ってたんだよ」
まあね、と今度は何故かヒデタカと呼ばれた帽子をかぶった猫目の青年が得意げに返事をする。その様子を見てチカゲが困ったように笑った。
上体を起こした老人が、まっすぐチカゲに向き直り、その瞳を覗き込む。
「治療をしてくれたついでに、ひとつ相談にのっちゃくれないですかね」
「相談?」
「ええ。少し嘘っぽい話に聞こえますがねえ、ある村の呪いを解いちゃくれないかと」
医術と魔術をごっちゃにしている患者は多い。なんども自分は医師だと訂正を求めたが、拡がる魔術師の噂を止めることはできない状況になっていた。半ばあきらめている、自分が何でもできると思われても困るが、自分のできる範囲でなら、対応はしたいとチカゲは考えていたため、老人のそれを拒絶することはできなかった。
「では、お話だけでも」
「おお、ありがたい」
少し長話になりますが、という前置きがあり、彼は良く通る声で話始める。
「オオス=ナルガイの北にある霧深い森の奥に、ひとつの村がある。なんでもその村で生まれる子どもはほとんど全員、奇形で生まれてくるそうで」
「奇形、ですか」
「そう。奇形といっても足がたくさん生えたりするわけじゃあねえ。生まれつき足腰が立たなかったり、骨が弱かったりしてひん曲がって育っちまうんだ。だから村人は身体のどこかがゆがんでる。その村ではそれが当たり前になっていて、特に誰もそのことについて疑問に思わなかった。けれどここ最近になっての村人が外に出たときにな、気づいちまったのさ、自分たちの異常さに」
セレファイスという都市があるこの世界は、ドリームランドと呼ばれる。誰かの夢によって作られた、今までの世界とは別の場所。ドリームランドには人の姿をしたものとは別のものが存在していることをチカゲは知っていた。それを実際に見たこともあるし、こちらのことを勉強した際に文献そういう記述があったからだ。
「『人間』が奇形として産まれてくる、という認識で合っていますか」
「そうだ。彼らは『亜人』や『食屍鬼』や『ムーンビースト』たちとは違う。ただの人間さ。だからこそ弱く、身を寄り添いながらではないと生きていけない」
老人の語り口調の中に、嘘は含まれていないことが、医学に長けたチカゲの目にも明らかだったし、同室に居るヒデタカにもそれはわかったようで、目が合うと一つ頷いてみせた。
「奇形の村で生まれてきた者たちは皆、どうにか普通の人間の形に戻りたいと、せめて子どもたちだけでも『普通』に暮らして欲しいと願っているらしくてね、俺も何か力になってやりたいが、俺はただの旅人だ。聡明な先生ならこの奇形の呪いを解く方法がわかりゃしないかと思ってねえ」
自分は呪術師ではないのだが、と否定する心をぐっと抑え、チカゲは今までの言葉を整理する。人間が奇形となって産まれてくる呪いは、たしかに医学的に解決する方法があるかもしれない。いくつかの症例が頭に過り、手元のメモに走り書きをした。
「……わかりました、少し調べてみます。おれにできることがあれば、お手伝いさせてください」
「そう言ってくれて助かるよ。じゃあ、よろしく。薬、ありがとう」
老人はそう言って多すぎる程の金貨を置いていった。は、と自分が身体のことと薬の説明をしていないことに気づきチカゲは後を追おうとするが、すでに喧騒に紛れてあの老人の姿を見つけることは叶わなかった。
自室に戻ったチカゲは、置いていった金貨を見てはあ、とため息を吐く。
「……前金のつもりかな」
「どうやろ。ほんで、どうするん」
どうする。走り書きのメモを見つけ、足りないピースを探す。奇形として産まれてくるケースがこの世界の「過去」にあるなら、それに沿っていくのが一番の近道だろう。もっとも自分が知っている知識は新しすぎてこの文明レベルには適さないことが多い。難しい治療の時は決まって過去の事件を洗い出すことにしている。
「午前の診察が終わったら、図書館に行こうと思っています。他にこういう事象が他にないか、調べてみたいです」
「……やな。俺もしばらくお休みするって看板出しとくわ」
「おやすみ?」
「チカちゃんがおやすみせいって言ったんやろ? だからおやすみ中は魔術師さんのお手伝いや。もちろん、図書館にもついていくで!」
じゃあまた昼に、そう言ってヒデタカはひらひらと手を振りながら診察室を出て、入れ違いに次の患者が入ってくる。扉の外にはあと3人の患者。またひとつ息をついてから机の上を片付け、チカゲは新しい患者の入室を許した。
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