メンタルスケッチ

散歩に行った。
少し前、永遠に続く夜の世界で二人ぼっちになる共同小説を書いた。それから夜が好きだ。
運動は苦手だし嫌いだ。
でも大人になって体育から離れてから、好きになった。
自分の体が動かせるようになる感覚、息が上がった時の高揚感は、吸ったことがないけど麻薬みたいだ。
やり始めるまでの億劫さは相変わらずだけれども。

運動不足だとメンタルが沈むので、1時間ほど散歩をした。
朗読アプリの「オーディオブック」で「算法少女」を聞いたり、虫の鳴き声に耳をすませたり、星空を見上げたり。
星の少なさに想いを馳せた。ハケで引いたような雲の描写を考え込んだ。川の匂いを嗅ぎながら、あの黒い線がふわふわの雲と同じ物質であることを不思議に思った。
自分の呼吸を意識して無心に歩くうちに、私のお腹にいるかもしれない命に想いを寄せた。

私は子供が好きだ。
けれど、子供は欲しくないと公言している。

ありがたいことに、仕事と趣味の関係で、周りには子供が多い。みんなかわいい。
けれど現実を見すぎたのだ。
かわいい、まだ幼い甥っ子相手に、信じられないぐらい怒ってしまう自分がいる。
いつでも優しくありたいけれど、そうではいられない。

経済的な不安もある。
仕事の関係で地元にしかいられないが、彼氏は転勤族だ。
子供が生まれたら、誰が、どうやって育てる?
絶対に大変だ。彼氏が単身赴任しても大変。私が仕事をやめたら経済的に苦しくなる。
両親も高齢だし、介護と育児がかぶる。
人生の難易度は確実に跳ね上がる。
そうなった時、余裕を無くす。

余裕が無いと人は鬼になる。その怒りが弱い方へ向かう。私の子供へ。
私は余裕が無い時、誰にも八つ当たりせずにに済むほど強くない。
だから余裕を無くさないように気をつけている。
自分が楽でいられるように、好きな本を読み、好きな太鼓に取り組んで、メンタルを保とうとしている。

だから、子供は欲しくない。そう公言している。
それはきっと、「余裕のある育児ができるなら子供が欲しい」の裏返しだと思う。

二年前に彼氏と付き合い始めた時も、妊娠が不安だった。
初めての性行為の後、もしもいま妊娠したらどうなるだろうと思った。
その時、もし妊娠していたら産めないなと考えた。

けれど今、肯定的なものとして捉えている自分に気づいた。
絶対に産めない、私は親になれない。
はっきり言って仕舞えば、親になる資格はないと思っていた。不幸な子供を増やすだけだと。自分の家族がうまくいっていないから。
周りにも、うまくいっている家族が少ないから。

だけどふと、肯定的に捉えている自分に気づいた。
私は少し頭が良い。考えるのが好きだ。
だから頭で色々考えてしまう。生活や難易度、メリットデメリットで考えて子供は欲しくないという持論を持っていた。
結婚しても避妊は続けようと。

なのにふと、人生に子供がいても良いと思った。
理屈ではうまく説明できないし、改めて文字にすると陳腐になってしまうけれど、そう思った。
もしも妊娠していたら、全てに変えて我が子を守ろう。周囲にとやかく言われたって、小さな命を否定させない。幸せにできるかはわからないけれど、そうあって欲しい。できる限りの事をしたい。
突然そんなことを思って、いるかも分からない我が子への母性に戸惑った。
自分が母という存在に塗り変わったように感じた。
多分今妊娠していたら確実にハードモードだし、産まれたらメンタルはズタボロになると思う。妊娠してなくたって家探しやら引っ越しやら式の準備やらで忙しくなるのだ。やられるに決まってる。
そんなことは頭ではわかってるのに、全てがどうでも良いと思った。それでも我が子は可愛いと。
いるかも分からない、いたとしても細胞の塊でしかない我が子に。

そんな風に考えられた自分が、誇らしかった。

こんな気分になったのだから、本当に妊娠しているのかもしれない。

だが相変わらず、無神経でうるさい周囲はみんな死ねと思っている。
子供を産んで一人前よ、子供はいいわよ、そう言われるたびにますます頑なに子供はいらねーなと思っていた。
産んだら産んだでますますうるさくなるアホがいるからだ。

本気で子供を産んで欲しいならば、若者にハッパをかけるのではなく環境を整えればいい。北風と太陽から学んでくれ。

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