デジタルとアナログとスピリチュアル

リア充への誘い

スマホ依存からの脱却が課題なのか
もともとはあまり関心の薄かったネットの世界やケータイに関心を持つようになって今ではどっぷり自分の生活の一部になっている。いやむしろ自分がスマホの一部分なんじゃないかってくらい、スマホに頼り、スマホありきの生活様式になってしまっている。
12月に入って起きた印象的なことの一つにYouTubeの人物BANがある。チャンネル登録していたユーチューバーがチャンネルのみならず人物ごとBANされて永久追放となった。じゃあ俺もということでYouTubeから離れようと思ったのだが、これもいつの間にか自分の生活の一部となってしまっていて、なかなか離れ難いのだ。
そもそもウェブサービスそのものが自分自身の生活様式にべったり張り付いていて、意外なくらいに依存している。インターネット無しで日々遊んでた頃が確かにあったのに、あの頃に戻ることが案外難しく感じられるのだ。
便利度で言えば今のほうが断然上なのだが、昔のほうが現実を生きて楽しんでいた感じがする。リアルスティックな充実度を高めるために足を使い、汗を流していた。
あの頃の楽しみ方に回帰したいっていう願望は結構前からあった。お気に入りの書店に足を運んで、本の匂いに包まれながら棚を眺めて歩き、ふと気になった本を手に取る。なんて時間、もう何年も過ごしていない。
図書館の棚に収まっているCDの中から選んだジャズを肴に静かにグラスを傾ける。そんなシンプルで確かな味わいに心を遊ばせていたあの頃のほうが、一つ一つの出来事を大切にできていたような気がする。
この物質世界に生きていながらデジタル世界の中に逃避して遊んでいるうちに、現実の喜びを失ってしまっているのだ。これは豊かであるとは言えないのではないだろうか。

現実世界を如何に楽しむか

今自分が目指していこうとしている流れは、デジタルからアナログへの移行であり、その先にあるスピリチュアルの再強化なのかもしれない。より現実的であり、人間が本来持つ五感や直感をきちんと使った自然的な在り方を欲しているのだろう。
ただ単に消費するだけではなく、好奇心や探究心を刺激し、ひらめきに導かれるように新たな生活を自ら生み出す。
消費者でありながら、表現者であり、創造者であると言えるような自分であれたら合格。
その中でデジタルも当然駆使している在り方が理想の自己像。

ここ数年は特にデジタル方面の探求に傾倒してアナログをおろそかにしてしまっていた。アナログをおろそかにしてデジタルに傾いていると第六感を使う機会が少なくなる。
AIのアルゴリズムに任せて商品検索しているだけでは出会うことのできない物事が、世の中にはたくさん散りばめられていて、それを発見するのが人間に本来備わっている直感的感性なのだ。この野生の感性を駆使しながら生活の質を向上させていくのが人生の達人への道なのだ。


こんなことを考えながら生きている人ってどれくらいいるのだろうか。多分めったにいないんじゃないだろうか。毎日をとにかく生きてやりくりして消化しての繰り返しで日々はどんどん過ぎていく。デジタルであるとかアナログであるとかスピリチュアリティであるとかを気にする人は稀だろう。しかし、デジタルがスピリチュアリティにとって替わろうとしている意味を思うと、今の世の中の流れは人類からスピリチュアリティが失われていこうとしているかにも思える。
便利と思って使っていたものが本来の人間性を退化させてしまうってことも十分あり得るのだ。だからバランスを取り直す必要があるのだと思う。
もっと体を使って、汗を流したさきに直感が働き出すゾーンが広大に開けている。その広場を目指して生活の在り方を改めていくというテーマが立ち上がってきているようだ。
来年一年でどれだけの変化を遂げられるだろうかと考えるとなかなか楽しみだ。

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